不登校になった日を振り返る
私は中学1年生の夏に不登校になりました。
夏休み目前の7月です。
元々小学校は楽しく通学していた私。
地元の公立中学にそのまま進学しましたが、そこで初めて何となく息苦しさを感じました。
物理的な息苦しさではなく心理的な息苦しさです。
けどその正体は分からなかったし、知ろうともしませんでした。
行きたくない気持ちはあったけど、これはきっと誰しもが思っている
「学校めんどくさいな〜」
に過ぎないと思っていたし、そもそも学校は当然行くものだと、行かなければならないと思っていました。
時間ギリギリまで動かない癖があり学校に着くのははいつも遅刻ギリギリ。
課題も多くてめんどくさいし小学校の頃のようにサボったら比べ物にならない怖さでめちゃくちゃ怒られる。
当時の私はそれでも課題をサボりまくって学年の全教師に囲まれて怒られた事があります。
ただ すみません と謝った後 何か言うことは? と言われ全く心当たりがなく1時間ほど え? と考えましたが結局今でも求めていた言葉は分かりません。
ここから数日経ったか次の日だったかは分かりません。
でもこの件もあって学校に行きたくなくなったのは確かでした。
完全に自業自得です。
極めつけに寝坊して遅刻確定。
あんな事があってから今度は遅刻で怒られるのか と思った私は遂に爆発。
学校に行かない と決意します。
着替えを学校のカバンに突っ込んで何食わぬ顔で家を出ました。
当時の私は 学校を休むには正当な理由が必要 だと考えていました。
それは熱を出したとか怪我をしたとかそういう仕方の無いもの。
最初は仮病で休もうかとも思ったのですが、小学6年生の時に 熱があるから学校を休みたい と言った際 ちょっとくらいの熱なら行きなさい と母に言われた事がずっと記憶にあり、家には帰れないと思っていたのです。
今ならまだ引き返せる、と通学路で考えましたが、母に怒られると思い、そのまま学校を通りすぎて祖父母の家へと向かいました。
歩いて40分ほどの距離にある祖父母の家には私の自転車が置いてあります。
でも制服で自転車に乗っていたら警察に見つかってしまう、そう考えた私は祖父母の家の庭(どこからも見えない)で急いで制服から私服へと着替え、制服をカバンに突っ込みました。
そしてカバンを道の側溝に捨てて知らない道を自転車でどんどん進んでいきました。
地形の関係上私の進んだ道は上り坂ばかりで結局すぐに自転車をおりて歩きはじめました。
もう引き返せない、今頃きっと学校から母に欠席確認の連絡が行っているだろう、こんな事してごめんなさい。
何よりこの日は母の誕生日でした。
誕生日にこんな事をしているのが申し訳なくて涙が止まらなくなりました。
けれど私はもう帰れない。止まることなく私は進みました。
ところで祖父母の家に行けばよかったものをなぜ祖父母に会うことすらせずに歩いているのか、疑問に思う方も多いかと思います。
もう帰りたくない、この日常から抜け出したい と考えていた当時の私は 祖父母の元へ行ったら確実に親に連絡されてしまう、帰されてしまう そう考え祖父母にも見つからないようにしていたのです。
ひたすらまっすぐ歩き続け、知らない土地。
7月の暑い日差しの中休むことなく歩き続けていれば限界が来ます。
当時の私の所持金は200円もありませんでした。
お小遣いをもらうまで待てば良かったものを、と今になって思うのですが当時はそんな事すら頭になかったんです。
コンビニに入ったら補導されてしまう、そう考えた私は道端の自動販売機で水だったかお茶だったかを購入し、また歩き始めました。
持ってきていたウォークマンで音楽を聴いたりしながら歩き続ける事半日。
物語ならこうやって家出をした時誰かと出会って泊めてくれたりするものです。
現実でももしかしたら、なんてお花畑すぎる思考で私はとある家に近づきました。
するとその家にいた犬が大きな声で吠えだし、家主のおばあさんが外に出てきたのです。
泊めてくれませんか!
そうお願いするとおばあさんは驚いて、私をその場に座らせました。
どこから来たの?親と喧嘩でもしたの?
