Twitterが大の苦手だった私が再開するまでの話をしてみようと思う
SNSが苦手なんです。
そう聞いた時、あなたはどう思うでしょうか。
いまやSNSは生活の一部になったといっても過言ではないほどの地位を確立しました。
このデジタルの時代において、SNSが苦手という性質は大きなハンデになるとあなたは考えるでしょうか。「時代についていけていないやつだ」と見る人もいるかもしれません。
しかし、SNSが苦手だと感じるのには相応の理由や背景があるものです。
かくいう私もSNSが大の苦手でした。
特にTwitterはずっと合わないと感じていました。
私の場合でいうと、
「満たされることのない承認欲求に振り回されるのに疲れた」
「承認欲求が渦巻くタイムラインにウンザリした」
「見たくもないツイートがいいねされて、それがタイムラインに上がってくると嫌でも見なければならないのが不快で仕方がなかった」
など、枚挙に暇がありません。
それが原因で、数年に渡ってほぼDM用としての使い方しかできなかったほどです。
では、そんな大のSNS嫌いであったはずの私がなぜ、またTwitterを使い始めようと思ったのでしょうか。
そんなお話を、今回はストーリー形式で書いていこうと思います。
(全部で5000文字以上あるので、お時間のある時にどうぞ)
承認欲求が渦巻くTwitterが嫌いでしょうがなかった
話は、私がブログアフィリエイトに取り組んでいた頃(2015年~2017年)まで遡ります。
当時、こんな成果報告ツイートをタイムライン上でよく目にしました。
『今月、収益20万円いきました!』
『ねえ聞いて・・・私、今月50万いったみたい』
『月間PV10000突破しました!』
ブログ・アフィリエイト界隈ではこんな感じの「みてみて!」ツイートがタイムラインによく流れてきていました。
こういうツイートを目にするたびに、うまくいっていない側にいた当時の私は自分の不甲斐なさを痛感しました。
「私はここでもうまくいかないのか」と。
私は当時、うつ病の治療中で、会社も辞めた後でした。
精神的にもかなりデリケートな時期だったので、こういうサクセスストーリーを目にするたびに私は自分を責めた。
飲んでいた薬の影響もあったし、体力が今ほど回復していたわけでもない。
それでも、「とにかく手を動かせ」「記事を多く書け」という言葉に頭を悩ませながらも、何千文字にも及ぶ記事をたくさん書こうとして、自分の体に鞭を打っていった。
しかし、調子が悪い日になるとその反動がまとめてやってきて、一日中、場合によっては数日にかけて寝込んでしまう。これが当時の私にとってのお決まりのパターンでした。
でもそんな状態をよそに、別の誰かがどこかで成果を上げている。
タイムラインにふっと現れるその成果報告からその事実を突きつけられるたびに、ひどく頭が痛くなるような、体に力が入らなくなるような、そんな感覚に陥りました。
そこに追い討ちをかけるかのように、ある時からTwitterでは『リツイートだけでなく、いいねされたツイートまでタイムラインに表示される』ようになっていました。
以来、見たくなかったツイートまでタイムラインにポンポン上がってくるようになり、嫌いだった人がバンバン成果を上げている状況すら嫌でも目にしなければならなかった。
その度に私は自分を責めていました。「なんてダメな人間なんだ」「こんなにやってもダメなのか」「あいつは成果を上げているのに」と。
成功したいのは私も同じ。
自由を手にしたいのは私も同じ。
良い思いをしたいのは私も同じ。
でも、頑張ろうとすればするほど、理想から遠ざかっていく。
心と体に鞭を打てば打つほど、正反対の地獄へと近付いていく。
そして私は、Twitterのアイコンを見ることすら辛くなっていました。
本当はね、その人がこれまで過ごしてきた環境も、持っている能力も経験も、アプローチも、すべて私と違うから結果の出方も違って当然なんです。その人にはその人のペースが、私には私のペースがあったというだけのこと。
でも当時の私は・・・そのことに気が付けるだけの余裕がなかった。
あらゆる方向から追い込まれていました。
そう、たったひとりの味方であったはずの自分自身からも。
そしてTwitterを開くことが辛くなった私は、TwitterをDMでの連絡用としてだけ使うようにして、あとは一切開かないようにしました。
