『スキ』がもたらしたnote疲れ
機械のようなハートプッシュが今日も私の心を刺す。
いつからだろう。
こんなにスキをつけられることが辛いと感じるようになってしまったのは。
つけてもらえることが嬉しかったはずなのに。
いまは言葉を発しないハートマークが辛い。
『〇〇が△△(記事のタイトル)にスキしました』という通知が来ているんじゃないかと怖くなる。
しっかり最後まで読んでくださっている方々は、『スキをつけないでください』『スキは不要です』と書いている記事にはあえてスキをつけないでいてくれるし、誤ってスキをつけても取り消してくれる。静観してくれているのはありがたいこと。
問題は、自動ツールでつけてくる人たちと、しっかり読んでいない人たち。
『スキをつけないでください』『スキは不要です』という文言をつけようと、「スキをつけたらあわよくば自分のページに訪問してスキ返しかフォローをしてくれるだろう」と機械的にスキをつけてくる。機械的にフォローしてくる。すべてはその人たちが数字で誇示するために。
そんな中身のないスキがこれまで紛れていたとも考えずに、スキに一喜一憂していたこれまでの私自身を恥じた。そんなつまらないものに踊らされていたなんて、なんて愚かで卑しいやつだったんだろうと思ってしまった。
スキなんてあってもなくても変わらないという事実に気付いてしまった。
そんな中身のないスキであっても、同じ1として扱われて、スキが多い記事ほど良い記事と思われてしまいがちなのがこの場所だ。その"良い記事"についているスキのうち、どのぐらいのスキに"中身がある"んだろう。どのぐらいのスキが、心からスキと思って押されたものなんだろう。
極論を言ってしまえば、スキは量産できてしまうということになる。下手をすると、買うことだってできるのかもしれない。それはつまり、良い記事であるように見せる工作すら可能ということになる。
『#スキしてみて』のタグがあったから押したというスキであっても1になって、スキが多ければさらに多くのスキを呼ぶ? スキがたくさんついた記事を固定すれば、「人気の記事みたいだからとりあえず押しておくか」と、さらに多くのスキを呼ぶ? さらに多くのスキを呼べば注目される?
それを考えた時に、スキの多い記事に対して疑いの目を持つようになってしまった。スキをつけてくる人に対して疑いの目を持つようになってしまった。
noteの闇を見てしまったような気持ちだ。
『スキ』ってなんなんだろう。
「あぁ、この人も最後まで読むことなく押してきたのかな」と通知を見て思ってしまう自分自身が嫌になる。
間違えて押してしまっても後からスキを取り消すことはできるけど、通知は取り消せない。だから、通知だけ見ると「この人も読まずに押したのか . . . はぁ . . . 」と、ウンザリしてため息が出る。
「またか . . . もうやめてよ . . . 」と頭が痛くなって他のことが手につかなくなった日もある。
「スキは押さないでくださいって書いてるのになんで押すかなあ . . . なんなの、ホントに」と心底腹が立っていた日もある。
中身のないスキなんて、スキがつかないほうが断然マシ。
『スキ』の中身がこちらからはわからない以上、つけられてしまうことがただただ辛いと感じるようになってしまった。
疑いの気持ちを持ってしまう私自身が嫌になって、さらに辛くなる。
本当は私自身も抱きたくない感情が抑えきれなくなって、表に出てきてしまう。
どうしてこんなに腹を立てなければいけないんだろう。
私だって好きでこんな状態になっているわけではないけど。
どうしてこんなに腹が立つんだろう。
どうしてこんなに悲しくなるんだろう。
どうしてこんなに辛いんだろう。
今日も誰かがこのハートマークを指で押すたびに。
ハートがどこかで割れる音が響く。
割れたハートの破片が私の心に飛んでくる。
「次は誰を疑えばいい」
「次は誰のスキを疑えばいい」
「次は誰に腹を立てなければならない」
「次は誰の名前に苦しまなければならない」
ポジティブな感情を伝える手段のハートマークなはずなのに。
ハートマークにどうしてこんなに苦しまなければならないんだろう。
どうして疑いの気持ちを持たなければならないんだろう。
◇
これほどまでの状態になってしまった実体験から、先日、スキのオン・オフ設定の追加を希望する旨をnoteカイゼン目安箱に投書した。
もし . . . というよりも、noteが私のような弱小noterの声を真剣に考慮するかどうかがそもそも怪しいので、恐らくと言うべきだけど。
このまま『スキ』のオン・オフ設定(許可設定)が導入されないまま、機械的なスキプッシュが続いていく可能性を考えると、今後の身の振り方を考えなければならなくなる。
このままでは、noteのことが嫌いになってしまう。
ここではないどこかへ行かなければならなくなるかもしれない。
「せっかく見つけた、やっと見つけた、自分の居場所だと思ったのに」
そんな言葉が闇の中でこだまする。
こんなことを書かなければならないほど心がざわついている私自身に、頭が痛いと感じている私自身に、ため息が出る。
私だってこんな気持ちになりたくなかった。
こんな記事なんて書きたくなかった。
もっと前向きな内容の記事を書きたい気持ちは山々だ。
それでも、いまはその中身のわからない『スキ』がつらい。
noteのことを考えるのもつらくなってきた。
『スキ』って、なんなんでしょう。
私にはもう、わかりません。
※スキは押さないでください . . .