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どうしても共学に行きたかった私が女子大の管理栄養士養成課程に進むまで

こんにちは。篠崎奈々です。東京大学大学院で栄養疫学の研究をしています。自己紹介の記事はこちら

今日はわたしが高校生のときのお話です。どうしても共学にいきたかったのになぜ女子大の管理栄養士養成課程を選んだのか、なぜ体重が一気に10kgも増えてしまったのか、入試をどう笑いの力で乗り切ったのか、などについてゆるく綴りたいと思います。

部活に属さずバンドやバイトに明け暮れる

わたしの通っていた高校は、小江戸川越にある埼玉県立川越女子高等学校です。勉強だけでなく文化祭や体育祭などのイベントにも全力投球する、自由でパワフルな学校でした。

1年次は芸術選択(音楽/書道/美術)でクラスが分かれていました。わたしは絵を描くのが好きだったので美術選択でした。部活も美術部にしたのですが、なんとなく雰囲気が相いれず、半年も経たずに退部してしまいました。

他の部活をすることも考えましたが、運動も嫌いだし上下関係も苦手だったので、部活に所属せず自分の好きなことをすることにしました。

放課後はバンド活動をしたり、文化祭で有志のファッションショーを取りまとめたり、公文で採点のアルバイトをしたりしていました。

あと、私はお笑いが好きで、面白い友人達にも恵まれていたので、文化祭で全校生徒の前でコントをしたりしました(当時YouTubeがもっと流行っていたなら、きっとお笑い系YouTubeチャンネルをやっていたと思います)。

料理にのめりこみ体重10kg増

趣味は色々ありましたが、一番の趣味は料理でした。祖母と母が料理上手なので小さい頃から家庭料理には親しみがありました。中学か高校のときに、好物のかぼちゃの煮物を自分でも作ってみたいと思い、料理を始めました。

元々食べることが好きなので、おいしい料理ができ上がるのが楽しくて、みるみるのめり込みました。アルバイト代のほとんどは泡立て器などの調理家電や製菓型、食材などに費やしました。

当時の愛読書は食品成分表とオレンジページでした。週末は図書館に行ってオレンジページなどのレシピ本を貸出上限の冊数まで借りました。授業中は授業を聞いているふりをして教科書の下に食品成分表を重ねてよく見ていました。

帰宅部なので、平日は終業のチャイムとともに家にダッシュして、夕飯と翌日のお弁当を作っていました。休日には前日から何の料理やお菓子を作るか計画を立てて、朝から晩まで料理をし、多いときは1日5~6品お菓子作っていました。

料理を作っては食べる毎日だったので、みるみるうちに体重が10kg増えました(ちなみに大学以降も飲み会と仕事のストレスでさらに体重は増え続け、最終的にMAX15kg増になりました)。現在も高校時代と同じ身長ですが、悲しいことに体重は完全にはもとに戻っていません。

進路選択-食にしか興味ないけど女子大はいやだ

高校2年頃、進路選択の時期がきました。親に金銭的な負担をかけたくないので国公立大学にすることは決めていたのですが、専攻を選ぶにあたって、興味があることが食に関すること(料理や栄養)しかないことに気がつきました。

ただ、自分の中でネックだったのは栄養学など食について学べるところはほとんど女子大しかないということでした。「女子高に入るのもいやだったのに、女子大まで行ったら私の青春はいつ来るわけ?」と思いました。

女子高は女子高ですごく楽しかったのですが、やっぱり大学では男女共学のキャンパスライフというのがいかにも青春という感じがして憧れでした。

わたしは、ただ共学に行きたいがために、かなり悩みました。商学や社会学、教育学など、他分野に興味を持てる可能性をずいぶんと模索しました。でも考えれば考えるほど、食にしか興味がないことがはっきりしてくるのです。

「人の役に立つ仕事がいい」「なんかかっこいい」「手に職(資格)がほしい」という浅い考えで、医師を目指すことも頭をちらつきました。しかし、「医者=夜勤などで体力が必要」というイメージがあったので、持久走では大体ビリの、著しく体力が乏しい私はすぐに考えを改めました。

色々悩んでもがいてみても、「偏差値的にどうにかいけそうで、興味がある勉強ができて、実家から通える国公立大学」という条件で考えると、お茶の水女子大学の生活科学部食物栄養学科しかありませんでした。ここは管理栄養士養成課程なので、手に職という意味でもバッチリでした。

しかし、わたしの中では「お茶の水女子大学=お嬢様学校」という勝手なイメージがあり、わたし自身お嬢様とは程遠い雑草のような人間なので、絶対に合わないと思い避けていました。あまりに柄に合わないので母にも「奈々がお茶の水女子大学って全く合ってない、ウケる(笑)」と言われていました。

とうとう女子大受験を決意

そんなある日、1年のときに担任だった女性の先生と職員室でお話をする機会がありました。その先生には進路のことや悩んでいることはお話ししていたのですが、「あなたはお茶大の管理栄養士養成に進んだほうがいいと思う」とはっきり言われました。

理由も色々いわれたと思いますが、正直あまり覚えていません。しかし、わたしの関心や悩みを知ったうえで、よく考えて思い切って助言してくださったと感じた事は記憶しています。穏やかでとても控えめで何か押し付けたり強く主張したりされない先生だったのでびっくりしました。

わたしは小さい頃から母に「歯向かう子」という謎の呼び名を付けられるほど、何かを押し付けられたり指図されたりすることの嫌いな、学校の先生の言うことを聞かないタイプでした。

