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「続ける」で自分を変えていく


「続ける」を「続ける」。


noteを始めると同時に毎日更新を続けて110日になろうとしています。


ある時から、「毎日続けられててすごいです!」と言われることも出てきました。でも本人からすれば、1を日々積み重ねているだけなので、たいしたことをしている感覚はなく、なにがどうすごいのかよくわからないのです。


0の地点からある程度積み上げられた数字を見ると、すごそうに見えるのでしょう。そりゃあ0の地点から100とか365ってみたら「うひゃー!」ってなりますよね。それで「すごい」という言葉が出てくるんだろうかと、ちょっと考えていました。


確かに、続けることは簡単なことではありません。

1日のなかでそれなりの時間を確保する必要があるし、毎日更新するのが辛いと思う時もあります。

時間の使い方を変える必要が出てきます。


私の場合で言うなら、noteの毎日更新を始めるのと引き換えに手放したものもいくつかあります。

ゲーム。あと、動画・配信を長時間視聴すること。

その結果として得たのが『書くことへの興味』と『時間』でした。


気分転換に動画や配信を観ることはありますが、時間ができたらすぐチェックする、ということはなくなりました。前は何時間も費やせていたこれらに対する興味が薄れてしまって、たまたま手放せたのもあるかもしれません。


前は好きだったものがしんどいと感じる時。それは、「今はまだ戻る時じゃない」というサイン。その時がまた来るか来ないかは別として、いまは一旦離れる時なのであれば、それまで別のことをやってみよう。そんな時に私の意識が拾ったのがこのnoteという場でした。


そこからは良い循環が回り始めました。


私の場合、noteが合っていたというだけですが、合っている場所が見つかったおかげで、「続ける」が伝染して、これまで長く続かなかったデンタルフロスも筋トレも続けられています。



肝心のnoteに投稿している内容は、特にテーマが決まっているわけでもなく、誰かの力になれているのかわからないようなものが多いですが。


記事を2~3投稿したらすぐフォロワーが100、200と増えるようなアカウントでもないし、お役立ち情報を投稿できているわけでもない。ましてや、「なにこの人の文章超おもろいけらけら」っていう文章が書けているわけでもない。


それでも、毎日「続けることを続ける」行為は、少しずつ自分自身を変える力になってきているようです。noteという場には表れなかったとしても、自分自身の変化として表れ始めています。


その副産物として、特別面白いことを書いているわけではない私をフォローしてくださったり、定期的に読みに来てくださったりする物好きな方もポツンポツンと増えてきていますから、ありがたい限りです。


私は言うなれば、辺境にポツンと立っている、ちょっと独特な趣のある本屋みたいなものです。だから客数はそんなに多くはないけど、続けていけばコアな誰かが見つけて訪ねてくれる。静かなところが好きな人もいる。そのぐらいの立ち位置が平和でいいのかなと最近ちょっと思います。


最初は1から始まる。時にはそれは0.1かもしれないし、0.01にしかならないかもしれないけど、それは0ではない。

それを積み重ねていった先には、必ずなにかが変わっている。


それぞれの投稿の出来はともかく、毎日素振りと実験を続けることで、なにかが良くなっていくはず。ひょっとしたら、ある時とんでもないものができるかもしれない。その時に備えて、素振り(アイディアのひねり出し)と、フォームの調整をしていく。いざという時に大きく打てるように。


嵐がやってくると作物が台無しになってしまうように、ある時にうっかり忘れて更新が途切れてしまうこともあるかもしれません。


その時が来るまで、私は日数の数だけ、粛々と、着実に1を積み重ねていこうと思います。

なによりも、自分自身をより良い方向へ進めていくために。


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