見出し画像

わたしが受け取ったもの、わたしからあなたへと手渡せているもの。

小学校、中学校、高校、大学、社会人。
ライフステージにおいて家族の次に持つ「集団」が友達とするんなら、わたしにはたくさんの疑問がある。

でも口に出すことで周りと違う感覚を持ってる人だとか変な人、って思われないために今までは自分の心の真ん中に押し込めてきた本音を綴るね。

ほとんど未知だと言ってもいい相手を
なぜだか人は知り合ってすぐ「気が合う」「友達」と感じて、共通の話題や好きなこと、嫌いなこと、お互いに自己開示していって「今」がある。

何で知り合って間もない人を簡単に信じられるの、とかわたしにはわからない世界がある。

わたしはもともと自分でも人懐っこくて物怖じしない子だったけど、ある日を境にそれが変わって「言葉って怖い」「何でもかんでも口に出したらええもんちゃうな」「口から出る言葉全てが正しいものであったとしても、それが逆に相手を苦しめてる可能性だって、なくはない」と思うようになっていったの。

対面で人と話すことさえいっとき、
難しくなった時期があったの。
家族もそうだよ。

「どうして? 前はほっといてもピーチクパーチク雀の子みたいに喋ってたよね?」と言われてそれが一番話したいのに話せない時期はつらかったし、できるんだったらそうしてるよ、って言い返したくてもそれすらもできない自分に腹が立ってしまうこともあったし…。

黙ってれば自己完結で相手とのお喋りがスラスラできるのに、言葉にしようとがんばればがんばるほど何を伝えたいかがわからなくなる。

「だったら書くことで伝えたらいいんだね」と気づくのはまた何年も後のお話で…

わたしは言葉を、心に溜め込むようになってしまった。

密かな思いを満タン限界まで溜めて、いいことも悪いことも。

「黙ってれば自己完結で、コミュニケーション人と取れるから、支離滅裂にならなくていいから」とー

どこか話すことを避けてきた。

そんな自分に終止符を打つことになったのは、何でだったかな。

それは思い出したらまた書くとして…

今、わたしは
喋るとつっかえることが最大のコンプレックスなわけだけど、そんなわたしを「全然焦らなくていいよ」「それぞれのテンポがあるもんね」と笑っていてくれる友達が隣にいることに大感謝で…

スラスラと言葉が出てこないことでさえも
いい意味で軽く扱ってくれる。
「なんかわたし、悪いこと言ったかな」みたいな
変な方向に物事がいかないのが、すごく居心地がいい。

手放したくないなって思うんだ。 
でも、心地いい、とか楽しいとかそのときは感じていても、友達と離れると「話すときになんか注意できたことなかったっけ?」って始まる自己反省会。

わたしのはちゃんとしたことを言われていないからわからないんだけど、多分、吃音って症状だと思うんだ。

話したいのに
言葉にできないジレンマと闘って、結局はここに帰って来た。

ほっとするし
「安心して話していいよ」の広場みたいだ。

自由に自分を表現できてしまう。

わたしは、友達に「居心地がいい空間と話しやすさ」ってギフトを貰ってるんだとしたら、
わたしからは何をあげられてるんだろうな。

そんなことをイメージするのが楽しい夜。

#イメージ #吃音 #どもり #noteは広場
#居心地がいい #プレゼント #言葉  






この記事が参加している募集

スキしてみて

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?