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喜びたいきもち

当時、庭の大きな木には1人乗りのハンモックがかかっていた。
夏の朝、太陽が昇って暑くなる前のほんの少しの時間。夏休みのあいだ、ラジオ体操にいくことに決めていた母と私は、帰ってそのハンモックで少し休むことにした。

「ねえお願いだから少し待ってて」

その時、とてもいい考えが私に浮かんだ。母にハンモックの座を譲り、走って家に戻った。いそいそと準備をし、帰りはそーっと足を運んだ。

「わあ、ミルクティー!」

そう、その時私は、お気に入りのマグカップに母の好きなミルクティーをなみなみそそいで持ってくるという作戦を思いついて決行したのだった。

意図して誰かを喜ばせようと思い、大成功を収める、という最初の記憶。私の中では、その後もずっと忘れられない記憶。記憶を通り越して今はもう信条のようなものになっている。


その後何年間もいろんな人とお付き合いする中で、「誰かを喜ばせる」ことの難しさを実感する。
目の前の人に喜んでもらいたい、と思っただけなのに、誤解されることもあれば、反対にすごく気を遣われてしまうこともある。正直、がっかりすることも起きたし、なんて心の狭い人なんだろう、と思ったこともあった。

でもそれは至極当たり前のことなのだと、ある出会いが気づかせてくれた。人を喜ばせることはとても難しいということ。その人のことを大切に思って、よく知って、一緒に過ごして、それはもちろんとっても大事なこと。しかし、それでもまだ足りない。

喜んでほしい気持ちと喜びたい気持ち。

それはあるいは愛という言葉でも置き換えられるのかもしれない。愛したい気持ちと、愛してほしい気持ち。その両方が重なって、そこに深い喜びが生まれる。


でも。
それでも私は、ぐうぜん向かい合ったその人にも、喜んでもらえることがあったらいいなと考えを巡らせる。それは、向かい合ったそのときから、その人が私の大切な人になるかもしれないから。

#エッセイ #喜び #愛 #サプライズ #贈り物 #思い出 #優しい時間

最後まで読んでいただきありがとうございます。こうして言葉を介して繋がれることがとても嬉しいです。