見出し画像

香りで読み解くクラシック【ドビュッシーの「牧神」と「海」編】2020年加筆改訂版

これは2018年7月、東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に出演させていただいた折の、音と香りの妄想記録を加筆修正したものです。

---------------------------------------------------------------------------

標題音楽と香りのコーディネーション

ただいま弾かせていただいているのは、記録的暑さの東京にひとときの涼を音楽で与えてくれる、涼やかなオール・フレンチプログラム。
C.ドビュッシー作曲《牧神の午後への前奏曲》《海ー管弦楽のための3つの素描ー》について、妄想が捗ったので香りを見立ててみようと思います。

今回は標題音楽なので、音楽から想定される情景があらかじめ決まっているのですが、タイトルが《海》だからってマリンノートを見立てるのはいくらなんでも安直すぎるので、ここは作品が発表された時代まで遡り、ドビュッシーを取り巻く人間模様に注目して、香りの見立てをすることにします。
(完全に歴史的ゴシップレポーターのようでもある)

クロード・ドビュッシーと女性スキャンダル

ドビュッシーは《牧神の午後への前奏曲》で一躍作曲家としての名声を得てスターダムを駆け上がります。反対に《海》を作曲した時期あたりから、徐々に表舞台を退いていくことになるのですが、これら二つの作品と時期を同じくして、大きな女性スキャンダルが起こっています。

1894年、ドビュッシーの売れない時代を献身的に支えた元恋人Aと、Aの友人でドビュッシーの現婚約者Bがもめた末、元恋人Aはピストル自殺を図ります。
この事件を経たのち、ドビュッシーは婚約者Bと結婚。
このスキャンダルがきっかけとなり、駆け出しのドビュッシーに多大な支援をしていた同じく作曲家のE.ショーソンと決別します。
自身も作曲家として活動しながら、若手芸術家を支援するほど芸術に対し情熱的で、かつ裕福な家庭の出であったショーソンは、不誠実なドビュッシーを許せるはずもありません。
なんたってお金も貸してたもんね・・ドビュッシーは借りたお金でお洒落ないい服を着て、インテリアにこだわり、ましてや週1で後輩サティにご飯をおごってたっていう・・おいおい・・

そして1905年になると愛人Cの妊娠が発覚、その愛人との逃避行にショックを受けたドビュッシーの現妻Bは元恋人Aと同じく、コンコルド広場でピストル自殺未遂事件を起こします。
この物騒すぎるスキャンダルはイメージダウン甚だしく、《海》が世間に受け入れられなくなる大きなきっかけを作ってしまうのです。

この愛人Cこそ、ドビュッシーの”宿命の女”であったエンマ・バルダック。
彼女はすでに銀行家の妻であったにもかかわらず、有能な芸術家たちと隠れた恋愛関係を結んでいました。
女遊びに慣れたフォーレ君とも付き合っていたけど私やっぱりキレッキレのドビュッシー君の方が・・ということで、最終的にはドビュッシーと結婚することになります。
そしてシュシュ(=キャベツちゃん)の愛称で親しまれた娘、ドリーを授かるのです。

世間がスキャンダルだと騒ぐのもなんのその、二人にとっての二度目の結婚は短い期間ではあったものの、幸せだったのだといいます。
ドビュッシーは幼少期の頃の話をしたがらなかったといいますが、生育段階で損ねた可能性のある愛着形成に、一応の決着がついたのだともいえましょう。

しかしやはり周囲が二人を見る目は厳しく、経済的・社会的支援を絶たれたドビュッシー、実家からの援助を受けられなくなったエンマの関係は、次第に冷え切っていったのでした。
「金の切れ目は縁の切れ目」とは、よく言ったものです。

音楽史上稀に見るダメンズの話になってますが、そのダメンズが歴代の女性に送った楽曲はどれも傑作ばかり。「亜麻色の髪の乙女」「夜想曲」「喜びの島」「子供の領分」などなど、今もどこかで耳にしたことのある楽曲ばかりです。
その後の破談話を知るにつけ、フクザツ。

香りのお見立ていたします

さて、そんなドビュッシーと女たちとの生き様をさらっと辿ったところで、香りの見立てをしていこうと思います。

沢山の詩人たちと縁の深かったドビュッシー、中でも特に親交の深かったマラルメの官能詩《半獣神の午後》に、自分を重ねることがあったのかなかったのか…エンマ・バルダックをニンフに、ドビュッシーを夢想に耽る半獣神に見立てまして、ちょっとエロティックな香りを合わせてみました。

画像1

宿命の女 エンマ・バルダックには
ムスク・アイリス・ヴァイオレットリーフのアコードが冷ややかな香り・・マラルメの詩では水に飛び込むニンフたち、まさに女の肌を思い起こさせるdiptyqueのフルール・ド・ポー。
女の中に隠されたエロスを、ふいと爽やかにさりげなく(その裏でしどけなく)表現することのできるフルール・ド・ポーは、ここ数年のdiptyque作品の中でも、かなりの人気作。

肌に乗せた瞬間に馴染み、まるで自分の肌から香りが花開くような、届きそうで届かない、見えそうで見えない、自分のものになりそうでならない・・ホラ捕まえてごらんなさい?と言わんばかりの、女の余裕を思わせる香りです。

C・ドビュッシーの彷徨う情愛には
オーセンティックなフゼア(=男性香水)のアコードで、汗が引いた後の塩気を帯びたようなトンカビーンとハーブ、スパイスの香りがなんともしどけない、同じくdiptyqueのオードラヴァンド(現在廃盤)。
フルール・ド・ポーと重ねてつけると、とたんにトンカビーンがずしりと香りだし、ため息と共に全身の力が抜けたような、気怠いムードある香りになります。

画像2

喜びの島に至るまで、その愛の気配には
スキャンダルの内側に秘められた愛の気配は、安息香の香りがゆるく漂うベンジョワン・ボエーム。
ほんの少しのマニッシュ感に懐かしさを含めたお香の香りは、包容力そのもの。信じ合う二人にしか生まれない特別な安心感、これまでの悲しみをすべて包んで癒してゆくような、柔らかで色のある香りです。

本当はどうだったかなんて分からないけれど、仕事にプライベートを持ち込んでいたようで持ち込んでいなかったようで、でもやっぱり持ち込んでいたかもしれないドビュッシー。

「音楽の本質は形式ではなく、色とリズムを持った時間である」

彼の言葉そのものの徹底した筆致と、プライベートの関わりはいかに…その心と真実はどこにあるのかを考えると、いろいろと表現への妄想が捗ります。

まとめ

フルール・ド・ポーとオードラヴァンドは、香りとしても軽く涼しげなので夏にすっきり使えるのもいいところ。
「あれ・・この人なんだか気になるかもしれない、ドキドキするかもしれない・・」
を、現代的に演出するには、とても良い香りです。

前回のように、「モテたいならバラ!」のような分かりやすさはないけれど、ちょっとニッチ?な分、人と被るのがイヤな人にもおすすめです。

「宿命の女」という言葉にピンとくる方は、ぜひ纏ってみてはいかがでしょうか。

頂戴したサポートは、より良い音楽・演奏コンテンツをお届けするべく製作費として使わせていただきます。ご支援・応援のほど、よろしくお願いいたします!