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遠い海からきたCooからあっちこっち


私がビデオテープが擦り切れるほどみたアニメ映画を思い出しながらペラペラ。

※私は脳内でつながると話を一つに絞れないので、後半かなり散らかってます。そういう思考も持ってますってだけで、他の思考も持ってます。
あー、こうやって前置きしないとならないのよ。それは過去の経験上。

全部なのにねぇ……。

そう、あの頃はDVDなんてオシャレなものはなかった…レコード盤みたいに大きなの(LD)は存在していた。従姉妹の家にはそれがあったんだよ………。

平成の初め頃、そのアニメ映画は放映されたらしい。


しかし私がそれを見たのは、従姉妹の家の大盤のLDからVHSにダビングされたものだった。

小さな私は、それを繰り返し観た。
大人になってどうしても欲しくて、オークションで買ったのをビデオテープが許す限りみた。最後の方は映像が途切れ途切れだった。それくらい観た。


私は生き物が好きだ。恐竜も好きだ。それは、小さな頃からそうだった。

そして、もっとも愛した恐竜というのが「プレシオサウルス」である。

「遠い海からきたCoo」の主人公とも言うべき生き物である。

今でもプレシオサウルスは特別好きだ。
硝子細工のプレシオサウルス、ヌイグルミのプレシオサウルス、小さい頃からずっとそばにおいている塩ビのプレシオサウルス。

そうだ、飴細工を即席で作ってくれるお兄さんに頼んだのもプレシオサウルス。


そんな風に愛してやまない。

どこが好きなのか。
フォルムか、生態か。
とにかくすべてが好きなのだと思う。

私の持っていた恐竜図鑑にはアンモナイトを捕らえるプレシオサウルスのイラストが載っていた。

その絵を食い入るようにみていたのを覚えている。

塩ビの恐竜は他にもトリケラトプス、ステゴサウルスと持っていたが実家から連れてきたのはプレシオだけである。


美しいフィジーの海で、少年とそれは出会い、そして過ごし、別れる。

イルカも出てくるのだが、私はイルカも大好きだ。
遠い南の海に憧れた。
今ならわかる。私は海であんなに泳げない。
多分南の海でも、私の体は熱を保てない。

小さな私はそれを知らないから、ただ、ただ、生き物と美しい海と生きる生活にとんでもなく心をときめかせていた。


村長の母親が歌う歌も好きだった。
嵐の来る手前で村長の母親(99歳)が嵐が来ると歌い村長が早く帰ったほうが良いと言うのだが主人公の父親は「こんなに晴れてるのに?予報では嵐なんてない」というような事をいった。
村長は「予報よりお袋の歌のがあたる」という。

自然と生きる人の姿を、小さな私はよくわからないけれど、深く刻んでいたのだった。

そして、作中の理不尽な人間へ怒りや悲しみや違和感を持っていた気がする。
生き物は自由に生きるべきであり、それを人間が捕らえ奪うことを何処かで良しとはしなかった。

共に生きるのと、一方的に接するのは違う。
相手を知り、相手を尊重し、共に生きることはとても素晴らしい。


小さな私はきっと主人公家族のような生き方が好きだったんだろう。

とにかく美しい海で、少年と未知の爬虫類(プレシオサウルスの子供)は確かな絆を持ち、そして、きちんと別れるのである。
お互いが成長するのである。

大人の事情とやらでDVD化されないのが悔しい。
あんなに素敵な作品なのに。
みてほしい…というか、みたことあるよ!って人いるのかしら。



あの頃から感覚である。
説明できない。

好きなものを上手に説明できる人は凄い。
私は心が震えるとか…本当に感覚で…言葉にできないことが多い。

プールに飛び込んで、きらめく水面を目指し、息を吸って太陽を浴びたときみたいな感動なのだが……これはソレを体験して、その煌めきに魅了されたことが無いと、難しいね……


そういえばあの頃、自然番組も本当によく見ていた。
目の前で流される血も、何もかもを見ていた。

捕食シーンには今とほぼ同じで悲しみはなかったのに、大量の捕鯨シーンには悲しみ、それで喧嘩する人間のことは嫌いだった。守ろうとする方も喧嘩するから同じだ。結局、そうなるから嫌だ。

海の哺乳類好きだったなぁ。今も好きだが。
オタリアなんて毎度シャチに狙われてた記憶。
よく投げられてる記憶。
でもあれも大切な狩の練習。あとは遊び。
ペンギンもよく逃げてるよね。
ヒョウアザラシこわいよね。でも可愛い。大カワウソと同じ感じ。

