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何かあると必ず帰ってくる場所も、日記の代わりも常にnoteだった。

真っ白で、粉雪みたいな綺麗過ぎるキャンバス。
目の前にあるそれは、「何を書いてもいいよ」「自由に表現をしていいよ」の象徴に見えて、わたしはしばし書くことって、どうして続けられてるんだったっけな? 首を傾げることがある。
悩んで、迷って、自分のためだけじゃない、誰かのために書こうとして背伸びをするときもある。noteを更新し続けることが、“やりたいことリスト”にあるようで“やらなきゃいけないことリスト”に加わり始めたのはいつ頃からだったんだろう? 

わたしは、お仕事でも自分の得意なこととなる「書く」ってことを一部だけど続けている。
自分で文章の質をもっとレベルアップしたくて始めたこの相棒、noteも嫌いじゃないけど触れたくない、スマホに触りたくない、noteのアプリを開きたくないっていう時期が、ありました。

いつか、過去に「離れてみて気づいたこと」って記事を書いた記憶があるんだけど…それみたいに、離れてみて初めて「それ」があることのありがたさやその意味に気づくんだよね。
一旦はガクンと減ってしまったnoteの更新頻度の裏側には、そんな背景がありましたとさ。

ほかにも、気分の上がり下がりがどうこうとか、毎日の更新頻度をやめたりまた始めたりするのも、『芯がぶれまくってるな、この人は』って呆れる人もいるかもしれない。でも、わたしは、わたしの心は、わくわくを保ったままの状態でいつもあなたにメッセージを届けたい。届け続けたい。そのためには“毎日”という枠に囚われずにいるほうが、わたしらしいかなって思ったの。
今までずっと、平坦な道を歩んできたのだとしたら、今度は。まだ舗装されていないでこぼこ道や斜面のある道なんかをわざと歩いてみるのも良さそうじゃない?

義務とか、「やらなきゃなぁ」って気持ちは「やりたくないこと」とほぼ一緒。
とあるブロガーさんが、印象的なことを仰っていました。

『義務教育は、当に終わってるよ。
だったら、自分の好きなことで人生を埋め尽くさなくてどうするの!』

わたしはその方にあったことは一度たりともないけれど、そのときそう言ったブロガーさんの表情や声音が、なぜかくっきりと思い浮かぶしイメージができるのです。
それくらいにある意味で強烈な言葉。
わたしは一瞬納得しかけるものの、ゆっくりと首を横に振る。

「好きなことで生きてたら、人生バラ色だし、ラクだよね。でも、じゃあ、苦手なことは置き去りにするってこと?」と。“好きなことで生きていく”っていう術は、はあちゅうさんにだからできる技であって、わたしなんかにはどうせ…ってまた悪いところが出てきてしまう。

でも、その人のことを羨ましがったり、妬んだり、自分はあの人よりも下なんだね、とか自分をいじめるようなことをしてると自分の価値を自ら下げに行ってるようなもんなんだよ。

そんなに自分を苦しめたかったの? 自分をいじめたかったの? 今ここに生きるあなたが、ここに存在する意味。それは、未来のあなたが、『過去のわたしへ、ありがとうを伝えたい』ってわたし自身(あなた自身)に感謝を伝えたくなる瞬間があるから、わたし達は今を生きてる。

もっと、自分を許してあげよう?
解き放ってあげよう?
今まで散っ々、自分を誰よりも厳しく取り締まってきたあなたをここ、noteっていう広場で。
『今日はランク1、明日は1.5』ってふうに、自分のことなんだもん、人生ゲーム感覚で楽しんでみようよ。

わたしがこうして文章を長々と書いていても、こうやって付き合ってくれる優しさがわたしは好き。note、公の広場、いつでも誰とでも繋がれる安心安全のプレイス。大切にわたしのことを扱ってくれる人がいるからわたしがいる。わたしがみんなに元気を貰う。

わたしが大きな声で意見を言える、自分が自分であれる場所。

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