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ショートショート『恐竜時代』

【あらすじ】
ブラック企業で働く由美と有希は、日頃のストレスを解消するために茨城県つくば市にある植物園にやって来た。
そこで童心に返った2人には恐竜が見え……。


「ねえ、これ見て。恐竜時代」

そう言って、有希の隣にいた由美が突然、視界から消えた。有希が目線を落とすと、由美はすぐ横で無邪気な笑顔を見せながら、しゃがんでいる。

川又由美が無邪気なのは笑顔だけでない。岩田有希と同期入社の彼女は、よく言えば知的好奇心旺盛で、悪く言えば夢見る夢子ちゃんである。
新入社員同士の飲み会で名前が似ていることから会話が始まり、2人はすぐに仲良くなった。現実主義の有希、どこかフワフワしている由美。正反対だが、絶妙なバランスで友情を深めていった。

有希と由美は研究学園都市である茨城県つくば市の植物園に来ていた。金属メーカーに勤める2人は、毎日深夜までパソコンに向かい、うんうん唸るばかりの仕事に嫌気が差している。
有希は品質保証部、由美は資材部と部署は違うがこの会社の人材不足は深刻で、2人のような若手且つ独身の社員に仕事が容赦なく降りかかる。

そんな日々から逃げ出したくて、たまには植物を見て癒されようと父が植物園に勤務している有希がそう提案した。
父親譲りで植物が大好きな彼女は、酔うと多肉植物の魅力を延々と語る。周りが面倒くさそうに聞いている中で、好奇心旺盛な由美だけは頷きながら聞き、質問をしてくる。でも有希は酔っているので、毎回質問の内容を忘れてしまう。質問されたこと自体は覚えているのだが、肝心の中身がすっぽりと抜けてしまうのだ。由美も由美で、後日再び質問してくるなんてことは決してしなかった。

「何してんのよ」

有希が、しゃがんでいる由美を見て呆れている。

「こうやってね。しゃがんで歩くと、植物が大きく見えるでしょ。これはすごいよ。恐竜時代だよ」

由美によると、しゃがんで歩くと目線が低くなるので、植物が大きく見える。恐竜が生きていた時代は植物が今よりずっと大きかったはずで、まるでタイムスリップしたかのように感じられるのだそうだ。

恐竜が生きていた時代は、ジュラ紀だとか白亜紀だとか複数の名称がある。それを雑に一括りし、「恐竜時代」と無邪気な笑顔を向ける由美のことが有希は少し羨ましい。

机に飲みかけの缶コーヒーが2つも3つも置いてあって、ぶつぶつ文句を言いながらキーボードを叩く平日深夜に見せる由美の姿からは想像できない。

こういうのを世間では「ギャップ」と言うのだろうか。全くときめかないが。

「有希もやってみなよ」

由美がそう勧めてくるものの、周りには数人の見知らぬ人が歩いている。とてもではないが、そんな恥ずかしいことはできない。そう思って有希は断った。

サバンナ温室から熱帯雨林温室へと移る。熱帯雨林温室に展示されている大きなヤシの木の下で、まだしゃがんでいる由美が感嘆の声をあげた。

「これこれ。まさに恐竜時代」

恐竜が生きていた時代にヤシ科の木が生えていたのかは不明だが、目線を低くして見るヤシの木は迫力がありそうだ。有希は周りに人がいないことを確認してから、自分も由美のようにしゃがみ、ヤシの木を見上げた。

「あ」

思いのほか悪くない。そう思う有希の隣で、由美はほら見たことかと言いたげな顔をしている。

「小人、小人」

そう言って由美は再びはしゃぎ出した。さっきまでは恐竜時代と言って植物が大きく見えることに喜んでいたのに、今度は小人と言って自分たちが小さくなったことを喜んでいる。
喜びの基準が自分なのか、他なのかはハッキリして欲しいところだ。
しかし、半ば呆れながら、有希も殊の外面白いこの試みを楽しんでいた。

「小学生みたい」

由美の姿を見ていたら、有希の口からそう漏れた。

「そういえば、大学生の頃、友だちから『永遠の小学生』って言われたっけ」

由美がそう返答する。何にも気にしていない、というより自分の内側にいる「小学生」を誇っているかのように。

当然ながら、2人を追い越した何人かは、しゃがんで植物を観察する有希と由美の姿に驚いていた。
先ほどまで恥ずかしがっていた有希も完全に恐竜の世界へ行ってしまったようで、他人から向けられる異様な目線など感じ取れなくなっていた。

