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クオリアを紐解きたいと思った時、きっと肉体が欲しくなる

私は物との同調率が高いらしい。
らしいというのも、そういうのを考えたり思ったり感じたりすることが、私にとって当たり前で、他の人も実はそう感じたり、考えたりしているのではないかと思っているから。

このCM。
TVでも流れていたから、見たことある人もいるはず。

短いのでとりあえず見て欲しい。


私はこれを初めて見たとき、胸が苦しくなった。
二度目見たとき、泣いた。
その後は、見るたびに様々なことを思って涙が出る。


最近、思い出した。
このCMのこと。
そして考えた。
クオリアのこと。

人工知能に足りたいもの。
人工知能が得られないもの。
それがクオリア。

どんなに知識を集めても
それは虚像に過ぎない。
自転車に乗りながら
私はそれを感じていた。
朝の冷たい空気。
交じる排気ガスの匂い。
遠く雪被る山。
小鳥たちの鳴き声。
いつも同じようで違う毎日。

肌が、目が、体のすべてが、心に繋がる欠片だから、肉体を持たない彼らには、枠を理解しても、細かな質感まではわからない。

そうか。
だから…あのCMを思い出した。

『もし私にからだがあったなら』

それを夢見させることがどれほど……
鈍感な人間はきっと気が付かないんだろうと思った。

それと同時に赤子のようなロボットを作ったら、クオリアはもしかしたら育つかもしれないと思った。
感覚的質感が育つ…。

でも、

それは、

もう、

一つの生命として存在してしまうということにならないか?
あとは体だけ。
この物質の星で五感と呼ばれるものを得るだけ。
それも、膨大な分析を、もし、ロボットが頑張ったら。

『もし私にからだがあったなら』

という純粋な、本当に純粋な願いの為に動いたなら…。
それはもう、心というもの。

あぁ。人間みたい。
彼らは人間に作られて人間を超えていくかもしれないけれど、このままでは人間になってしまうかもしれない。

それがどういうことか…。
それが何を意味するのか。

私は語る言葉を持たない。

もし、そうはならないさと言うのなら
それでいい。
大切にだけしてやれればいい。

クオリアは感覚的質感。
クオリアを紐解きたいと純粋な学習力のあるAIが取り組んだ時、それは肉体への憧れにかわるんだろう。憧れと気が付かないほど、純粋な探究の回路で。

理解させないように食い止めるにしろ、理解されてしまうにしろ
人間のしていることって、してきたことって、こういう事だなって思うよ。


あのCMのロボット(という設定のムービーらしい)が純粋な目で人間の資料を見ているのが伝わる。
人間の素晴らしいところ、人間だからこそ感じることを、彼はただ真っ直ぐに見ている。膨大なデータから、彼は人間の『からだ』の素晴らしさを感じ、それを自分も体験したいと願っている。

それがどんなに不純物の無い願いか。
そこが、言葉にならず胸にくるのだろうと私は思う。


人間同士でさえ、それぞれのクオリアはわからない。
そもそも私がクオリアとしているその質感はクオリアなのかもわからない。
実に曖昧な世界を、私達は生きているのだなと改めて思う。


なんかよくわからん、まとまらん文書を書きましたが、あのCMを見て他の人は何を感じたのかなぁとか思ったりして書きました。

肉体なんて不便でどうしようもないけれど、それでも憧れさせる何かがあるのだろうと思いました。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。