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【あなたと私/ナナメの関係】インタビュー第2回:ふくちゃん

あなたと私/ナナメの関係

「あなた」は、いまこの記事を読もうとしてるあなた、
「私」は、インタビューでお話を伺った人です。

このnoteがもし知っているひとのインタビューだったら、その人のことをより深く知ることに。なんの前情報もなく記事を読んでくださっていたら…知らない人だけど、たまたま遭遇した…といったところでしょうか。偶発的な機会。

”ナナメの関係“のひとを知るインタビューシリーズの第2回です。

〈お話を伺った人:ふくちゃん(仮名)〉

プロフィール

栃木県出身。40代、2児の母。次
大学卒業後、小学校教員に就く。次女の産休育休を経た復職時に退職を選択。長女の幼稚園生活が残り1年で保育園への転園を要するとことになったので幼稚園生活を継続させるための選択だった。これがきっかけで現職であるNPO法人が運営する市施設(幼児とその保護者、小学生までが利用できるあそび場)のプレイリーダーに就く。


違和感とめぐり合わせ

――お休みの日はどんな風に過ごしていますか?
 
家族との土日のお休みは、外に出てることが多い。1年前からは平日も2日間休みをもらっている。
1日は(学校を長期お休みしている)次女のためのじかん、もう1日が自分の休みっといった感じで、だれかとおしゃべりしたり、ごはん食べにいったりしてる。前は月いちで行ってたマッサージとかも行きたい。

――やりたいことはありますか?
 
いちばんやりたいのは、あまり学校になじめなかった子がちょっと休みたいときにふらっといける場所をつくること。
親子できつかったから。
自分の子だとなんとか立て直さなきゃ、行かせなきゃって必死になってやってたから、休みたいときにいける場所。そういう場所をつくれたらいいな。いまの職場がそうなればいいと思う。どんな子も受け入れられる場所。
 
――親子の経験がいまの職場で働くきっかけになってる?
 
もともと教員してて違和感をもって働いていた。
産休がいいきっかけ。学校を離れて見れた。
自分の子どもをみて、いまは職場になってる子どもが自由でいられる場所をみて、出会いもあった。
子どもって、指導するとかじゃなくて勝手に遊ぶもの。大人は場所をつくったり、育っていくもの。楽しそうだし。そういうのをみてたらこういうところ(いまの職場)で働きたいなと思っていた。
保育園に入らないと決めたタイミングで、(今の職場から)声をかけられた。ここで働きたいっていうのはその前から主人に言ってた。

幸せのために実践していること

――これまで力をいれてきたことはありますか?
 
アドラー心理学の講座を3,4年受けている。
自分が変わるきっかけになるかなと思った。きっかけはコロナ禍でむっちゃイライラしていたから。子育て始まってからずっといらいらしてるから。
自分を変えるため。子育てに活かすために始めた。
いまは自分の幸せのために生活のなかで実践している。
 
――たとえばどんな実践?
 
はじめは子どもに関わる、人に関わる…ちょっとしたことでも勇気づけていって、少しずつ自分にも相手にも活力を与えていく勉強。
今はそれもやりつつ…縁とかつながりって自分の持ちようによって世界のひろがりがかわっていくから、タイミングを逃さないように、自分をよく保ち続けられるようにしてる。イライラしているときは周りを遮断してるから。
 
――いい状態ってどんな状態ですか?
 
イライラしていない状態。凪のように生きていきたい。無理だけど笑。
最終的には無理な自分もOKって言えたらいいんだけど、いまはその段階には至っていない。イライラするよね笑。
 
――学びのなかで内省ってどんな感じ?
 
だんだん自分に近づいてきてる。
勉強を続けているから、素の自分、何もない、何にも守られていない自分に近づけてきている。
でも、近づく怖さもある。楽しさもある。
楽になって幸せになるんじゃないかな。

発信したいけど、できない

――3、4年継続中のこの講座、どんな講座ですか?
 
ずっと同じ先生で、2週間に一回、オンラインで1時間。
都度メンバーは変わるけどだいたい6人くらいで日常の話をしてシェアリングしてる。それに対してフィードバックをしている。
生活しているだけだと溶けていく、ただ流れていくのが、フィードバックをすると気づけて、ふりかえられるのがいい。
どうだった?って聞かれると、そういえばこんなことがあった、と気づかされる。学び続けてる感じがしている。
今は、ここで気づいたことを発信したいと思ってる。
発信の怖さと戦ってる最中。
今は人のを読ませてもらって、得るものがいっぱいあるから、きっと何か私も発したことで誰かのアンテナにひっかかるのだろうと思うけど、今はまだ怖い。
 
――どんなことを発信したいんですか?
 