しゃがみながら、色々な植物の下へせっせと移動する。ショルダーバッグが擦れる音がする。まるで肉食恐竜が獲物に近づくみたいだ。ここには色々な恐竜がいる。トリケラトプス、ティラノサウルス、ステゴサウルス。遠くには今にも噴火しそうな火山。温室の外にはプテラノドン。水の中にはアンモナイトまで。

しゃがみながら歩くので、進む速度は遅い。そういえば、最新の研究によると、ティラノサウルスは鈍足だったようだ。有希がそんなことを考えていると、

「私たち、ティラノサウルス、ティラノサウルス、」

と由美が言う。同じことを考えているのだ。

「シンクロサウルス、シンクロサウルス」

2人が同じことを考え、同じ動きをしていることが可笑しくて、有希は自分たちにシンクロサウルスと命名した。

「ティラノサウルス、シンクロサウルス」

そう言って、大きく口を開けて笑いながらどんどん歩み進めてゆく。普段、胃をキリキリ痛めながら働いている2人がこんなに笑ったのは一体いつぶりだろうか。

温室を出たところで、大学生と思しき青年が近づいてくる。

「あの」

2人は声をかけられ、大笑いする声を止めた。

「さっきから何してるんですか」

この青年は近くの国立大学の学生だそうで、さっきから自分よりやや年上の女性が、しゃがんで恐竜の名前を言いながら楽しそうにしているのが気になっていたらしい。

ドドドドド。有希は、顔周りの血流が急に良くなったのを感じた。恥ずかしい。大学生が自分たちに向けていた眼差しは、自分が由美に向けていたそれと同じだ。気が狂っていると思われているに違いない。

「何って……。恐竜時代ですよ」

素っ頓狂な声で由美が答えた。

困惑する大学生に、由美は自分たちがしている行為の意味を説明し、しゃがんで温室を歩くことの素晴らしさを説き始めたのだった。

由美の話を聞き終えた大学生は心底楽しそうに笑い、

「いいなぁ。いい」

と言って涙を拭いながら、再び温室に戻って行った。

あの大学生もティラノサウルスやトリケラトプスを見るのだろう。
1人だからシンクロサウルスにはなれないだろうが、きっと彼なりの恐竜時代を体験するに違いない。そう思って大学生の後ろ姿を見る有希に何か熱いものがこみ上げてきた。
でも、隣で呑気にしている由美の前では決して見せたくない姿なので、有希はグッと下唇を噛んだ。

大学生の姿が見えなくなったところで、有希と由美は立ち上がり、顔を見合わせた。何も言葉が出てこない。でも、どちらからともなく腹の底からクックックックッと笑いがここみ上げてくる。

先程までここは確かに恐竜時代で、2人で恐竜を見て、シンクロサウルスという新種の恐竜になったのだ。

「なんか疲れたね」

一頻り笑うと、疲労が押し寄せてきた由美がこう呟いた。でも、いつも仕事で感じているようなものではない。悪くない、心地よい、水の上に浮いているかのような疲れだ。

「有名な洋食屋に行ってみようか。特大サイズのパフェがあるんだって」
「お、いいねぇ」

スマートフォンの画面を見て、次の行き先を決めた2人は駐車場に向かう。

「ね、ついでだからさ、1泊してこうか」
助手席の由美が、突拍子もない提案をする。今日は日曜日で、明日は当然のことながら会社に行かなくてはならないのに、だ。

「明日は会社でしょ。大体、何のついでなのよ」
「うーん……。恐竜……とパフェのついで」

もう全く意味が分からない。

でも、私たちは毎日毎日、泥水を飲んでいる。有給休暇なんて消化する暇もないし、随分前に棚卸で休日出勤した分だって代休を取っていない。もちろん、休日出勤手当だって貰っていない。

「よし。休んじゃお」

大きな大きな恐竜だって、その身を動かすためによく食べて、よく休むのだろう。たまに休んだって罰は当たらない。そう思った有希は旅行サイトで今日泊まれるホテルを検索し始めた。日曜日ということもあり、手頃なツインルームを1部屋押さえることができた。

「でも、上司に何て言って休もうか」

休むことに慣れていない有希は少し不安になった。由美も明日の朝、会社に電話して何て言おうか考えているようだ。

「シンプルにさ、腹痛って言おうよ」

考えた末の答えが「お腹痛い」とは。有希は再び笑いが止まらなくなった。

「電話口でお腹痛いって言うのかぁ」
「うん。だって、私たち、『永遠の小学生』じゃん」

いつの間にか「永遠の小学生」が1人から2人に増えている。
それもそうか。だって、私たちはシンクロサウルスだもんね。有希はそう思い、車のエンジンをかけた。

車が大通りに出る。ナビによると、次の目的地まではしばらく直線に進むそうだ。

(終わり)


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