すきだった、なんて言ってあげないよという呪いの話
それはたとえば、幼い頃に読んだ絵本であったり、高校生のときに友達と貸し借りした文庫本のことを記憶の中から取り出そうとするとき。いまよりも前のことを思い出しながら、私の口はしばしば、きちんと時間の経過を汲み取って動く。こんなふうに。
「あの頃、好きだったんだよね」って。
ただ「むかし」のことを話しているときは、べつだんなんとも思わない。でも中には、自分の声を耳にした一瞬のちに、はっと胸を押されるような痛みを憶えるときも、ある。その痛みは泣くほどではないけど、たぶん誰もが知っているつんとさみしいにおいがして、心の柔らかいところをひそやかに刺す。
(……あの本のこと、今はもう「好きだった」の箱に入れてるんだ)
ほかでもない自分自身にそのことを気づかされるとき、いつだって胸がぎゅっとなる。くちびるからこぼれたことばを耳が拾ったときには、もうその一瞬で、どうしようもなく分かってしまうからだ。自分が「今も好きと信じているつもりだったもの」への気持ちを、いつしか「過去のもの」として選り分けて、自分から切り離していたんだなって。身勝手に注いでいた「好き」を、身勝手に裏切ってしまった。そんな気持ちになるのだと思う。
もちろん、世の中にも私の中にも、たくさんの色々な「好き」がある。一瞬一瞬時間が流れていくたびに新しくなっていく私は、ずっと同じままではいられないのだし、今も続いていようが過去のものであろうが、一度生まれた気持ちが損なわれるわけではない。
ただ時には、それはもう身勝手に、ずっと「好き」を続けていきたい、ずっとそうであると信じたいものがあって。そうしたものが日々や時間に溶けていってしまったと悟るとき、私はやっぱり、ずっと好きなままではいられなかったことを切なく思うのだった。だって、「好きだった」から。
「あなたの愛した少女小説について書いてください」というお話をいただいてエッセイを書こうとしたとき、まずは記憶の中へ手を伸ばして、今まで読んできた少女小説を思い返すことから始めた。あの柔らかくてさみしい痛みを、少し予感しながら。けれども現れたのは、ときどき感じるそれではなくて。もっともっと身勝手きわまりないものだった。
――ぜったいに、「好きだった」なんて言ってあげないんだから。
それはちょっと呪いめいていて、なんだかびっくりしてしまうくらい強い気持ちだった。でも私にとっては本当で、本当にするための願いのようなものでもあって。ああそうだな、そうだね。と、すとんと納得する強さで燃えているものだった。……まあ、いささか圧が強めで、頑なすぎるような気もするけれども……。
そんなこんなで書いた、呪いのようなおまじないのような、私の「好き」についての短いエッセイが掲載された『少女文学 第一号』が、通販開始になりました。少女小説や本がお好きな方なら、きっと手に取らずにはいられないだろう豪華な小説合同誌です。
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みんながみんな同じ「好き」を持ってはいないし、もしかするとずっと同じ「好き」なままではないかもしれないけれど。この本のために書いたエッセイは、私なりの、少女小説へのラブレターです。
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