時々、なにかのイベントがあった時に気まぐれでツイートしたりすることはあったものの、基本はDM用としての運用は相変わらずでした。
そのスタンスのまま数年が経ち、年号は令和に変わり、2020年になりました。
きっかけは、1月末にある友人と話したこと
そして2020年1月末。私は、数年前に開かれたアフィリエイターのオフ会で知り合った友人に会いに、2年振りぐらいに首都圏まで行くことにしました。
実はもうひとつ先に用事があったのですが、その友人と会うことも遠征の一大イベントであったことは間違いありません。せっかく首都圏まで行くんだから、久しぶりに会いにいきたい。純粋にそう思ったんですね。
Twitterから離れて全然連絡を取れていなかったにも関わらず、彼は私に会うためにわざわざ日程を調整してくれました。
Twitter上で誇れるような実績も持たない、何者でもない私と、前と変わらずこうして会ってくれる人がいるというのは本当に財産だなと思いました。彼には感謝の気持ちしかありません。
そして当日の夜。私は彼が待つお店に足を運びました。
正直な話、2~3年会っていなかったので、どんな外見だったかまではあまり覚えていませんでした。
それでも、話した時の雰囲気は当時に限りなく近いと感じました。
「ああ、そういえばあの時もこんな感じだったな」という、どこか懐かしい感じでした。
どうやら私がTwitterを離れている間に、彼にもいろいろあったようでした。
詳細はここでは伏せますが、お酒を飲みながら、『お互いの近況報告』『アフィリエイト界隈の現在』など、いろいろ話しているうちに、話題は"転職のためにいろいろ動いている"私の話に。
私には英語を勉強していた時期がありました。留学していた経験もあります。
その経験が活かせたらいいなぁと漠然と思ってはいたけど、考えれば考えるほど自分のやりたいことがわからなくなってしまっていました。
その語学力についても、私にとっては当たり前のことのようにしか思っていなかったことでした。
ですが、話をしていくうちに、彼は「戦い方次第では他の人が持っていない強みになりますよ」と私に気付かせてくれた。
能力や経験のかけ算。それが独自の価値を創り上げる。
その夜、彼が私に教えてくれたことでした。
それだけではなく、彼はTwitterの使い方も転職用に変えるよう提案してくれたのです。
今のアカウントを使って、一気にアプローチを変えるか。
あるいは、新しくアカウントを作って、転職活動用として運用するか。
厳密にはそこから先の話もありましたが、彼との話の中で私は、『フォローする対象(情報の取り方)や発信する情報そのものを変えていく』という新しい視点を得ることができました。
情報を取りに行く先を変える。使い方を変える。
たったこれだけと感じるかもしれないことなのに、私はそのことを今まで考えもしなかった。その時の私にとっては、まさに目からウロコだったのです。
クソリプやらマウントやら承認欲求やら、混沌としたイメージのTwitterも、使い方次第では有用な情報収集ツールになり得るのだと、その日私は再認識しました。
そしてその新しい視点が、私のTwitterとの向き合い方を大きく変えることになりました。
向き合い方を変えて印象がガラッと変わった一ヶ月
転職活動用の別のアカウントを設けるようにしたけど、今のアカウントとの向き合い方も試しに変えてみようと思った私は、まずフォローしているアカウントの見直しをしました。
その上で、プロフィールも一新して、生まれ変わったようにフォローする属性も変えていきました。
私の場合だと、昔はブログ・アフィリエイト関連のツイートをしている方々が主でしたが、今はどうかというと、
・転職や職場の人間関係に関連するツイートをしている方々
・経営者の方々 (エネルギーに満ち溢れた方、紆余曲折を経ている方)
・同じような経験をしてきて苦労しながらも人生を良くしようと奮闘している方々
など、「この人の発信からはいい刺激をもらえるなぁ」「気が合いそうだなぁ」と思った方々を中心にフォローするようにしました。
その結果、再開してこの1ヶ月の間、気が滅入って一日中寝込むということは全く起こっていません。
むしろ、いい刺激がもらえるツイートや共感できるツイートばかりで、「私もがんばろう」とエネルギーをもらえています。
といっても、タイムラインを必死に追おうとすると情報過多で疲れることはもちろんあります。そういう時は一旦時間を置いたり、オフを設けることもあります。
