本質を見ると心が楽になる
以前は本質という言葉を、なんとなくウソくさく感じて調べようともしなかった。しかし最近はそれ(本質)を見極めることで、ホッと心穏やかになるのを知り、”本質探し”にハマっている。
わさわさ生い茂る森や林をかき分けて、やっと見つける根っこや原石。本質探しはこんな喜びがある。
その本質探しをする数分間。頭の中ではこんなことを行う。
たとえば火。
まずはその対象(火)にもっている先入観、見えている姿形の情報、自分の今の気分など、「揺れ動くもの」をすべて取り払う。時間と共に移り変わるものをどんどん外してゆく。
揺れるものとは・・たとえば火は熱い、赤い、燃える、煙が出る、火事、焚き火、ゆらゆら、落ち着く、暖かい、もしくは燃え上がる。
これらは全て、時間の経過とともに常に動き、変わる。
火の大きさは風に左右され、火の場所によって温度が変わる。一瞬たりとも同じ形はない。
火に、木材や摩擦、燃料などが加わると火事や焚き火になる。
火を見て何を感じるかは、見る人の状態や性格に左右する。
ではここで考えてみる。
火の本質は?
本質とは・・・不変なもの。そのもの、基底になるもの。本性。
ズバリ、火の本質は「光輝」。
火が存在するあいだ中、いっさい変わることがないのは放たれる「光」。
火が小さくとも大きくなろうとも、最後まで変わっていないのは光輝である。風に揺られても、寒さに晒されても、周りが明るくとも暗くとも、光は一定して放たれる。環境に左右されず、なんの影響も受けない。
火の本質、「不変でなにの影響も受けない」のは光輝・・。
では、太陽は?水は?土は?
どんな天気、気温であれ、
新鮮だろうと古くなろうと変わらないものは?
それは太陽においては「光」、水においては「味」、土においては「芳香」である・・・。
このようなものを本質と捉える。
ものの奥底に深く横たわるもの。どんな環境の影響も受けないもの、老いていく中でも唯一変わらないもの。
それをいちいち探すのが楽しくて仕方がない・・・。
今触っているMacBookの本質は、、OSでしょうか。
キーボードや本体は古くなるし、アプリは入れ替えされるし、情報も入れ替わる。唯一変わらないものといえば、パソコンを動かす基盤となるOS。
OS無しではどんな演算処理やアプリ操作もできない。OSがインストールされていないパソコンは、「仏作って魂入れず」とも言える・・・。
・・・こんな調子で日常的に身の回りで起こること、人間関係の中に本質を見るようにしている。
目の前の人は、気分は揺れるし、こうしている間にも体は老いているし、昨日は私を好いていても今日は嫌いかもしれない。今は親しくても、数ヶ月後まったく縁が切れているかもしれない。
その人との関わりの本質はなんだろう?
ふわふわと揺れ変わる条件をすべて取り除いた時に、
根底に深く横たわっているものはなんだろう?不変なもの。。
どんな気分にも左右されず、年月にも影響を受けず、その関わりの本質とは・・。
「目的」とも言えるだろうか。
それは相手によって違うだろう。
たとえば会社での関係であれば・・・売上を上げること。
恋人であれば・・・愛情を伝えること。
友人であれば・・・お互いの人生に彩りを添えること。
親族であれば・・・血縁。
コミュニケーションがどんな形であれ、その根底にある関係性はどんな時も変わらない。
本質は、よい時も悪い時も、その下に大きく深く横たわるものである。
それを心に留めて、見失いかけたらまた思い出して、そのために行動するとよいのではないだろうか。
揺れて見える火の中で「不変である光輝」をみて、
魚が泳ぐ海の「海底」をみて、
植物の「種」をみて、
竜巻の「目」をみて・・・。
といった感じで本質探しにハマっている私です。
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