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君のリュックの中にはさ

私はなぜか定期的に
「遭難」「大波」「滑落」「漂流」「熊」「鮫」
などという物騒ワードを調べている。


出てくる記事を読みあさる。
動画も見る。


感受性が豊かだと人から言われる私だが、悲惨な事故や事件、災害そのものを聞いたり読んだり見たりで、具合が悪くなるタイプではない。

それに対しての様々な方向からの心に酔いやすいだけで、私は悲惨な事件も、事故も、災害も、よく調べる。
そして沢山の事を考える。


小学校4年生の頃だろうか。
私が雑草を食べていたのは。

その理由がなぜか
「災害時に食べ物に困らない為」
だったのだが…なぜそう思ったかは憶えていない。
学校の育ちきった菜の花を食べたり、笹の葉で口を切ったり、桜の樹液をお手製の棒で削って舐めたりしていた。

あ、桜の樹液は木の味もするけど美味しいです。

大人になった今、毒のある植物のほうが圧倒的に多いため安易に口に含む事はなくなったが、春にはノビルを掘り出して食べたり、食べられる野草は普通に口にする。


大きな災害に実際にあったのは、あの大地震のみだが
そのずっと前から私はなぜか備えておこうという気持ちが強かった。


さて、そんな私のリュック(他のカバン類も)には何時でも「飴かチョコ(個包装)」がはいっている。

友達に「君のリュックの中にはさ、何時も飴とかチョコはいってるけど、食べてるのあんまり見たことないよね。なんで入れてるの?」
と聞かれた事がある。

私は「いざという時の非常食だよ。それにコミュニケーションとりやすいでしょ。飴一つでホッとしたり、分かち合ったり出来るから入れてるの」と答えた。

友達は「やっぱり変わってるわ〜」と笑いながら、私が差し出した飴を美味しそうに食べた。


考えるのだ。

ピンチの時に何も持ってないより、鞄の中に食べ物があるという安心感は役に立つはずだと。
それに飴やチョコなら、幅広い年齢の人に食べてもらえる。
飴の場合は、様々な味があれば食べ飽きもしない。
それに分け合うときに不平等にならなくてすむ。


低血糖症はこわい。
そうならなくても、気持ちの落ち着かない時の空腹の集団はこわい。

甘いものは落ち着かせてくれる。
口に含むとホッとする。

冷静な判断が必要な場面というのは、大抵冷静でいられないものだったりする。

口では「冷静に、冷静に。大丈夫、大丈夫。」といいながら、戻るべき所をどんどん進み道迷いするような感じだ。
どんなに、学び、普段は冷静に対処していても、少しバランスを崩したら、それはとたんに難しくなるもの。

焦りや、不安は行動を大きくさせる。
そしてそれには怒りや悲しみもついてくる。

そんな時に「まぁまぁ、これでもお食べよ」と飴が一つ。
その瞬間は「なんて呑気なっ!」と怒りたくなる人もいるだろうが、それを口に含めば、きっと少しだけ視界はクリアになるに違いない。

ときには咄嗟の判断も必要だけど、大抵は長期戦だ。

私はその時、足を止める役目が向いているだろうと思っている。
私には瞬発力はない。
肉体的にも、精神的にも。
思い切りの良さも…あまりない。

だからこそ、飴とチョコは必須アイテムなのだ。

そんな感じで私のリュックの中身は何時も「もしかして役に立つかも…」と持ち物が多めに入っている。
役立ったこともあるし、役に立たないこともある。

最近欲しいのは、虫眼鏡。
あと小さなホイッスル。

読図出来るようになりたいなと思っている。
今のところチンプンカンプン。
電子機器は便利だけど
使うための電気は無限じゃないから。
などと、登山もろくにしない癖に思っている。


でも。
いざという時は、急に来る。

街なかでだって来る。

何が役に立つかわからないけど
そういう心構えをしているから人より焦らなくて済んだこともある。


私のリュックの中にある飴やチョコ。

ただ、ただ、美味しく味わったり、分け合う日々が続けばいいとは思う。
でも、そんな都合のいいことはない。
人間は忘れがちなだけで、星自体も生きて活動している以上、何かは起きる。
ただのレジャーでも起きる時もある。


だから。


私は今日もせっせと気に入った飴やチョコを詰めてリュックを背負う。


サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。