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短く、濃く、美しく。
秋の訪れを感じられるようになってきた。
早朝と、夕方から夜にかけては鈴虫やコオロギの鳴き声が聞こえるようになった他、秋の匂いを運ぶ涼しい風も感じられるようになった。
『春』『夏』『秋』『冬』。
どの季節にもそれぞれの良さがあって好きだけど、「一番好きな季節は?」と訊かれたら、私は迷うことなく『秋』と答える。
春と夏が開放感を促す『動の季節』とするなら、秋と冬は哀愁をはじめとする、内側の感情に訴えかけてくる『静の季節』だ。
読書の秋。芸術の秋。音楽の秋。食欲の秋。旅行の秋。
いろいろな秋があるけど、いずれも共通しているのは『感性』と『感覚』だ。よく話題に上がるお月見もまた、感性と感覚があってこそ味わえるもの。
そう、秋は感性の季節なのだ。
秋の涼しい風。濃いオレンジ色の夕焼けに染まる街。それをさらに彩るかのような美しい紅葉。そして、その散り際。
意識を向けてみると、秋を題材にしたのではないかと感じる音楽も意外と多い。パッと思いついた曲でいえば、柴咲コウの『漆黒、十五夜』もそう。GLAYの『出逢ってしまった二人』『Special Thanks』もそうだ。
十五夜はまさにお月見な言葉であるし、
"あの夏 僕らは誰よりも秘かに恋をした"
GLAY 『出逢ってしまった二人』より
"道の向こうに戻れない夏がある"
GLAY 『Special Thanks』より
など、歌詞よりも曲そのものの完成度で良し悪しを判断する演奏側の人間であっても、秋の風を感じるとふと脳裏をよぎる一節がいくつかある。
夕暮れ時に外の景色を見ていると、他の季節以上にセピア色の写真を見ている時のような感覚がじんわりと浮き上がってくる。初めて来る場所であっても、私たちの魂が今の体に宿るよりも遙か前に、同じ場所か似た場所を見たことがあるかのような、どこか懐かしい感覚。
鈴虫の鳴き声を聞きながら、早朝に、夕方に、そして夜に涼しい風を肌で受けながら体に取り込むと、これが妙に落ち着くのだ。
猛暑が身を潜めたと思ったら、あと2ヶ月もすれば冬がやってくる。一年という時間がもうすぐ一周しようとしていると、近付いてくる冬の足音を魂が感じるのだ。
『秋』は美しい。
秋は短い季節でもある。11月ぐらいになれば肌寒い風が意識を冬へと変えていく。短命ゆえの儚さと美しさが秋にはあるのだ。
冬にも秋とは趣の違う美しさがある。雪が解けた後の雪解けの雫に光が反射して、緩やかに春の訪れを告げながら終わりを迎えるのが冬だとするのなら、短命であるがゆえの『散り際は美しく』を体現しているのが秋という季節なのだ。
命の終わりを告げる散り際。
憂い。侘び寂び。郷愁(ノスタルジア)。
短く美しい季節であるからこそ、秋は私たちの心に深く感情の足跡を残していく。
短く、濃く、美しい。
まるで、ヒトの命のように。
そんな秋という短い季節(いのち)を、今年も大事に噛み締めたいものである。
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