あなたの勇気あるメッセージが悩めるクリエイターさんを救うかもしれない
ハートマークだけでは伝わらない気持ちがある。
言葉にすることで初めて伝わる気持ちがある。
これまでも、『そのいいねの意味を知りたい』『スキに隠れた意味を知りたい』『コメントのススメ』など、なるべく言葉にして伝えることを勧める記事を何回か書いてきた。
そこには、私が好きだった(応援していた)クリエイターの方が突然活動をやめてしまった経験からくる教訓が強く関係している。
涼雨 零音さんが最近こんな記事を書いていらっしゃったのを偶然知る機会があった。
今回の記事と関連している部分をかいつまんで話すと、音楽活動をやめた後に、ある人から、「涼雨さんの演奏が好きだった。どんなプロとも違う演奏で好きだった。やめてしまったことは残念だ」と言われたことに対して、当時は「なんで今さら言うんだ」「なんで頑張ってやってる時に言ってくれなかったんだ」という気持ちが湧いた、という話が書かれていた。
話はそこで終わってはおらず、書かれていたご自身の経験から、「他に伝えている人がいないかもしれないから、良いと思った作品を出しているクリエイターさんにはそのことを伝えるようにしたい」と考えるようになったそうで、私はこの話に心から共感した。
いくらその人の作品を気に入っていたとしても、その人の人柄に惹かれたとしても、実際にどう思っているのかという気持ちを言葉にして伝えなければ意味がない。
表面だけ見て、当たり前のように作品を出し続けているように見えたとしても、裏では毎日悩み苦しんでいるかもしれない。
自分の持ち味がどんなものかわからない。
本当にこのままでいいのか。
方向性を変えるべきなのか。
本当は誰からも求められてなんていないんじゃないか。
才能のある人間なんてごまんといるし、その人たちばかりが受賞したり、脚光を浴びたりしている。そこに入れない自分が続ける意味なんてあるんだろうか。
生み出し続けるクリエイター側はそんな不安が尽きない。
こうした悩みが膨らみに膨らんで、なにかを引き鉄にある日突然姿を消してしまうかもしれない。
もう◯◯のことを考えたくもない。
もうたくさんだ、と。
そうなれば、伝えたかった気持ちも伝えられなくなるし、どれだけその人の作品を(あるいはその人自身を)好きだったとしても、もう次は拝めなくなる。伝えていたらまだ続けてくれていたかもしれない。
こうした悲しい出来事を何度も経験して後悔してきた身として、「伝えられるうちに、できるなら、いますぐあなたの気持ちを伝えてください」ということを声を大にして言いたい。
照れくさいなどと言っている場合ではない。
あなたが追いかけているクリエイターさんは、今日も裏で悩み苦しんでいるかもしれないし、ヘタをすると、「もうやめようかな...」というところまで追い詰められている可能性だってあるからだ。
あなたが躊躇して、「まあ、また今度でいいか」と面倒くさがっている間に、その人がなんらかの理由で姿を消してしまったらどうだろうか。
そこに"また"はない。
その最後を虚しい形でお互いに迎えてしまうより、できるうちに言葉にして伝えていただきたいのだ。
"また''という言葉には、「これが最後かもしれないけど」という覚悟が要る。今日できるなら今日してしまおう。
コメントやメッセージで伝えるには、ハートマークを押す以上の思い切りとエネルギーが要る。でも、あなたが勇気を出して届けたメッセージが、いまこの瞬間、人知れず絶望の淵で苦しんでいる誰かを救うかもしれない。
やらないまま迎えるのと、やった上で「それでもダメだった」と終わりを迎えるのとでは、後悔と清々しさほどの違いがある。
伝えられるうちに言葉にして伝えてみよう。
あなたが今日、言葉にして伝える決断をすることで、「これでよかったんだ」「もう少し頑張ってみようかな」と踏みとどまってくれるクリエイターさんがいるかもしれないから。
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