まぁ、大抵シャチに狙われたらお終いなのだ。鯨も顎のやらかいとこだけ食べられるのだ。上に乗って窒息させるとか頭いい。

そういや、彼らのパック(群れ)はメス(母)が頂点なんだよね。
象も祖母が頂点である。祖母のいない群れの子供の生存率は下がる。お婆ちゃんの知恵袋で川を渡り草を求め旅をする。 

ハイエナもそうだなぁ。

哺乳類はメスが動くことが多いのだ。

あ、狼はオスか。でも、子育てはメスたちがアルファの番の許しを得てするんだよね。
頂点のいない群れは上手く働かない。
飼い犬が飼い主に唸ったり噛み付くアルファシンドロームというのがあるけど、群れのリーダーって絶えず神経を使うから滅茶苦茶凶暴だったりする。そういうとこだけ継いじゃってるよね。群れのリーダーが見誤れば群れは存続できない。リーダーはその責任があるかわりに、リーダーなんだよね。


人間も本来そうなんだと思う。
でも、人間の理想は鳥類でしょ(これたまに言ってる)
ペンギンみたいに共同子育て。同じ番。死ぬまで愛。
烏みたいにずっと一緒にいたいんでしょ?

まぁ、核家族化してるから鳥類的なのは良いかもね。
かわりに男女平等だよ。本当に平等。
ペンギンのオスもメスも命がけ。海にいく方も卵を抱く方も、厳しい環境だ。まぁ、鳥類は結構浮気もあるんだけどね。

ちなみにペンギン。種類にもよるが、温和ではない。流血の喧嘩をすることもあるし、他の子供に優しくない。親なしでは普通に生き延びられない。核家族ってそんな感じ。余裕ないからね。群れは群れの規律守らないと死ぬけど、弱いやつもなんとかやってける可能性がある。どっちも良し悪しあるよね。

動物の世界シビアだね。

ペンギンは子どもたちはある程度大きくなると子供だけのコロニーでしばらくは、ひたすら耐えることになる。
可愛い子には旅をさせよというか、己の力で生き延びろなのである。

その点、人間は過保護というか……大人になるの遅いよね。まぁ、シャチはずっと血縁の群れだし、似たもんか。違うのは数だね。人間の大きさで今の国は無理だって。ありんこなら、ともかく。

人間ってその辺が凄いごちゃついてるから、複雑なんだなーって昔から思ってる。

ただ、どれかに偏ると人間は大っきい争いになりがちだから、上手く「なんでもいいよー」ってしときたいなとかも思う。核家族のいいところ、群れのいいとこどりでいい。


これ系のこと考えると本当に迷宮。
何をどう言っても、人間の誰かとぶつかるんだもん。

ただの考えの1つだよーっていても「それで傷つく」「責められてるみたいで嫌」とかさ。
見たくないもの全部に目隠しして、一体何を見ているの?
もちろん傷だらけで死にそうなときは、自分の見たくないもの全て弾けばいいよ。
思いっきり弾くべきときと、柔軟に受け止めるべきときがあると私は思うよ。色は1つにしなきゃいけないことはないのに、どうして1色でいようとするの?どの色も素敵と言いながら、どうして、全部を認めないなんて言ったりするの?
でも、きっと、そう言うだけの心があるの。
だから……いつも、とても、私は揺れる。
思考酔いはそうやっておきる。

受け入れるのは染まるのとは違うよ。
そんなに怖がらなくてもいいよ。
そして怖がっててもいいんだよ。

それは綺麗事っていうけど
何処が綺麗なんだろう。
完全武装でトゲトゲしてるだけで
トゲトゲが見えるくらい純粋な方が
よほど綺麗だよ………。


説明本当にむずかしい。

私はこういうことも、考える人だとしか言えない。

これをどう捉えるかなんて、相手次第。
別に争いたいわけじゃないから、頑張ってみるけど、それでも争いになればきっと私は…諦めるものは諦めて、手放せないものは手放せない。

私は争うでしょ。それがどんなに私の正義でも、誰かを傷つけるでしょ。
それを忘れたりしない。
でも、だから、私の芯は揺れてもきっとあるんだなぁ。


着地点見失った。
映画の話どこいったよ……
全く本当に迷宮だね。






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