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「足るを知る」は人生好転のパワーを持っている。


足るを知る=「足りている」ことを知ること。足りない足りないと欲しがらずに、もうすでにあるものに気づく”力”。

足るを知る、という言葉と意味を知ってからしばらくは、それが腑に落ちることはなく。
どういうこと〜 とぼんやり考えながら数ヶ月が過ぎました。


雷のように腹落ちした瞬間


すごく天気の良い日に駅まで歩いていたある日。

ふと、その瞬間が訪れる。

突然訪れたその瞬間、
その前と後でたぶん私の中身はまるっと入れ替わってしまったと思う。
(これ本当)


・・・ぽかぽかに晴れた日。


太陽が背中に当たっていながら、駅まで歩いている。
あったかぁい。しあわせ。


ふと足に意識が向く。


右足、左足。
丈夫な足をもっているなぁ。


呼吸に意識が向く。


空気を吸う。吐いて・・また吸う。
これ、空気がなかったら、やばいな・・・


着ている服に意識が向く。


服を着ている。あったかい。


靴を履いて、足が守られている。ありがたい。


そういえば、いつもスーパーに行けば必要な野菜が買えるなぁ。


どこにも不自由しない体をもっているな。


今日はこれから人に会って、笑顔を交わすことができる。


・・・これらがもし無くなってしまったら?


欠けてしまったら?



きっと苦しいと思う。


けれど今、もうすでにもっていた。
備わっていた。


与えられていた。


今日も帰る家があるし、
あたたかい布団に入って、安心して眠る。


朝になればまた、自然と目が覚める、体がまた動く。


しばらくしてちゃんとお腹が空いて、食べたいものがすぐそこにある。


仕事に行けば、自分の得意なことを、望んだことをして人の貴重な時間をいただく。


はたまた喜んでいただく。


今日も爪はちゃんと伸びてくるし、
二日酔いで大ダメージの体もちゃんと回復してくれる。
無茶をしようものなら体はいつもサインを出してくれる。


・・・これだけ充分に、


たくさんのことに恵まれていることを今まで知っていただろうか。
気付いていただろうか?


たぶん・・もともとは知っていたのかも。



いつのまにか、まわりにばかり目を向けるようになって。



まだないものを見て指をくわえるようにして、
もう何年も過ごしていたようだ。


・・こんな感じで足るを知るデビューをしたのでした。。笑


みるみる自分の中の渇いたところが、満たされてゆく感覚。
どこか暗く濁って見えた視界が、
バババーーっ!と鮮やかな色がつき、クリアに見えたのです。


ついさっきまで肩に乗っていた、何年も抱えてきた
鉛のような大きな重りが、ふわぁ〜と浮かんで消えていった感覚を覚えています。


・・・



なんとなんと贅沢な世の中なのだろうと、すべてが足りすぎているように思えてきて。


選ぶほどの服があり、


不自由なくヨガができる体があり、


野菜売り場で大量のブロッコリーの中から良いものを選ぶことだって出来る。


迷うほどの靴があり、


五感を使って世界のいろんなことを体験できる。


必要として連絡をくれる人がいる。


きれいで立派な建物で暮らせる。


もともと充分すぎるものを持っている


ついさっきまで、
あれがまだない、まだ足りてない。
もっと、もっと。

そういう目で世の中を見ていた。


これ、キリがないぞ・・


出口がない。


ずーっと永遠に欲のトンネルが続いてるだけだ。


もしかしたら、その止めどない欲が自分を苦しめているのでは・・?


ないものを見る。


もうもっている贅沢なものに気づかないでいる。


こんなに手元、足元に尊いものがあふれているのに。


だから、他人を見ては目移りしてしまうんだろうな。


自分に目を向ければ、いつも変わらず足りている。それも十分に。

他人にあるものを持ってないかもしれないけれど、

自分が与えられているものはだれにも奪えないものだ。



もしなにかが無くなってしまっても、

それでもやっぱり、十分すぎるほど持っているのだ。



足るを知ってからというものの
たまねぎのようにぺろりぺろりと"欲しい"の皮が剥がれ落ちてゆくのでした。


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