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秋の空に消えた短い夢
「短い夢だったかぁ . . . 」
温かく、ドキドキする時間は、秋の風に乗って、移り気な秋の空へと溶けて消えていった。
◇
「今日は楽しかった!ありがとう!」
昼から一緒に出かけて、終電の少し前ぐらいの解散にも関わらず、屈託のない笑顔であなたは嬉しそうに口にした。
「今日はありがとね。着いたらまた連絡して。」
そう口にした私に対して、あなたは頷いた。
駅のホームから電車に乗ったあなたは、席に座ると、私から目を離さずに手を振り続けた。ドアが閉じてからも、発車してからも。見えなくなるまで、手を振り続けた。
でも、その時の私は知らなかった。
あなたが私から目を離さずに、見えなくなるまで手を振っていた、もうひとつの理由を。
◇◇
「会うのは今日で最後にしよう」
家に着いたであろう相手は突然こう切り出した。
「〇〇のことは好きだけど、価値観の一致って大事だと思うから」
私は事態をよく飲み込めなかった。
あんなに楽しそうにしていたのが嘘みたいな豹変ぶりだ。
舞い上がってしまったあまり、知らず知らずのうちになにかまずいことをしてしまったのだろうか。
そのことを確かめようとしても、相手は一方的に会話を打ち切った。
天から地へと。空が落ちていくような感覚が頭のなかで渦巻いて、寝ようとしても目を閉じていられなかった。
翌日になって、相手は少し長めのテキストを送ってきた。
あろうことか、後出しで私の悪いところを指摘し始めたのだ。
まるで、「いまからあなたの採点を行います。反論は受け付けません。」と言わんばかりのトーンで。
「ああいう話、聞きたくなかったんだけど」
「本当に好きならあの場面であんなことさせないと思うけど」
交際を続けるならいずれは向き合わなければならない問題ばかりだった。事実、この話をしたら、最悪相手が私のもとを離れるかもしれないという覚悟を持って私は臨んだつもりだった。
幸か不幸か、私と相手の価値観の相性を確かめるために、相手へと投げかけた『少し突っ込んだ話』と『ある判断』は、"見せかけの優しさ"に覆われた相手の仮面を真っ二つに割るのに一役買ったようだった。
「価値観の違いなだけであって、責めているわけじゃないから」
最後に添えられた言い訳。
明らかに私を責めているトーンの前では、そんな言い訳は意味を成さなかった。
出逢ってから今に至るまでのこの短い期間で起きたことが早送りのように脳裏をよぎったあと、私のなかでガラスが割れるような鋭い音が聞こえた気がした。
でもそれは、私が再起不能になるまで傷ついた時のものとはまた違った。
真実の鏡が相手の本性を映し出して、幻想が打ち破られた音だった。
素敵な人だなと思っていたのにな。
なかなか人には言えない問題にも理解を示してくれる人とやっと出会えたと思っていたのにな。
やっと心のドアを開けて迎えられる人に出会えたと思えたのにな。
この人に喜んでもらいたいと思って努力したつもりだったのにな。
一緒にいて落ち着くと思っていたのにな。
あの日一日、私の前では楽しそうにしていたのに、裏ではこんなことを考えていたんだ。好意に見せかけて私を試していたんだ。
趣味も好きなものも合って、楽しい時間が過ごせていると思っていたのにな。それは私だけだったんだ。
想いの深さの分、最後までしっかり向き合いたいと思って、ちょっと話し合いたいと言っても、言いくるめられると思っているのか、はぐらかして直接話すことはかわそうとしている。
でも自分の言いたいことはテキストで一気に送る。
それはまるで、「自分は悪くない。期待に応えられなかった私が全部悪い。」と言いたいかのようだった。
卑怯な人だなと思った。
「そう . . . 」
私の目から熱がすっと引いていくのを感じた。天井をただ冷たく、ぼんやりと見つめる目に変わっていった。
昨日見たものも。感じたことも。笑顔も。温かさも。
瞳の中に映っていた私の姿さえも。
すべて、幻だったんだ。
楽園が姿を変える。
闇の渦が光を覆う。
