書けない日と、ハートマークを見たくないと思ってしまう日について


書きたいことがわかっているのに書けない。

そんな日が時々訪れる。そして今日はその日のようだ。


書こうと思っていたことが頭のなかにいくつかあって、それぞれの続きを浮かべていくけど、いざ書く瞬間になるとパタッと手が止まってしまう。


それは、脳の奥でかかっている靄が阻んでいるからだろうか。

それとも、みぞおちの辺りに今も渦巻いている、やり場のない感情が私の心を乱しているのだろうか。


怒り。悲しみ。虚しさ。自分に対して感じている不甲斐なさ。


その他の名状しがたいものも含めて、いろいろな感情が入り混じって、でもそれをどこにぶつけていいかわからずにみぞおちの辺りをちくちく痛め続けている。そして、なにか苛立つことが起こるたびに、その言葉では表せない複雑な感情を増幅させる。脳に靄がかかったような感覚が、私の正常な判断を阻む。


書きたいことはわかっているのに、朝には手がつかず、昼頃には別の書きたいことが浮かんだものの、夕方になると気力が湧かず、夜は更けてしまった。

ダメだ、今日中には書けそうにない。


「やる気がないだけだ」

「根性がないだけだ」

「他の人は仕事から帰ってからでも書いてる」


そんな声がどこからともなく聞こえてくる。

それはそうかもしれない。

私に力量がないのもそうかもしれないし、根性がないのもそうかもしれない。

ただ、そうはいっても、やる気だけでなんとかできるなら、とにかく書けで書けるなら、誰も苦労していない。


これまでに何度か病気をしてエネルギーレベルが下がってしまったこともあって、もう無理はできない。

今日は書けそうにない。

書くべき気分ではないのかもしれない。


こんな気分の時に安易なハートマークがついてしまえば、下手をすると「いや、あんたになにがわかんの?!」と逆上してしまいそうで。そうはなりたくないと思っていたとしても。


わかったような態度を取られると腹が立つ。

いいねだけで済まされると腹が立つ。

人間、生きていれば、そんな複雑な気分の時だってあるものだ。

少なくとも、私の場合は。


だから、こんな時のために『#スキしないで』ならぬ、『スキを許可しない』設定が欲しい。切実に。

もっと言うと、スキの数字を表示させない設定も。


スキは手軽だ。でも手軽ゆえに心のなかの気持ちは伝わらないし、初めにその意味を明確にしておかなければ、誤解を与えてしまいかねない。


「あーはいはい」程度の気持ちでも、「めちゃくちゃよかったこの記事!」という強い気持ちでも、言葉にしない限りは、同じ1にしかならないのだ。


それなのに、その数字がついていなければ、あたかも『この記事はよくないものだ』という見られ方をされがちだ。Twitterのいいねといい、私はハートマークのそういうところが嫌いなのだ。これを書いている間にも、考えただけで無性に腹が立ってきた。


『スキ』は本当に『スキ』とは限らない。『どうでもいいけどとりあえず押しておいた』かもしれないし、場合によっては『ざまあ』である可能性だってなきにしもあらずなのだ。それでも、同じ1になってしまうのだ。


『#スキしてみて』というハッシュタグもあるけど、そのタグを見てしまうと私はスキを押したくなくなってしまう。


私はそんな見せかけの数字をただ増やしたいのではない。

私が数字を嫌っている理由のひとつは『数字は本当に大事なことほど教えてくれないから』だ。

私にとっては、その『スキ』の奥にあるあなたの気持ちのほうが大事で、そっちを知りたいのだ。



. . . こうして書き殴っているうちに、ひとつのテーマについて書けていたようだ。そして、私のイライラのひとつが目に見えるようになった。

なるほど、私は相当ソーシャルメディアっぽさが嫌いらしい。


『コメントを許可しない』設定はプレミアムならあるようだけど、『スキを許可しない』設定がないのはどうしてなんだろうと、ある時からずっと気になっていた。

『スキ』をなくしたら、もうnoteじゃなくていいんじゃないの?ということだろうか。


noteの使い心地は好きだし、できるならこれからもnoteで続けていきたいと思っているけど、コメントの許可設定だけではなく、スキを許可するかしないかの自由もあっていいのではないだろうか。YouTubeにも評価ボタンの設定があるように。


きっと、言葉に出していなくても、意味があまりにも不透明な『スキ』や『いいね』に疲れてしまった人もきっと少なくないはずなのだ。


私がスキを押す時は本当に気に入った時だけで、社交辞令のスキではないということは断言できる。


ただ、私自身が疑問に思ってしまっているからか、最近はあまりスキも押したくなくなってしまった。

「そのスキは本当はどういう意味なのよ?」と、同じような思いを誰かにさせてしまっているのではないかという懸念が離れなくて。


考えすぎだという声がどこかから聞こえてきそうだけど、気になってしまうものは気になってしまうのだ。

「『スキ』が嫌いってどういうこと? もうnoteじゃなくていいじゃん。なにこの人。」と思われるかもしれない。かまうものか。やり場のない気持ちはこうやって吐き出すしかないのだ。

人間、表に出していないだけで、こういうモヤモヤのひとつやふたつは抱えているものだ。だから、顔も名前も知らない、どこかで同じ思いを抱えているであろう誰かの気持ちを代弁してみた次第だ。


誤解のないように言っておくと、私はいつもハートマーク(スキ・いいね)が嫌いというわけではない。ある程度親しいnoterさんからつけてもらえたら嬉しいし、読んでもらえていることがわかるだけでも励みになる時もよくある。

最後に付け加えておくと、「その日の気分によってそれが煩わしいと感じる時がある」ということを言いたかったのである。


ここ数日のやりきれない感情の渦のなかで書きたいことが書けずに、前々からの不満と疑問を感情任せに書いてみたら、こんなとげのある話になってしまった、というだけの話なのでご了承ください。


以上、ある夜のとりとめのない話でした。


※今回の内容に『スキ』は不要です。


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