悲劇のヒロイン
「悲劇のヒロインぶるな」
最初に言われたのは、中学生のころ、親友と喧嘩したときでした。
2回目は、親と喧嘩したとき。
私にとって、この言葉はとてもトラウマのある言葉です。
なんてったて、私のことを私と同じくらい理解している親友と親から言われたということは、周りから見れば私は
「悲劇のヒロインぶっている」のでしょう。
それから私は、そういわれないように、楽観的に人から明るく見えるようにふるまうようになりました。
けれど、社会人になり、ふと思うのです。
悲劇のヒロインで何が悪いのだと。
私の人生のヒロインはまぎれもなく、私なのです。
その人生の中で悲しい出来事が起こったら、それは悲劇なのです。
つまり、悲劇のヒロインぶっている、のではなく
悲劇のヒロインなのです。
相手にとって、その出来事はたいして悲しいことじゃなかったり、私自身が悪いが故に起きた出来事であるのかもしれない。
だから辛気臭い顔をするな、悲劇のヒロインぶるな、と言ったのでしょう。
気持ちももちろんわかります。
けど、悲劇のヒロインであることに変わりはない。
悲しいと思うことに悲しい反応をして何が悪いのか。
自分の人生である。
悲劇のヒロインぶって、親友や親に何か危害を加えたわけではないのです。
ああ、それは嘘。
「うっとうしい」「めんどくさい」という感情を与えてきたのかもしれないですね。
けれど、私は自分の人生をうまく生きていくために
その悲しい出来事と折り合いをつけるためには
悲劇のヒロインにならざるを得なかったのです。
この思いを通して、何が伝えたいとかは特にないけれど
結局、自分の人生で起こった出来事のとらえ方と
自分の人生の中での自分の生き方くらい
自分で決めさせてくれ。
悲劇のヒロインで何が悪い。
悲劇のヒロイン上等。
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