見出し画像

宗教二世(31)が去年知った母親の宗教観にキレた話

「週2回が限界」

去年の秋宗教の集まりが5日連続で続いた後母はそう思ったと話をしてきた。

筆者は宗教二世が宗教施設に行くことを売りにしているが先日行ってきたエホバの証人の二世のような、異性との交際、学校のイベント禁止、ムチで叩かれるなど苛烈なエピソードを持っているわけではない。

母がやっている宗教自体なにかを禁止するような事は00年代にあった江原啓之氏などのスピリチュアルブームの時に苦言を呈したというエピソードはあるようだが、他はあまり聞いたことがない。

また母自体教祖のことは大好きだが、勧誘や人の世話などは嫌いで面倒くさいと筆者が小さい頃から口にしていた。

たが、合宿に連れていかれることなど母の宗教活動に付き合わされたことは大なり小なり小さい頃から経験をしてきた。

そんな母が5日連続で宗教の活動に出た後の感想が週2回が限界という言葉だった。

母が真面目な信者と思ったことはなかった。不真面目な信者な上に筆者に信仰を押し付けてくる人ではなかったので親子関係を続けられていると思っている。

しかし少なからず振り回されたのに、そんな意識でやっていたのかとフツフツと心のなかでの消化しきれない違和感を昨秋抱えてしまった。

熱心でないことが母の口から発せられるのはむしろ嬉しい気がする。でも、だって、しかし

そんなもんだったのか。小さい頃国語の教科書にあったエーミールこと少年の日の思い出のようなリアクションをしてしまった。


その会話がきっかけというわけではないが、その後筆者自身昔から関心のあった宗教施設巡りを本格的に始めた。

なかでも最近行ったエホバの証人見学は心に刺さるものがあった。まさか宗教施設でガッツリ無償の工場労働を無償で行っている20代前半の青年とは考えていなかったからだ。あの世界しか知らないようなキラキラした目つきをしていた彼らを見てしまうと色々考えてしまう。

↓(エホバの証人見学noteはこちらから)

彼らと比べたら宗教二世としてもライトな人生を送っていると思う。青春時代に3年くらい歩行困難だった方が自分自身の人生への影響は大きかったと思う。

しかし宗教というものに振り回されている彼らを思うと気持ちは筆者と一緒ではないかなと烏滸がましいが考える。

また傷ついた気持ちというのは誰かと比べることではない。素直に振り回したくせにその意識の低さってなんなの。週2回が限界ってなんですか。ナメんなと素直に口に出すべきではと思った。


「人の人生に少なからず振り回したのに週2が限界ってなんなんですかね」

軽口を叩くように母に伝えてみた。

私は熱心じゃないから親子としてやっていけてると思っているが、振り回したクセに週2発言はとても傷ついたとストレートに伝えてみた。

母からの回答は言いたいことはとても分かるがやりたくないものはやりたくないという事と振り回したのに意識が低いことに関しては、言いたいことは物凄くよく分かると言ってきた。

また私がエホバの証人見学に行った話についても話にはしていたので彼らよりはマシじゃないとも言われた。


流石にそれにはキレた。傷ついた気持ちは加害者が何かよりマシと決めるものではないだろうと。わたしもエホバの証人の2世よりかはマシな環境であるとは思って入るよ、でもそれをお前が言うものではないだろうと口に出してみた。

そういうと謝ってはくれたので理解はしてくれたようだ。


筆者は母の宗教の集まり週2で限界発言で心の中モヤモヤしていた上にエホバの証人の2世よりかはマシと言われてそうじゃないんだよとイライラはした。

たが、色々な宗教施設巡りをすることで二世として言語化出来ていなかったモヤモヤした気持ちが鮮明になりは母に気持ちをぶつけることが出来たのは自分自身の成長ではないかと思う。

晴れてはいないけど心にかかった雲が少し薄くなった気がする2024年の初夏だった。




 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?