そう聞かれた私は糸が切れたかのように泣いて泣いて、親と喧嘩はしていない、学校に行きたくなくて家出してきた、〇〇区からきた、と答えました。
隣県の同じ地名から来る人の方が多いらしくかなり驚かれた私ですが、話をしている最中におばあさんが呼んでいたのでしょう、お昼頃に私は警察に保護されました。
警察が来た時、
ああ、終わった
と思いました。何とも言えない絶望感。
きっと怒られるだろう、またあの日常に戻される。
嫌で嫌でたまらなくて 親には連絡しないで と無理なお願いもしました。
警察の方がお昼ご飯をくれて、そのまま事情聴取?的なものが行われました。
名前も中学も親の電話番号も全て偽りなく答えました。
ご飯を食べた事で思考が落ち着いたのかもしれません。
この時には全てを諦めていました。
その後の記憶は少し曖昧ですが、私は親に引き渡されました。
親は私を見るなり 無事で良かった と涙を流し、それを見た私も ごめんなさい と泣いて謝りました。
親の車で 親も教師もとにかく周りを捜索した事、近所で私の捨てたカバンが見つかり事件性を感じて警察に通報した事、近所の同級生の親御さんまで捜索してくれた事を話されました。
ぼんやりと 迷惑をかけたな とは思いましたが、それでも私はこの後待っているであろう地獄に絶望していました。
その日の夜中学にも親と出向いて謝罪をしました。
その後 なぜこんな事をしたのか いじめはあったのか 等聞かれましたが、分からない としか考えられませんでした。
早く終わらせたくてそれっぽい理由を答えたような気もします。
覚えていません。
その後親にも話を聞かれましたし、幼い頃から通っている習い事の先生にも話を聞かれました。
必ず聞かれるのは なぜ学校に行きたくなかったのか でした。
少し前に怒られたから、宿題がめんどくさかったから
そんな理由答えたら怒られるんじゃないか
そう思っていたし今思い返してもそう思うので私は未だにこの理由を誰にも言えていません。
ただ学校に行きたくなかった。
それだけ答えていると母は こんな事をするほど嫌なら学校には行かなくていい と言いました。
その日から私は不登校になったのです。
しばらくは 休めてラッキー とばかり思っていました。
一日中タブレットも触れるし寝ていられる。
ですがしばらくして焦りが生まれます。
こんな事してて大丈夫なんだろうか、高校に行けないんじゃないか。
その焦りをかき消したくてとにかくSNS,YouTube,ゲーム。そして昼夜逆転。
当然問題視され、タブレットの使用時間についての話し合いにもなった記憶があります。
ですが元々タブレット大好きで筋金入りのオタクだった私が言う事を聞くわけもなく、なあなあになりました。
あの日寝坊していなければ私は不登校になっていなかったかもしれない。
あの日の夜体温を測ったら37.7℃もあったのです。
ストレスで熱を出したのか単に夏の昼間に歩きすぎたのか、はたまた元々熱があって思考が鈍っていたのか。
不登校にならなければ今の私は恐らく中卒でもないし、夢を追いかけて一人暮らしをしているでしょう。
きっとあの日の判断でこうなってしまった。
そう後悔する時も多々ありました。
けれど同時に、遅かれ早かれ限界は来ていたとも思います。
最悪の選択をする前に逃げられて良かったんじゃないか
あのままだったらきっと私はどこかおかしくなってしまっていたと思います。
今も状況は何も良くなってないけど、あの日不登校になって私は良かったと思います。
でも、安易に不登校を勧めることはしません。
本当に無理で私みたいな突飛な行動に出たり、自傷行為に走ったり、精神的な病になってしまったりするくらいなら休んで良いと思います。
けれど私みたいに19になってもまだその影響を引きずって苦しい思いをする人もいる。
もちろんみんながみんなそうではないけど、私みたいな人間が生まれてしまう可能性もあるということ。
この先かなり苦労します。受験もバイトも、将来を考えるのがどんどん怖くなってしまう。
いつかそれに立ち向かう日が必ず来ます。
もしこれを見ている人に不登校の子どもがいるなら学校に行く事は急かさないであげてほしいです。
急かされると焦ってしまって変に拗らせがちです。
私の不登校仲間で今も精神病を拗らせている人は大体不登校の時に学校へ行く事を急かされていました。
どうかゆっくり休ませて欲しい。
いつか将来への不安を口にした時、優しく暖かく支え、助言してくれたらいいなとも思います。
勉強はやる気になれば後からでも何とかなります。
不登校で勉強も何もしてなかったけど夢を見つけてから勉強に励んで大学に進学した友人もいます。
逆に家で泣きながら勉強をしていた友人は受験前に鬱を拗らせて自殺未遂。
親からしたら確かに心配だし不安だろうけど、見守る事も時には大切だと感じています。
けれど子ども側の私が言ったところできっと私にはまだ想像できていない現実がたくさんあるのでしょう。
でもこんな不登校もいるよ、という私のこのノートが誰かの役に立てたら嬉しいです。
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