目の前にいたら「『嘘をつかない人がいい』と言っておきながら、あなたは私に嘘をついていたんですね。見損ないました。」「卑怯な人なんだね。そんな人だと思わなかった。」などと言ってしまいそうだった。一時の感情に任せて思いっきり言って完膚なきまでに叩きのめしたらスッキリしたのだろうか。その気になればできたのかもしれないけど。
でもそうしなかった。
みぞおちのあたりでムカムカしているやりきれない不快感を抱えながら、ベッドに寝転がった。天井を見ながらiPhoneを手に取って、送られてきたメッセージにどう返そうか考えていたけど、少ししてからそのままiPhoneを放るように置いた。
「やーめた。」
挑発に乗って同じ土俵に上がっても惨めなだけだ。
言わせておけばいい。
好き勝手言ったことを後悔させてやればいい。
自分のことしか考えずに好き勝手言ったことを反省させるために、あえて何も返さずに、静かに幕を下ろす。相手に考えさせるのもまた愛なのだ。
「なーんかバカバカしくなってきた。なんでこんな人を好きになんてなったんだろう。」
あぁ、なるほど。これが盲目になって見えなかった部分、『仮面に隠されていた真実』だったのか。
それなら、引くに引けない状況になる前にわかって、むしろよかったと考えるべきだ。とんだハズレを最後に引かなくて済んだ。いまよりもっと面倒な状況になる前に危機回避ができたことを喜ぶべきなのだ。
みぞおちのあたりに渦巻くムカムカは消えなかった。いまも消えていない。でも、その不快感を晴らそうと捲し立てずに済んでいるのは、年の功だろうか。私が少しは大人になれているということなのだろうか。不快感を覚えながらも、冷静に物事を見られている自分自身に我ながら感心した。人間はこうしてひとつずつ階段を上っていくものなのかもしれない。
「短い夢だったかぁ . . . 」
温かく、ドキドキするような時間は、秋の風に乗って、移り気な秋の空へと溶けて消えていった。
いつか終わりが来ることは覚悟していたつもりだった。けれども、終焉は時として何の前触れもなくやってくる。突然やってくるその終焉に意表を突かれて、人は怒り、悲しみ、戸惑うのだ。この不快感の正体は、その全てが入り混じった複雑な気持ちなのだろう。
そのムカムカした不快感を抑えながら、私は相手の良い部分を見ようとした。価値観の違いはどうしようもないとはいえ、相手の言う通り、私にも落ち度はあったと思うし、相手にもあった。私も相手も人間だ。完璧な人などいないわけだから、それはお互い様だ。
その上で、相手にも良いところがあったのもまた事実。だから相手に惹かれて、相手のことをもっと知りたいと思ったわけだから。そして、一緒に過ごす時間に喜びを感じていたわけだから。
覗き込んだ瞳の中の未来には、既に私がいなかったとしても。
「短い間だったけど、あなたを好きでいられた時間はとても幸せでした。ありがとう。」
その一言を送って綺麗に終わりにしようかとも思ったけど、それさえもやめておいた。私たちの時間は、最後に電車越しに手を振り合ったあの時にはもう終わっていたのだ。なら、その気持ちは胸のなかにしまっておいて、何も言わず、静かに去るのが大人なのだろう。時間と共に浄化されるのを待ちながら。砂になった私の傷心を、秋の風が吹き去ってくれるまで。
昨日の今日だ。
完全に浄化されるまでにまだ時間はかかるかもしれないけど。
私は前に進む。
綺麗に終わることはできなかったけど、相手の仮面が割れるまでの時間は紛れもなく幸せな時間だった。
その仮面を外して私を追い払ったからには、せいぜいその選択を後悔しないような人生を歩みなさい。私のところには戻ってこないこと。それが私に対する、せめてもの礼儀です。
さようなら。
最後に短く、はっきりと決別の言葉を口にしてから、私はメッセージの履歴と相手の連絡先を削除した。
これでいいんだ。
終わりは新たな始まりでもある。
私のことをどこかで待ってくれている人がいるということだ。
まだ顔も名前も知らないその人を迎え入れるために必要な儀式だった。
そう考えることにしよう。
晴れのち曇り。曇りのち雨。そして、雨のち晴れ。
予報にはない天候に遭遇して、迷いと悩みの雲に覆われていた瞳には、いつの間にか光の粒が戻っていた。
秋の空に消えていった短い夢のあと。
どこかで新しい物語が、静かに幕を開けた。
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