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日本の「自虐史観」からの脱却運動は「歴史修正主義」ではない理由

七重のひとり言

もう台風の事をあれこれ考えるのは やめようと決心はしたのです
でもなおったテレビを観ていると 「誰かを 悪者にしようとする」
見当はずれな報道に どうしてもイライラしてしまうのです

 はっきり言えば 千葉県の対応も東電の対応も手抜かりばかりでした
「被害がひどい所 程 連絡できない」という 災害時の当然を忘れて
千葉県は「連絡がないから 大丈夫だろう」と動かない。
東電は 被害の全容を確認せずに「こんなものだろう」と楽観論を発表。
 
私は テレビを観ていないので 詳細はしりません。
けれど ネットで確認していた情報「被災家屋○○件」などは
「嘘でしょう。私の知り合いだけでも数十件が 屋根を飛ばされたり 
納屋が倒壊したりしている。軽微な損傷は ない建物の方が少ない。
当社も 看板等 それなりに被害を受けているので  
千葉県全体だったら 少なくても数万件 数十万件だろうに…」と 
心底 あきれてました。

 しかし 災害を経験してみて いつも思うのですが
「結局は 共助だ」という事です。
なぜなら 市役所が「被災者すべてを助ける事は 無理」なのです。

今日の朝のテレビで 「高齢者の皆さんは ホテルなどに収容できなかったのか?」と言っている人がいましたが、高齢者は一人ではありません。
数万人の停電の部屋に住む高齢者の「誰に どのホテルの どの部屋を提供するのか?」「高齢者とは何歳からか?」「誰が 移動の世話をするのか?元気な人より 病気の人 体が不自由な人の方を優先すべきだか、そうなると移動はさらに難しくなる」
 災害現場では「無理な事は 無理」なのです。 
 ですから 官民 力を合わせて 
お互いに「できる事を する」以外にないのです。
その為には 「どうしたらいいか」知恵を出し合い 話し合う。
自然災害に対しては それ以外にやるべきことはないと思います。
 「誰かを 悪者にしようとする」のは やめて頂きたい。

 私が災害にあった時 いつも切実に欲しいと思うのは
 「正確な情報」です。
 ですから 昔ながらの「回覧板」を 復活させる。
 並びに 歩いて行ける範囲の所に 
江戸時代にもどって「お触れ」の立て看板を建ててもらいたい。
と 思うのであります。

戦後の日本 日本とアメリカの戦争観の違い


もともとの 日本の戦争観は
「戦争には正義はない。戦場は、双方が悪業をおかす場所である」です。
(「平家物語」に描写されています)

ですから 日本の戦争観では 戦時中には 
日本は悪い事をした。アメリカも悪い事をした。
しかし 戦争が終われば
日本は悪い事をしない。アメリカも悪い事をしない
だから 平和になる。
時間がたって 心が鎮まれば 友人にもなれる。

これが 
「日本の戦争観でみた 姿」であり
「実際の 現実の形」と 同じです。
つまり 事実に対して《嘘》はありません。

ところが ここで戦後日本に進駐したGHQが
「アメリカは悪い事をしても 正義である」という
「善悪二元論の戦争観 歴史観」を持ち込みました。

アメリカの戦争観では 戦時中には
日本は悪い事をしたから 日本は悪である。
アメリカも悪い事をしたが アメリカは善である。
になります。

これが
「アメリカの戦争観でみた 姿」でありますが
   (戦争では アメリカも悪い事をしていますので)
「実際の 現実の形」とは違います。
つまり アメリカの (「そういう事にしておこう」という)
《お話》で 事実に対しては《嘘》です

このGHQが書いた「日本悪玉論に基づいた歴史」が 戦後「正しい歴史」とされていましたが、《嘘が混じっているので 嘘を排除しよう》という
「自虐史観」からの脱却運動が 日本で起こっています。
日本の「自虐史観」からの脱却運動の
《意味》が日米で違って受け取られて 新たな火種をつくる可能性がある

《日本の「自虐史観」からの脱却運動》は 本来別物なのに
《アメリカの歴史修正主義》と同じと 勘違いされて 
一部アメリカ人は 脱却運動を敵視しています。

《日本の「自虐史観」からの脱却運動》
これは「日本が悪い」という《お話》を創るために
「ある事 ない事」で 歴史が語られるという現状を
「ある事 ある事」にしようという運動です。

つまり 日本人は《嘘》が嫌いなので 
《嘘をなくそう》という運動です

《アメリカの歴史修正主義》
これは
「アメリカは正義」という《お話》を創るために
「アメリカの敵を 悪にする為」に「ある事 ない事」で 
歴史が語られていた。

その中で《嘘》に気づいた人たちが、
「実は アメリカが悪だった」という《お話》に変える為に
「ない事 ある事」に 歴史を書き換える運動です。

 つまり アメリカ人は 
人間を 善人と悪人に分ける習性があるので
国や民族その団体にも 善悪のレッテルをはります。
すると「アメリカは正義の国が 嘘だった」となると
「アメリカは 悪だった」になってしまうのです。
 
なぜか アメリカは
「《アメリカは 完全ではなかった》という 
当たり前の事実を 当たり前に受け止めることが 
できない国」なのです

私は 「日本は《自虐史観》から脱却すべきである」と思います。
しかし それは「本来の《嘘のない》日本の戦争観・歴史観に戻るべきだ」という事であって「善悪を 逆転させるべきだ」という事ではありません。

私は 感情では「ルーズベルト大統領は 薄汚い謀略家だ」と思います。
しかし 歴史の事実は
「当時の日本政府が《その薄汚い謀略の 裏をつけなかった》から 
真珠湾攻撃をしてしまった」のです。
この 歴史の事実を決定した 同時の日本政府と軍部に対して 
私は「いとおしくて 悲しくて そして がっかりして 憤りも感じる」という混乱した感情をもっています。
 
つまり 戦争を振り返ると 感情の面でも
「善悪の範疇には とても収まりきらない」のです。
ところが そこに 無理やり《善悪のレッテル》を貼りつけて 
「こう思いなさい」「こう感じなさい」と強制するのが 
「善悪二元論」の戦争観です。

 これで戦争を振り返ると
→南京大虐殺は嘘だった。バターン死の行進も怪しい。
→アメリカと連合国は 嘘つきだ。

「悪いのは 実はアメリカだった」になります。
こうなると 「復讐したい」と願う人も出てこないとも限りません。
この事態を避けようと、日本の「自虐史観脱却運動」を「歴史修正主義」と間違えて 潰そうとするのかもしれません。

私は「善悪二元論《嘘を交えて 勝者は正義だ》とする戦争観」は
いわば 戦争が終わった後に 人々の感情を扇動し続けて 
「次の戦争を 呼び込もうとしている」ようなものではないかと思います。
だから「日本以外の世界では 戦争がやむことがない」そんな気がします。

 いずれにせよ 
日本の「自虐史観」からの脱却運動は 「歴史修正主義」ではない。
「歴史に嘘をつくと ばれた時には 逆効果になるので 日本はやらない」と、「世界に知らしめるよう 努力した方がよい」と思います。



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