おぞうに

出版社で仕事をしています。 音楽が好きです、美術も好きです。 宜しくお願い致します。

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  • 暮らしの制作日誌

    日々の暮らしや、出版の仕事で感じたことを、書きながら整理する制作日誌です。 宜しくお願い致します。

最近の記事

制作日誌5 不倫小説を書く人は不倫しているのか 作品に真理や意味は必要か

不倫小説を書いた人が必ずしも不倫しているわけでなく、素晴らしい道徳小説を書いた人の人間性が必ずしも良いわけでなく、また時代小説を書く人はその時代の精神であらねばいかんのか?というとそういうわけでもなく。 要は、作品と人間を分けて見る、作品に、必ずしも作り手の人間性の粋や、道徳的極地、人生の極北が含まれているわけではない。 むしろ、作品に道徳や意味、作家の独創性を見出すようになったのは、割と近代の傾向で、基本的には、神の最高傑作である自然の模写、王や教会のパトロン用に芸術を

    • 制作日誌4 今を「精神的ないし肉体的に、自分の操作が及ぶ範囲」と仮説づけて、暮らしてみる姿勢

      今を大事に生きようといわれると むっとしませんか、反骨精神沸いてしまうというか。 根っこの部分で、「まあ僕は今を大事にしているけどね」といった、相手からの、上目立場な言葉と受け取ってしまうというか、自分だって必死なんだぞ、お前に何がわかるんだと。 とにかくまあ、とはいえ、遥か昔から使われている、含蓄ある(らしい)言葉を無碍にしてはいけないなと。 一時期、それなりに「今を大事に生きるとは?」を考えていたわけです。 東洋哲学でも、今(無)は大きなテーマですしね。 そもそも、

      • 制作日誌3 論理哲学論考とフラニーとゾーイーが、「論理内外」への挑戦だった

        論理と神秘(感性)の限界、バランスとは。 論理学に興味を持ったのは もしかして、論理や言語は万能ではないんじゃないか? 不信感を持ったことがきっかけだった。 岩波文庫青版の読破を人生の目標にしており、 (大学1年生からはじめて、道はまだまだ遠いですが) 聖書や原始仏教、西洋哲学、東洋哲学を乱読してるさなか、 論理哲学論考に会ったことが、 並行して、サリンジャーのフラニーとゾーイーを読んでいたことが、 1つのターニングポイントだった。 岩波文庫には、長年の人類の英知、思想

        • 制作日誌2意味づけについて考える、トランス状態の文章など

          言語化出来ないものを、言語化する練習をしている。 何か良いなとか、言葉に出来ない とかから逃げる。 言語化するということは、人の理性の範疇に置く、つまるところ、意味を与えることになる。 言語の世界が全てであるという価値観もあり、 言語道断、言語ではたどり着けない世界もあるよといったアプローチもあり、神秘体験・非言語の世界で得たことを、言語にしなきゃいけないよといったアプローチもあり。 井筒俊彦氏の意味文節理論、大きな何かに対して、名前を与え 存在を分節し、意味を与えていく

        制作日誌5 不倫小説を書く人は不倫しているのか 作品に真理や意味は必要か

        • 制作日誌4 今を「精神的ないし肉体的に、自分の操作が及ぶ範囲」と仮説づけて、暮らしてみる姿勢

        • 制作日誌3 論理哲学論考とフラニーとゾーイーが、「論理内外」への挑戦だった

        • 制作日誌2意味づけについて考える、トランス状態の文章など

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          制作日誌1 良さを言葉にするものの、言葉は分割出来うる最小要素なのか?

          良さとは何かを、日々考える。 学生時代、惚れ込んだ友人のバンドが全く受けなかった時、 フジロックのメイン会場で流れていた映像表現に感動して、VJを始めた時、 雑誌や書籍の内容や装丁を見ている時、 本場のアートが見たい!とメトロポリタン美術館で一人で行った時。 何かを見て、「良いな」と思った瞬間に、なんで良いんだろう、何が良いんだろう、とよく考える。出来れば言葉にしていきたい。 良さとは何だろう。答えが見つかり次第、過去の自分に教えてあげたいし、 将来の自分が延々と向き合

          制作日誌1 良さを言葉にするものの、言葉は分割出来うる最小要素なのか?