日常感じたこと。
いまの仕事とアドラーを学んだことで自分が楽になったから。
で、楽になった自分が伝えられることがある。
職場で(子育てが)大変そうなお母さんをみてると、もっと楽にしたらいいのに、と思う。でもやっぱり急にはみんな変われないし。
ちょっとした手助けできたらいいなと思ってる。
けどもう一人の自分が、いやいやそんな自分えらくないだろう。ていうのと戦ってる。
 

ぽくないこと・自由であること

――小学校の先生にはずっとなりたかった?
 
自分が小学生だったときにすごいおもしろい先生がいた。
車のレースに出てる女性の先生で、スポーツカーで爆音で通勤してくる。
家庭訪問もレーシングカーで各お家をまわるような先生。
ほかにも何人かいたけど、今思えばみんな先生らしくない先生たちがおもしろいなあと思っていた。
あと、母親がやっていたママさんバレーについていったとき、小さい子と勉強することが好きだった。高校生までは先生になりたいという気持ちがはっきりあった。
大学も教育学部を選んで教員免許をとりにいった。
転機がサークルだった。子ども会を運営していた。
週一回子ども会をやるっていう活動。あやしい鍋をつくったり、ノビルをつんできて天ぷらにしたり笑。やりたい放題やった。
 
私がやりたいのは教員なのか?と思ったけど、教員採用試験にも一発で合格し、そのまま流れに身を任せて教職に就いた。
先生はもともと長く続けたい気持ちはなかった。
そのうち辞めますと公言していたくらい。やりたい科目も特になく、まんべんなくやって先生になるための勉強と思ってやっていた。
 
――子ども会は好評でしたか?
 
地域では、あの子ども会の子は学生に慣れてるから、お互いやりたい放題だったから、地域の学童からは扱いづらいと定評があった笑。
あいつら言うこと聞かない、みたいな。
子どもが自由な場所だった。

子どもがいる場所で何もしない

Q.得意なこと (または不得意なこと)を教えてください。
 
最近気が付いたんだけど、得意なことは、子どもが周りにいても苦痛に感じない、むしろ楽しい(ということ)。多分母親もそういう人だったから、家にけっこういろんな人んちの子どもが出入りしてて。私がいないのに同級生の子がお茶のみに来てたりとかしてて。それが当たり前だった。
逆に子どもが苦手な人がいるのを大人になって知った。
「よく平気だね~」ってすごい言われる。
子ども預けてごめんね~、みたいな。
すごい言われるけど、別に(自分は)何をしてるでもなく、勝手に子どもらはなんかやってる。
大人だと気を遣う。お茶出しますかとか、お菓子どうぞとか。

――いまの社会に足りないものは何だと思いますか?
 
寛容さ。大体でいいじゃん。
自由な方がうまくいく気がしてるけど、けっこう細かいルールがある。
私もそうだけど、こうじゃなきゃ、~しなきゃがすごいいっぱいある。
学校も職場も、いろんなところで~ねばならない、子どもだから~しちゃいけない、ランドセルじゃなきゃいけない、学校にサンダルで来ちゃいけない、とか。どうでもいいじゃん。
安全を最重視してるのはわかるけど、本当にそれじゃなきゃいけないのかなっていうのをもうちょっと考えられたら楽なのかなー。
自分も課してきちゃった。母親だからこうしなきゃいけないみたいに課してきたから、余計に思うかもしれないけど。
 
――10年後のご自分のイメージを教えてください。
 
子どもふたりとも成人してる。その時も外でわちゃわちゃ、自分の子ではないけど、わいわい言われながら過ごしていたい。
おばあちゃんになって、知らないひとたちの子どもたちの中にいられたらいいなー。何もしないけどね。鬼ごっこもできないけどね。そういう風に過ごせてたらいいなあ。

おわり        
                 (聞き手・記録  あらき あやこ)


インタビュー後記

“一貫しているものは何だろう?”
ひとからまとまった時間お話を伺うとき、途中からサーチし出します。
ふくちゃんの場合、早い段階から”自由”がキーをなってるなと思いました。
かつての職場、子どもに与える/与えられる環境、ルール化されていない目に見えないたくさんのルール・・
違和感が気づかせてくれた”自由であること”と”寛容であること”の重要性。
ひとそれぞれ価値観は違います。
無数にある価値観のなかでより大切な価値観は、
その方の経験によって際立ってくるものだと感じました。


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