見出し画像

心の届く、範囲の話。

突然ですが、物凄く私事ですが、
私がここ数年ずっとやりたいと
思っていることを
書きたいと思います。


高校生あたりから、私は
「自分の気持ちを言葉で伝える」
という行為に対して、
異様にシビアになり、
心の中の100%を相手に伝える方法を
ずっと模索してきました。

私のコミュニケーションの大半は
言葉に頼り切りで、
でもそんなに上手く
言葉を扱えるわけでもなく。

心の中を伝えたい気持ちで
いっぱいに満たして
なんとか言葉にして伝えるけれど
「伝わった!」
と思える瞬間はほぼ無くて。


伝わった!
と思えたのは、写真と絵でした。

私の撮った写真や描いた絵を見て
友人がくれた感想を聞いた時、
本当に「伝わった」と思えて
泣きたくなるくらい
嬉しかったのを覚えています。


私には、たまたまそういう、
言葉以外のツールがあって
想像力を持って私の気持ちを
受け取ろうとしてくれる友人がいて

めちゃくちゃに恵まれていたと思います。

ここ数年で思うのは、
多くの人が、
コミュニケーションを割と
サボっているのではないかということ。

コミュニケーションというのは
双方向に作用するものなので
伝える側の努力、
受け取る側の努力、
その両方が必要だと思うのですが

どっちもサボりすぎじゃない?と。

気持ちを言葉にする時、
何通りの言い方を考えるでしょうか。
言葉を受け取る時、
受け取り方を何通り考えるでしょうか?

多分、ひとつだけ、という人が
結構多いんじゃないでしょうか。

こうも取れるよね、とか
こう言い換えることもできるよね、とか
全部全部、想像して、
発信してるのかな。


対面のコミュニケーションであれば
意図しない伝わり方をした時、
すぐに気付くことができる(場合が多い)し、
訂正することが出来る。

でもSNSを始めとした
文字でのコミュニケーションには
時差が発生するし、
表情やテンションが見えないので
受け取れる情報はかなり少ない。

意図していたのと違った伝わり方をしていても、気付かないことも多いはず。

私たちは、伝えることにおいて
プロじゃない。
SNSの上ではそれを書いている人が
どんな人なのか、見えてこない。

見えてないのに、
書かれた文字だけで、
想像を膨らませて、受け取る。

それにはもう、
とてつもない自分バイアスが
かかっていると思うんです。

でも、それに気付かない。


人間は、コミュニケーションする
動物です。

コミュニケーションすることで、
群れを作り、集落を作り、
生き残ってきた動物です。

これからも、きっと、そうです。

人間の目が、他の動物に比べて
白目が多く見えている理由は、
コミュニケーションに
「視線」が重要だからだそうです。


だからサボらないでいたい。
伝えることも、受け取ることも。

伝わるまで伝える。
伝えることを怖がらない。
受け取り方に、気を付ける。
受け取ることをサボらない。

「察する」ということは、
とても親しい間柄でも難しい。

そういう教育を、して欲しい。

そうしたら、
悲しい出来事は少し、
減っていくのではないかと
思うんです。

そしてアートというものは、
コミュニケーションの為の
「想像力」を養うのに
ものすごく良いと思うんです。

そういうことを、
大きな声で言えるようになりたい。

そんな、今日この頃の私です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?