それでも、前のように体力も気力も一気に奪われるほどではない。これだけでも、少し前まで「Twitterはどす黒い魔境だ」と偏見を持っていた私にとっては、劇的といえるほどの変化でした。
この経験から、「ツールそのものに悪はなくて、使い方次第で印象も変わるんだ」ということを数年の休眠期間を経て私はようやく学びました。
あれだけSNSが苦手で仕方なかった自分だけど、変われば変わるものだと我ながら感心したほどです。
「こういう風になりたい」という人柄が感じられる情報を発信している人だったり、「勉強になるなぁ」っていう内容を発信している人をフォローしてみる。
あるいは、禅や仏教の言葉のように、いつの時代にも当てはまる普遍的なこと、『本質』を突いている発言をしている人でもいいかもしれません。
そうすることで、刺激がもらえるだけでなく、そういった情報にすすんでアクセスするように自分の脳の考え方や意識の向け方が書き換わっていく。その結果、より良い考え方ができるようになっていく。
「こんなに当たり前のようなことなのに、どうしてもっと早く気が付かなかったのか」とすら思います。しかし人間は、重なった出来事の対処に追われるうちに、いつの間にか殻に閉じこもってしまいがちな生きもののようです。
どん底の状態にいる時ほど、思い切って誰かに会いに行って話をしてみる。そこから今までになかった新しい視点が得られることもある。このことを私は今回の経験から学びました。
「人間が、変わろうと思ったら、本を読んでてもダメ。ビデオを見ててもダメ。人に会わないといけないんです。」
ずっと頭の片隅に残っていた、大愚和尚のこの言葉。
本当にその通りでした。
もちろん、SNSをやらないのもひとつの選択肢
とはいえ、今までの私がそうだったように、SNSにものすごく苦手意識を持っている人もいると思います。あなたがもし今そう思っているんだとしたら、私は「いいんですよ」と伝えたい。
インターネットがすっかり生活に不可欠な存在になった今、インターネット上で見える情報がすべてと錯覚してしまいがちです。
でもね、実はSNS一切やってませんっていう人も世の中には意外といるんですよね。あのLINEですらやってないっていう人もいるぐらいです。
それもひとつの生き方ですし、堂々とやってませんって言えるのも素敵だなって思います。自分をしっかり持ってるんだなぁって思うし、目の前の生活を大切にできているっていうことでもあるから。
だから「SNSが苦手だと思うのはそんなにいけないことですか?」って思いつめないでほしいなと思います。人それぞれに合う合わないってあるものだし、合わないからといってそれが悪いということでもない。
それに、人生のタイミングもあるんだと思います。辛くてしょうがないと今感じているんだとしたら、今はまだ使うタイミングではないという可能性もあります。
でも、もし今あなたが「やっぱり使ってみたいなぁ・・・でもなぁ」と情報の質を気にしていらっしゃるのであれば。ネガティブな情報に飲み込まれてしまうことを心配していらっしゃるのであれば。
今回の私のように、使い方(アプローチ)を変えてみることをあなたに提案したい。
時間と共に価値観が変わったり、環境が変わったら、「今までのあの不快感はなんだったんだ」と思うぐらい気にならなくなることもあります。
然るべきタイミングが訪れたら、情報を取る先を見直したり、フォローする対象を一気にガラッと変えてみる。
たったこれだけかもしれない。でも、わかっていたようで実は見えなくなっていることってあるんです。そのたったこれだけのことが、今までとは全く別の世界を見せてくれるかもしれません。
SNS(特にTwitter)を見るのが辛いと感じているあなたにとって、なにかのヒントになれば幸いです。
追記 (2020年9月15日):
200日近く、何回か距離を置きながら私なりに続けてきましたが、いろいろ思うところがあって、結局Twitterの使用をやめることにしました。
ここに書いたような方法で続けてみて、その上でやっぱり合わないと分かったので、もうそれは仕方がない。無理に続ける必要はないという結論に至りました。
この記事を書いた当時の私のように、もう一度チャレンジしてみようかなと思った方はチャレンジしてみてもいいのではないかなと思います。参考になれば幸いです。
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