世界の堰堤(改)

 泣きながらするセックスは随分と気持ちのいいものだったなあと、後になって思い返した。大晦日のことだった。
 私の肉体は、冷えきった巨大な肉塊に組み敷かれ、きしんだ音を立てた。 男は、機械の状態を確かめるように私の体のあちこちをためすつがめつした後にゆっくりと体の中へ侵入してきた。


相手の顔も思い出せないのに、その性器とセックスの感触だけは思い起こされる。
 二次元的な運動が繰り返される中で少しずつ変化していく体温や感触を媒介にして、精神的な世界へ昇華させるという点において、性行為と宗教的儀式は似通っている。あの男は私と世界を繋ぐ傀儡だった。では、それを持たない身である現在、私はどうやって世界と干渉すればいいの。
 私はこれまでの男のひとりひとりの性器を思い浮かべながら、年越しの食卓を彩るため、ヴァイスブリュストを茹でた。最後に寝た男の性器にそっくりだ。彼の性器も噛み付いたら中から柔らかい匂いとともに水っぽい肉が現れるのだろうか。
 食卓に上がったそれは、白い食器の上でぐでんと横たわっていた。

「セックスで泣いた」とAに告げると、Aはワイングラスを磨く手を止めずにこちらを一瞥し
「入れられた瞬間に泣けるって、ミルク飲み人形みたい」
と呆れた声を上げた。Aは話の内容に構うことなく、食卓に置かれたヴァイスブリュストにナイフを差し込み、器用に皮を剥いてみせる。付け合わせの甘めのマスタードのにおいと混じり、生臭い湯気が立ち上がった。
 ベランダに置いておいた酒はどれも、きんきんに冷えて飲み頃だった。まずAが持ってきたフラウエンワインで乾杯をした後、思い思いに酒を飲み、チーズやブリュストを胃に入れた。


 最近ろくに食事を摂っていなかったことに気が付いたのは、夜十時を回ったころ、Aが鴨南蛮の椀を差し出した時だった。食道を暖かい汁が通って、体の内側の炉に灯りが灯ったのを感じた。
 年明けまであと三十分という頃になると、あちこちから爆竹や打ち上げ花火の音が響いてくる。耶蘇の国の年越しはにぎやかだ。
「そろそろ行くか」
食卓を片付けて防寒着を着込むAに
「どこに行くの」
と尋ねると、
「年越しを祝いに、橋まで行こう。あと三十分だよ」
Aがにやりと微笑んだ。


寮の扉を開け外に出ると、霧が立ち込めていた。顔回りを覆ったストールにたちまち水滴が染み込む。
 道路に出ると、多くの若者が花火やビールを片手に同じ方向に歩いていた。Aと私も、その流れに紛れて旧市街の中心部を目指す。
 新年に向けて橋の方向へ皆で走ることは、とても愉快で滑稽だった。

 不思議だ。
 どこにいても新年は迎えられるのに、まるで橋の上に「新年」が降臨する予言を受けたかのように、皆でそれを捕まえようとしている。
 白くけぶった、対岸の花火を眺めている光景は、思い返すと夢の中の出来事のように儚い。
 水面に映る大きな花火や、水中でも発火し続ける花火が絶え間なく輝いているのを眺めながら、私は暖かくてとろりとした時のなかに閉じ込められていた。
 けれど実際は落ちてくる燃えかすに逃げ惑ったたり、大きな爆音に呆れたり、いつこちらにやってくるかも知れないねずみ花火に怯えたりしながら、汗が冷えて声が枯れるまで笑っていたのだ。笑い疲れて深呼吸をすると、肺の奥まで湿った煙たい空気が潜り込んでくる。しかし、私の内側に灯った炎は揺らぎながらも決して弱まることは無かった。


 騒ぎつかれ電池が切れたようになった体を引きずりながら、黙ってAの部屋に帰ると、床に敷いた埃だらけのマットレスに倒れ込み死んだように眠った。目を瞑ると、脳裏では幾つもの花火が柔らかく開花していた。
 一夜明けて、高台から見下ろした街は、川に寄り添って静かに眠っていた。二日酔いの頭に、正午を告げる教会の鐘が鳴り響く。
 こうしてまた日常は滑らかに続いていくのだ。

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