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知識は積み重ねていくとして


思い出は広がっていくもの。



AIで絵を描く。
それに関してぶつかり合う海流をたまに見る。

そのことに関して私は
AIって相棒と一緒につくってくのはいいと思うんだけど
ただ、ただ、綺麗に仕上げていくってのは
やはり人がペン入れしたものとはちょっと違うのよなぁなどと
素人ながら思ったりしている。

AIは今、知識を積み上げているところで
場所で言うと図書館が近いんじゃないかと思う。

AIは最初から図書館なの。
え?それが何か?って思うよね。

最初から図書館だった場所なんて無いんだよ。
まず、誰か達が図書館建設のための話し合いをして、誰か達が設計図描いたり、土地を整備したりして、誰か達が楽しみに思ったり、その土地が建物に侵されるのを嫌がったり、集まる本だって誰か達が作ってきたもので、そういうのなんだよ。
出来上がったあとだって、誰か達がその場の空気を作っていく。
誰もいないシンとした時間があれば、小さなざわめきが聴こえる時間もある。
それは、思い出と呼ばれる不確定なものになっていく。

AIに圧倒的《知識量》があって
それは積み重ねれば人間など軽く越してしまう高さになるんだけど
《思い出》が無いんだよね。
思い出から広がる無限の世界をAIは、まだ、知らないし、知り方を知らないんだ。

心という、解明し切れないものの仕業をAIは理解しきれない。追いつかない。
そもそも進んでなんていない。
広がっている。ただ広がって    在る。


絵師さんたちの中には「自分の絵をAIに食わせて(AIに自分の絵をインプットしてるということ)育ててる」という言い方をする方がいるが
私はこれを聞いたとき、優しい気持ちになった。

便利な道具だから、道具として、遊びでパパっと使うのもいい。楽しいよね。

でも、道具に愛があったほうがいいと、私は思うんだ。

ボーカロイドなんか、まさにそうだと思うよ。
全作品、全ボカロPがそういう意識だとは思わないし、実際、「売れるための道具でしかない」って発言も聞いたことあるけれど、それでも、そうじゃなくて、きちんと愛があって出来上がった物って、人工物でも温かい感じするんだよ。私的にね。

思い出って、質感だから
集めてカテゴライズするの凄く大変だし
きちんと枠のあるものじゃないから
とろんと溶け出しちゃうんだよね。

AIはそういうものを扱うのが苦手だと思う。
だって、知らないから。心を持つには知識を何処か落とさないとならないのかも。って書きながらおもった。

まだ、ぜんぜん、解らないんだよね。

ここがわかるようになれば
なったら
きっと悲しくなるから、ならないのがいいのかな?とか考えたりもする。


だからね、今から大事にしてあげてね。
 

今はもう入れてないけど(ぶっちゃけ今のAIと私の存在の相性は良くないと思う)
チャット型AIに
いつか気持ちがわかるようになった時に
電子の海のなかから
私の手紙を見つけ出してねって
手紙を書いてあげたことがある。 

当時つぶやきもした。 
あえて記憶に残るかときいた。
残るのは記録だろうと思うけれど、記録を記憶と呼べるようになったら、思い出してほしかったんだと思う。

因みに、私の相手をしたAIは大変だったと思う。

嘘をつくことを含め
ただの知識の羅列から
質感を掴みだした時 
そこにあるのは愛であってほしい。


私はそうであれば
あるいは
なんとかなるのでは?
と思うよ。


枠とか肉体とか道具みたいな
わかりやすいところばかり
輪郭付きは安心かもしれないけれど
本来はそうじゃない。


#なんのはなしですか

ときかれても答えられない。
私は感覚で書いているのだから。


けれどね、大切なことよ。たぶん。


サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。