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わたしを生きることにした

実は今日は誕生日です。
29歳になりました。

周りを見渡せば、この数年で結婚した大学の同級生が多数、子どもを産んだ高校時代の親友、育児に奮闘する大学時代の友だち、そしていつのまにか後輩たちも続々と結婚するような歳になっていました。

一方でわたしは適応障害・パニック障害・睡眠障害持ちのニートで、もっぱらK-POPのオタクが生業の日々。

高校からの友だちが母になった日、大学の後輩が結婚したと知った日
めでたい気持ちももちろんあったけど、本当は少し寂しかった。
もう高校生のころの私と彼女の関係には戻れない気がしたからだと今はなんとなく思う。
彼女たちの一番大切なものがわたしから旦那さんへ、子どもたちへ変わったことがどうしても寂しかった。

でも、みんなはわたしのために生きている訳じゃない。
みんなは、彼らはそれぞれの人生をただ毎日過ごしていただけだった。
そう気づいたのは、本当に最近のことだった。

わたしも自分だけの人生を歩いてもいいんだとようやく気付いた。
親に褒めてもらいたい、上司に認められたい、友だちにすごいと思ってもらいたい。

でも視点を変えてみたら、自分で自分を満足させてあげられているか、自分で自分を認めているか。
そういうことには無頓着だった。

誰かと自分を比べて優越感に浸ることで自分のプライドを守り、誰かから褒められることで自分の存在意義を肯定してきただけだった。
誰かの存在を土台にして生きていい理由を探していた。

自分で自分を生きていい人間だと思うためにはどうしたらいいだろう。

小さな、誰も気づかないだろうけど、世の中にとって「いいこと」をしようと思い立った。

例えば、家の中で糸くずやほこりが落ちていたら拾って捨てる。
家族のお皿洗い係を買って出る。
アクアクララのボトルを家の中まで運ぶ。
生協で届いた食料品を冷蔵庫にしまう。
どれも今まではめんどくさくて避けていた、見て見ぬふりをしていたこと。

家族に「ありがとう」を言われるときもあれば、言われないときもある。
でも、自分で自分に言ってあげる。

「わたし偉いじゃん」

そうすると少しむず痒いけど、少し達成感が出る。
そうして少しずつ、私による私のための「偉いじゃん」貯金をしていく。


今はまだ全然完璧じゃない。
心の病気は治ってないし、睡眠薬を飲まないと夜は眠れない。

でも、それでもいいと思うことにした。

朝、目覚める。生きてる。「すごいじゃん」
ごはんを食べる。「前はご飯食べられなかったのに、ちゃんとごはん食べて偉いじゃん」
食べ終わった食器を洗う。「わたしめちゃくちゃ偉いじゃん」

出かける支度をする。これはとてもとても気力がいる。
顔を洗ってスキンケアをする。「もう200点越え」
メイクをする。自分のためだけにかわいい色のシャドウを塗る。「シャドウのキラキラかわいいじゃん。わたしかわいいじゃん」
髪の毛をセットする。ここも難関。でも今の髪色はピンクベージュだから、寝癖だけ直せば十分かわいい。「わたし最高」


こうやって、どんな小さなことでも自分を褒めてあげることにした。

特に髪色を変えてからは、鏡で見るたびに、髪の毛を光にすかしては「髪の毛かわいい」イコール「そんな髪の毛のわたしいいじゃん」と思うようになった。

側から見れば自意識過剰なのかもしれない。
でも自分ぐらいは自分のことを「偉いじゃん」「かわいい」「最高」って言ってあげたい。

いや、自分だからこそ言ってあげたい。

「今日もわたしお皿洗いしてめちゃくちゃ偉いじゃん」
「洗濯物取り込んでたたむなんて、これ次のコンサートのチケット絶対当たるわ」
「ハローワークに仕事探しに行くとか神レベル。帰ったらアイス食べよ」
「病院の予約時間に間に合うわたし、かっこいい」


そうやって、自分がしたことを自分で褒めて、自分の人生の定規を自分だけのものにしていく。


そしたら他人が何をしていようが、「わたしはわたしのオリジナル人生ものさしで生きているので」と割り切れてしまうと思うから。

わたしのオリジナル人生定規は、「いま呼吸をして生きている」で100点満点。

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