土地の支配をめぐる争いの変な所

歴史を見ても現代を見ても土地の支配をめぐって争いは起きている。
それによって土地の支配者も移り変わっていったように見えたりもする。

しかしどうして土地の支配をめぐって争いが起きたのだろうか。
土地がもたらす豊かさ、力を求めて多くの土地を求めた者も居たのであろう。
それとは別にその土地にしか無いモノの取引に支障が出た場合もあるだろう。
価値観での衝突の場合もあるが、それを理由にして奪いに行くのであれば価値観とやらの大半は単なる口実に過ぎない。
どちらにしろ、共通しているのは「土地を所有することによる独占的な利益」を求めたからそうなったのだと言えよう。

では実際に多くの土地を所有しようとして何が起こったのだろうか。

その多くの場合、人々は殺し殺され、それによって別の土地に人々が移動していくことになった訳だ。
これによって新たな土地で暮らすことになった勝者は何を得たのだろうか。

土地には風土や気候がある。
その風土や気候に合った思想がその土地に有り、その中には病だってある。
ある土地で生きていけるかどうかは、どれだけその土地に適合しているのかにかかっている。それは思想であったり、その環境にあった肉体であったり。この事実を逆に言えば、土地に認められていなければ人は生きていけないと言える。

それなのにある土地で暮らす人々が気に入らないといって侵略したらどうなるのか。
侵略者の子孫達はその土地に適合していく。
そしていつの日か、かつての祖先が気に入らないと否定した人々と同じような姿に変わるかもしれない。
血を流して争い合った結果がそれで納得できる人はどれだけいるのだろうか。

人が土地を選んでいるのではない、大地が人を選んでいる。

大地が人を選んでいるのだとしたら、奪ったように見えたその土地は単に人々の決めたルール上での区分けでしかない。
ルールが常に改定されるように、土地の所有者も常に改定される。
だが、もっと深い真実の所ではそうではないのだ。

この事実を知っている人達は実は数多くいる。
それは見かけ上多くの土地を持っている、つまり世間的に見ればお金があるとされる人々だからこそすぐに気付く事実でもある。
土地は持っているだけで金が掛かる。
つまり、属している集団内から借りている借り物でしかないことを知っているからだ。(これに似た「所有している」と勘違いする事例は実は沢山あるのだが、それは探してみて欲しい)

土地は借り物でしかない。

その借り物を独占しようとしたからこそ多くの争いは起きた。
土地を、大地を敬うことはその上で生活している、つまり借りている者達にとって求められる素養であろう。
何をすることが、どう生きることが大地を敬うことになるのだろうか。

それをいつの日か試されるのかもしれない。
その結果がどうであれ受け入れるしか無いのであろう。

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