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揺れる2月の不登校・親はどうすればいいのか

【記事の結論】
 
「判断する言葉」に敏感になってみると良いかもしれません。


1.一番寄り添ってきたのは母

 2月は新年度が強く意識されますよね。
 「この子は学校に行けるようになるのかな」と心配な気持ちが沸き起こってくる一方で、「学校に行かなくても大丈夫だよ」という思いや「学校に行かないと困ってしまうかもしれない」という思い等々も沸き起こってくることもありますよね。

 ただ、それだけじゃなく「私はいままで何もしてあげてこられなかった」「好きな事、させてあげられなかった」「あの時、あんな風に怒ってしまったからかもしれない」「今まで何をしてきたんだろう」そんな気持ちも聴くことがあります。

 不登校の子を持つ母親の自助グループに参加している人や、学校の采配でスクールカウンセラーのカウンセリングを受ける事が出来ている人、支援センターで運よく良い人と出会った人等々、こういう人たちは上手く自分の気持ちに整理をつけていくことができると思います。

 ただ、多くの母親はそうではありません。
 だから、「何もしてあげられなかった」「今から何かするなら…」と、心がつぶれそうになっていく…。

 だから、少し楽になってほしいと私は思います。

 「してこなかった」「できなかった」と悩み始めた時、それはもしかしたら本当かもしれません。「どうしようもなかった」と思う部分もあるんだけど「私のせいだ」と思ってしまう。仕方なかったと思う事は難しいんですよね。むしろ、そう思ってはいけないと考えていることもありますよね。

 こうやって思い悩む理由は「心を使っている」からです。
 誰かに対して心を使うと、人は辛くなります。
 
 そしてそれは、何かをすることよりも、ずっと大切なことです。

2.例え話として考える父親のこと

 これは例え話です。

 あるご家庭の父親は、普通から普通よりちょっと稼ぎが良い人でした。その父親は自分の子に結構なんでもしてあげるタイプの人でした。

 少し大きい家に引越しをして、子どもに部屋を与えました。
 習い事、塾、食べたい物、着たい服、ゲーム、おもちゃ等々、全てとは言えませんでしたが、だいたい普通程度に実現してきました。

 この父親は、たまに家事もします。
 子どもの行きたい所にも行こうと言います。

 母親も安心して生活できていたし「自分は裏方的に頑張ろう」と思って、家族を支えるためにうごいてきました。

 さて、子どもが思春期に入りました。かなり強めの思春期でした。

 子どもはこんなことを言います。
 「私の事なんて何もわかっていない!!」「最低の親だ!」

 子どもの成績は下がり、不登校になりました。

 父親は子どもにこう言います。
 「これまで色々なことをさせてやってきたのは、誰のおかげだと思っているんだ!!」

 例え話以上。

 子ども目線で言うと、思春期には親から自立していくので、親に反抗するのは当然です。イニシエーション的なものです。心理学的に見れば、普通の事です。
 これまで「何をしてきたか」なんてわりと関係ないし、むしろそれが悪影響になっていることすらあります。

3.心を使うということ

 「何をしてきたか」は、確かに、生活の豊かさ的に大切なことですし、生活が豊かだと、それが心の平穏につながる事も多いです。ただ、それができなかったからといって、それが、心の荒れにつながるかとういうと、そういうわけでもありません。

 子どもは成長ともに、心が大きく揺さぶられますし、「今は考える事が出来ない状態」にもなります。そういう状態が、どう表現されるかについては人それぞれです。

 だから、ここで「心を使う」ことが大切だと、私は言いたいのです。
 そして、悩んでいる人は「心を使えています」

 色々ぐちゃぐちゃになってしまうのは、心を使えている証拠です。

 それは、その人のことについて、「本当に考えている」からこそ起こってくることです。何も考えてなければ悩みません。誰かのために心底考えられる人なんて、世の中多くはありません。

 親と子の関係なら普通と思うかもしれませんが、全然普通じゃありません。トラウマを専門とする私の目から見ると、虐待の方がよっぽど普通に起こっています。

 なので、悩んでいるということ、そのものが、とても大切なことであって、それこそが「よき母」である証拠だと、私は思います。

 悩んで虐待してしまう人は、専門家とつながって下さい。
 虐待の専門家はあなたを責めません。
 私もトラウマが専門なので責めません。

 この記事とは別の部分で理解しています。

4.具体的にはどうすればいいのだろうか

 「心を使えているから悩むのだ」と言っても、実際に必要となるのは、やっぱり「何をするか」になってきますよね。

 ポイントは「何をすればいいか知った」からといって、「そうしてこなかった過去の自分」を責める必要は全くないということです。

 過去の自分に否定的な意味付けを行ってしまうと、自己否定感が強まりますので、「できてきたこと」に目を向けるようにすると良いと思います。

 さて、具体的にやることは「判断する言葉」をやめてみることです。

 ただし、子どもが判断する言葉を求めてくることがありますので、それはケースバイケースで見ていくしかありません。

 判断する言葉というのは、「人をどちらかに位置づける言葉」と言い換えてもいいかもしれません。

 簡単な例で言うと「すごいね」が分かりやすいと思います。

 「すごいね」と言うと、「すごくないとだめ」「そんなすごいことじゃない」「もっとすごくならないと」等と思わせる事があります。

 これは「すごい人」「すごくない人」のうち、「すごい人」の方にその人を位置付けるから起こる事です。

 人から、自分の位置を決められる事は、普通は嫌なのです。

 どのような言葉がけが正解かとかはありません。
 ただ、大事な事を盛り込みながら、無理やりセリフを考えると、

 「話を聞いてきたけど、私はあなたに成り代われないから、その全ての気持ちを本当の意味で心の底から理解することは難しいけど、ただ、確かに、私でも辛い気持ちになるだろうなって思う。そうなったとき、私も不登校になるかもしれないし、何がどうなるか考える事は難しい。だから一緒に考えていきたいと思っているよ。」

 大事な所は、「事実は事実として受け入れる。ただし、それを言葉にするかどうかは慎重になること」「自分の気持ちを自分で感じようとする事。ただし、それを伝えるかどうかはタイミングが重要で、言わない事の方が多いかもしれない」「もしこうだったらこうかもしれない、といった仮定の話をして、色々な可能性に目を向けてみる。ただし、ポジティブな仮説を立てた方がいい場合がある」「何をしたいのかをはっきり言葉にして、そこに嘘偽り見栄等を混ぜ込まないで正対する。したくないのにしたいというのは嘘」

 最後までお読みいただきありがとうございました。