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お互いの“すき”が違くても

久しぶりののんびり日曜日。
家族で過ごすのではなく、わたしは下北沢でお友達とランチをした。

その間“パパと子どもたちの3人で遊んでる”のかと思いきや

子どもがお友達と遊びたい…って。


9歳と11歳の男の子。


もうこんなに大きくなって、ママとパパと一緒にいて楽しいことなんてそこまでなくて。それよりもお友達と公園で遊んでいる方が何より楽しいことはわかっている。

わたしはひとりが大好きで、やりたいことのほとんどがひとりですることなのです。
だから急なスケジュール変更でひとりになってもへっちゃらだし、なんなら喜んでしまうかもしれない。

私にとっての休日は“わたしの休日”なんだよね。ここ最近特に。

子どもにとってのそれも“俺たちの休日”になってきているということ(いいことだね)


でも旦那さんにとっての休日は
「子どもを楽しませたい」「家族のために」という想いが強く
“家族で過ごす有意義な日”だった。


子育てをしていて、ここ最近何度も思うことは
「あーこうして変わっていくんだ」ということ。

そして「家族みんなが自然と柔軟でいるって難しいな」ということ。


ママであるわたしは休日以外も密にコミュニケーションをとっているから、子どものここ最近の悩みや夢中になっていることなんかもわかる。

でもパパはどうかなって考えると、なかなかキャッチできていない。
物理的に話す時間が少ないので。変化にもママのわたしに比べたら気づいていないこともある。


子どもの成長とともに一緒にいる時間は減っていき、そして過ごし方も変わっていく。


よーしきたきたわたしの休日!!と思っているわたしと

あれ?いらない感じ?と拍子抜けしているパパ。

関わり方が変わっただけだよって絶対に落ち込まないように伝えたいって思った。


パパは優しいなっていう気持ちと、パパとわたしこうして2人になっていくんだなって実感し始めている。


ランチが終わったわたしはパパと合流して、行きたいお店に次々に行った。
(わたしの休日!なので)

お香を買いにフレングランスショップ、古本屋さん、日記帳屋さん、本屋さん。
見事に全てにパパは全く興味がなくて。

ママが一緒じゃないと下北沢を歩くのはきつい、とまで言い出す。

見たい映画の話やここの古本屋さんの良さなども話しても分かり合えない。
買いたい本を買えてホクホクしているわたしのこの気持ちを理解してもらうことは難しい。


こんなにもお互いの“すき”が違っても
一緒にいて支え合って家族として何年もかけて育っていっている。


他人の2人(=夫婦)が共通の命(=子ども)を育てるってまじで大変。
だって育ってきた環境や信じていることや、すき!が違ったりするのだから。
わたしの当たり前はわたしだけの当たり前だし。

でもこの関係を心地よいものにしていく努力を諦めずに、大人になるまで健康に命が続くようにホクホクとした心を育てられるように何度でも話し合いながら頑張るんだよね。


ここ最近大きな話し合いをしたばかりのわたしたち夫婦。


すき!が違くて「へーーーーーー」って気のない相槌をし合いながらも
人間と人間で深く今繋がれている気がするって思えた。


パパが本屋さんの外でベンチに座ってつまんなそうに待っていてくれて
買った本を次々に持ってくれて隣で一緒に歩いてくれている時に、そう思った。



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