傀儡になる快感

新曲を準備している期間って、世界に対しておっきな秘密を抱えているようなわくわく感を内包している。
クリスマス前に、素敵な贈り物を用意して、それのラッピングを考えながら机の上の贈り物を眺めているような気分。

クリスマスまでの数日間に秘密を抱えて過ごすとき、世界は澄んだ空気に射し込む光を受け、輝きだす。
はやく好きな人に選んだ贈り物を渡したい。手紙にしたためた気持ちを打ち明けたい。
そんな気持ちを胸の内に暖めていると、体の中で綺麗な香りの空気がどんどん膨らんでいって、風船のように空に浮いていきそうになる。
そういうとき顔を上げると、決まって街には輝かしい装飾がかけられていて、私の瞳には数え切れないほどの眩しい光が映り込むから、世界ってこんなに綺麗なんだって再認識をする。

「あなたは、その曲に対して責任を取れるの」
高校一年生の秋の終わり、私は母親にそう諭された。
学内の演奏会で、同級生の新曲の初演を頼まれたときのことだった。
嬉しくて、家に帰ると真っ先に報告した私に、音楽家の母は厳しい表情でそう諭した。
「初演することの重みをあなたはどれだけ理解しているの」
「でも、そんなに特殊奏法とか使わないって言ってたよ。大丈夫だって」
そういう私を母は見据えて
「辞退しなさい」
と告げた。

私は翌日、同級生に初演を引き受けられない旨を伝えた。
彼はすこし残念そうに首をすくめたあと、「じゃあ別の子に頼んでみるね」と去っていった。

弾くはずだった演奏会、その客席に座っていた私は、気持ちを持て余して床の木目を眺めていた。
友人の書いた曲の番になると、周りの拍手の音に紛れて、手を叩くふりだけした。
私の代わりに演奏を引き受けた彼女の音は、とても美しくて、その響きがホール全体を震わせだすと、私達はその初めて出会う曲の世界に引き込まれていった。
その世界の真ん中には彼女がいた。その指先からどんどん世界が紡ぎ出されて広がっていく。
友人によって五線譜に描かれた音楽を胸の内にとりこみ、しかし自由自在に彼女はその世界を私たちの前に描いてみせる。しかもその演奏は、楽譜に記された道筋をきちんと示していながらも、その日その時刻でしか見られない風景を展開させていた。

曲を書くだけなら、デモ音源に演奏させればいい。
自分の気持ちを過不足なく伝えるのに空気は邪魔だ。口づけでもしない限り、イヤホンで自作自演を聴かせでもしない限り、それは出来ない。
作曲家と聴衆の間に雨を降らせ虹をかけられるのは演奏家しかいない。作曲家の解釈を、聴衆の感受性を、最大限に広げられるのは私達なのだ。
同じ歳の友人はそれを生まれた時から備わっている能力であるかのように、軽々とこなしてみせる。羨ましかった。
母は、私にはまだその力が備わっていないと判断したのだとわかった。

先日、新曲をたくさん用意したライブが終演した。
足を運んでくれた人たちが、それぞれの言葉で感想を述べてくれるのを聞き、その中には私の気がつかなかった(けれど作曲者の真の意図だった)ものについて言及する人もいて、私を通してひとつ世界が生まれたのだなと感じた。録音を聴いてはじめて自分の為したことに気づいて、鳥肌がたった。
私に託された音符は、空気を震わせることを待っている。来たる日まで、その音を私の中で醸造するのが、私の役目だ。

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