でも助言してくださった先生はとても良い先生でしたし、年長者の言うことは聞いておいたほうがためになるということは心のどこかで分かっていたので、反発はせず素直に受け止めました。

その後も色々考えた末、やはり興味がある勉強ができるお茶の水女子大学を受験することにしました。女子大というのは依然として自分の中で大きなネックでしたが、管理栄養士という資格がとれるのは魅力的でした。

私立大学は受けないと決めていたので、お茶大単願で(他の大学は一切受験をしないで)受験することにしました。私の当時の偏差値はお茶代の合格ラインを優に超えていたわけではなかったので、これは賭けでした。

公募制推薦の筆記試験

お茶大には一般入試の前に、公募制推薦という別の推薦入試の制度がありました。小論文を含む書類審査、筆記試験、口述試験により合否判定をするものです。どうせなら少しでもチャンスが増えたほうがいいと思い、ダメ元で受験することにしました。

ただし、倍率が非常に高かったので(確か当時で15倍くらい)、落ちるだろうと思ってセンター・二次試験対策をせっせと進めていました。ちなみは私は学校や先生という存在が苦手だったのと、自分のやり方で勉強するのが好きだったので、中学高校と塾や予備校にはいかず、ネットで評価の良い参考書を買って自分で勉強していました。

公募制推薦の試験当日、筆記試験がありました。確かそのときの問題は、豆の種類による栄養素含有量の違いを理解していれば解ける問題でした(大豆がたんぱく質が多いとか、その他のあんこを作れるような豆は炭水化物が多いとか、そんなようなことです)。

わたしは無類の豆好きであるだけでなく、食品成分表を本当によく見ていたので、そこまで悩むことなく問題がとけました。これはとてもラッキーでした。

口述試験-控室でやさぐれる

筆記試験が終わって、口述試験を待つ控室にいたときの情景を強く覚えています。小さな階段教室でした。私を含め受験生は段々に並んだ座席で背筋を正して座り、静かに順番を待っていました。部屋の前方の床が一番低くなっているところに案内係のような人がいて、学生たちを見渡していました。

控室とはいえ、スタッフか先生かわからない案内係の人に今この瞬間も審査されているかもしれない…。教室の中は静寂に包まれ、言い知れぬ緊張感が漂っていました。

周りの受験生たちは、わたしとは違って、どうみても真面目で優秀そうです。なんでお嬢様の「お」の字もないわたしが、こんなお茶大に全国の精鋭に紛れて受験しにきてるのだろうか…。ものすごく居心地が悪く、場違いに思えました。

今でもよく覚えているのは、受験生のうちの一人、髪の毛をしっかりと固めて束ねた、一本の毛の乱れもない少女が、スッと手を挙げて「すみません、お手洗いにいかせていただいてもよろしいでしょうか?」と、舞台のセリフのような発声で言ったことです。

受験生として非の打ちどころのない、素晴らしい振る舞いでした。しかしそれは同時に、周囲の空気にすっかり気後れしているわたしの心をくじくにも十分でした。

わたしは、彼女のようにきちんと振舞えないという決まりの悪さと、絶対受かるわけがないという自信のなさもあり、「何をそんなにがんばってんねん」と心の中で悪態をつくことしかできませんでした。しまいには「どうせ落ちるから」と投げやりになって、机に突っ伏して寝はじめました。

どうせ落ちるなら笑いをとろう

そうこうしているうちに私の名前が呼ばれ、口述試験の順番がきました。部屋に入る前、わたしには謎のスイッチが入りました。「どうせ落ちるんだから笑いをとろう」と思ったのです。

冒頭で触れたように、わたしはお笑いが好きで、友達との会話はいかにツッコミで面白くできるかを考え、話には常にオチをつけることを考えるなど、笑いに大いに重きをおいていました。

結果、「見た目は女子高生だけど中身はピエロ」というような、謎のひょうきん者キャラクターで面接に挑むことにしました。キャラクターが憑依していたのと、そもそも落ちると思っていたために、そこまでひどく緊張しなかった記憶があります。

口述試験の部屋の扉を開けると、教授など5人くらい先生方がずらっと座っていました。聞かれた内容は「志望動機」「印象に残っている実験は」「さっきの筆記試験はどうだった」などでした。

口述試験は結果として、受験生として正しい受け答えができたかどうかというよりも、無事笑っていただけて和やかな雰囲気で終わりました。心優しい先生方で何よりでした。

推薦入試の結果は…

合格発表はネットで受験番号が提示されるものでした。高校の授業が終わった帰り道、当時使っていたガラケーで合否が出るHPにアクセスしました。期待していなかったので、自分の番号を見つけたときの驚きと喜びはいまでも忘れません。なぜ受かったんだろうと思いましたが、とてもほっとしました。笑いと豆類と食品成分表が好きでよかったと思いました。合格してから卒業するまでは、車の免許を取りに行ったり、ミスタードーナツでアルバイトをしたりして過ごしました。

さいごに

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。初めてのnoteを書いてみると、何の教訓もない小噺になりました。

強いて言うなら、好きなものを追求すると何かに役立つときがあるということでしょうか。私の場合にはそれが笑いや料理だったわけですが、料理は体重の爆増につながったので諸刃の剣でしたね。何事もほどほどが大切です。

次の記事では、実際に管理栄養士養成に入学したところ、どんな大学生活だったかについて書こうかなと思っています。それではまた。

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