視覚をコントロールするちから

ほんとうは何も見たくないんだけど、起きている以上、何かを見なければならない。そんな気分の時もある。

視覚から入る情報は膨大だ。そんな膨大な情報を、目を開けている間じゅうずっと、脳は処理し続けているわけだ。たまに休みたくなるのもわかる。しかもそれが、考えたくないこと、あるいは逆にとても気になっていること、そういうことだと少し心の平穏が乱される。

できることなら目をつぶってしまいたい。
それが叶わぬのならみたいものだけ見ていたい。

しかし、今日の人間社会においてはそのどちらも危険なことである。
目を閉じるのは、周囲への拒絶のアピールになってしまうし、
じっとみるのは、自分のものならよいけれども、他人だと見られた相手、ものだった場合はその持ち主の気分を害してしまうかもしれない。

一人の部屋や、家族との空間、みんながそれを見ることが決まっている場所、そういうところだと楽で、できることならずっとそういうところにとどまっていたい。気にしすぎなだけかもしれないけれども。
そうして、居心地が悪いときはしかたなく、スマホに集中するか、斜めの方向を向いたり、下を向いたり。目線を適切な間隔で泳がせることで目線によるストレスをだれかに与えることを回避するよう努める。(あまり早いと、これまた指摘の対象になるらしいのでそれも注意しないといけないらしい。)

***

そんなある日、出かけた私は、不思議な感覚に襲われる。
目は開いている。前を見る。いつもの同じような景色が眼前に広がる。ただいつもよりいろんなものが美しくみえる。人の目線も気にならない。
ついに視覚を制御する能力を身につけたかと、手に入れた不思議な感覚に歓喜した。


しばらくして気がつく、
そうか、コンタクト入れ忘れてきたんだ。

以来私は、ときどき狙って特殊な能力を手に入れることができるようになった。

#エッセイ #コラム #視線 #視界 #コンタクトレンズ #目を閉じる #人間社会

最後まで読んでいただきありがとうございます。こうして言葉を介して繋がれることがとても嬉しいです。