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8月の酔っぱらい

「酔っぱらいって、こういうこと?」

ふわふわした頭に届いた息子の声。
今年の夏は過去最高の暑さと言われたが、八月下旬の夜道は日中のベトつく煩わしさから解放されて少しだけ秋の訪れを予感させた。昼間は相変わらずウンザリする暑さだったが、夜の晩夏は夢見心地で歩くことができた。それは酔いが回って陽気になっていただけではなかった。わたしの手を引く息子の右手が、思っていたよりも大きくなっていたことに感激する自分がいた。


夏の終わりに、家族でお酒でも飲みに行こうかという話になった。夕方になりアルコールを提供している近所の食事処へ歩いて向かった。わたしと夫はお酒を片手に一品料理をつまみ、子供はソフトドリンクをおかわりしながら、注文した定食やテーブルに並んだポテトフライに手を伸ばした。暑さを言い訳にして家でも嗜んでいたお酒だったが、お店で口にすると幸福度が違う気がする。久しぶりの外飲みだったからかしら。元気の源アルコールと、厨房の人が作った料理がポンポン出てくる贅沢さに感謝した。今までならあちらへこちらへと忙しく駆け回っていた多動息子も今ではじっと座って食事をするし、身の回りのことは一通りできるまでに成長した。レモンサワーで喉を潤し、巡る思いを噛み締めていた。


他愛もないことを話しながら、酎ハイから日本酒へ焼酎へと、好き勝手に体へ流し込んでいたらいい具合にほろ酔いになった。あと一杯だけと最後にグラスワインを頼んだところで、完全な酔っぱらいが出来上がった。スマホゲームに夢中の息子の頭を撫で回し、ほんとに大きくなったよねえ息子よと、そんなことを言って絡みだしたので、察した夫がそろそろ帰ろうと言ったのを合図にみんなで席を立った。

帰りの道は千鳥足だった。
真っ直ぐ歩いているつもりではいたが、体の軸は揺れていて足はおぼつかなかった。意識は鮮明にあったのに自分の足にもつれそうだ。酔いで上機嫌のわたしのすぐ前を夫と息子が歩いていた。気分のいい夜道。そこへ夫に話しかける息子の声が聞こえてきた。

「お母さん大丈夫かな。酔っぱらいって、こういうこと?」

次いで夫の声が耳に届いた。

「久しぶりに外で呑んだからお母さん楽しくなっちゃったんだね、フラフラしてるから手繋いであげて」

一歩下がってきて横に並んだ息子が、わたしの左手を取り、握った。それは大きな手だった。かつてはわたしが握っていた手。いまは息子に握られて、懐かしい道を歩いていた。


懐かしい道。それは、息子と共に何往復もした通学路だった。支援学級に在籍する息子は、小学校入学と同時に登下校は親が付き添うことをルールとされた。突発的に飛び出す恐れがあったので、歩く時は息子と車と自転車と行き交う人に気を配っていた。感覚過敏で手を繋げなかった子だったのに、やっと繋げるようになったと喜んでいたが、すでに周りの子は親と手を繋ぐ時期を過ぎていた。というよりも、通学班で学校へ向かう集団に親はいない。親が付添している子は大抵が支援学級の子供か、何か付添う理由がある子だった。
 

学校という環境に馴染めずに不安と緊張の渦中にいた息子は、発達障害故の特性を露わにしていた。学校に着くまでにはどのくらいの時間がかかるのかと、気になって仕方ない。環境の変化に順応できず、不安は大爆発を起こしていた。「だいたいこれくらいだよ」そんな言葉では納得できない息子は、時間の感覚もなかった。あと10分で着くよと話しても、その10分がどのくらいか分からない。息子にも理解できるものは何だろう。スマホアプリのタイムタイマーはどうだろうか。本人に見せると凝視したので試してみることにした。タイムタイマーは経過した時間と残りの時間が色分けされているので、時間の経過が目で見て分かりやすい。残り時間がゼロになると音が鳴って知らせてくれる。その点も本人は気に入ったようだった。すでに何度も歩いた道。15分と設定し、息子の横に立ちスタンバイ。わたしの右手にはタイムタイマー。しかし、初めの頃は学校に着く前にタイマーが鳴るという痛恨のミスを犯した。自分が学校に着く前にタイマーが鳴ったことが気にいらないと、校門の前で癇癪を起こしたこともあった。こんな初歩的なミスをしてはならない。登校中は息子の目を盗んで残り時間をチェックして、時間を一時停止させることもあった。わたしの朝のミッションは、癇癪やパニックを起こさせずに息子を学校に送り届けることだ。できるだけ穏やかな状態で息子を先生に引き継ぐ。それを自分に課していた。

しかし、日常にはいつもとは違う状況に出会うことがあり、それはふいにやってくる。晴天が続いていたあの日もそうだった。いつものようにタイムタイマー片手に息子と通学路を歩いていたら、前方に見える大型犬がこちらにしっぽを向けて座っていた。その犬は道を塞ぐほどに大きくて、このまま直進したらぶつかってしまうし、どうしようと眺めていた。車に注意しながら車道側にはみ出し、通り過ぎるしかないだろう。そんなことを考えながら犬との距離を縮めていった。だんだん距離が近づいていったそのときだった。事件は起こった。わたしは目を大きく見開いて息を呑んだのだ。なぜならばその前方にいる犬の肛門から、立派なうんこが気前よく出てきたからだ。おお、これはこれは朝から立派な。なかなかの衝撃映像だと思って隣の息子に視線をやると、体をカチカチに硬直させて静止していた。顔も薄っすら青白い。そうしてポツンと呟いた

「僕、今日学校休む」

嘘だろ、

たしかに、たしかにね気持ちは理解できる。あんな真正面からよそ様の家のペットのアレを見ることなんて、人生において今後あるかどうか分からない。そのくらいのレアな状況に衝撃的に出くわして、気分が悪くなったのもよく分かる。これは不測の事態なのだ。映像が記憶に残りやすい息子には、凡人には想像もつかない苦しみを味わっているはずだった。けれども、学校欠席の理由が犬の脱糞とはいかがなものか。とりあえず先生にこのことを説明するから、一旦学校まで行こうと促した。それでもどうしても気分が落ち込むようならば、今日は学校を休めばいい。「ビックリしたよね。何か違うことを考えようか、ほらそういえば、」思いつく言葉を並べてみたけれど、息子は下を向いて歩いていたっけ。それまでも想定外のことに心を削られる子ではあったけれど、この日ほど痛感した日はなかった。当然のようにわたしは息子といるときには犬に警戒するようになったし、動物の生排便は動物園でさえNGとなった。

「ぼくはうんこがきらいだ」

一生母の胸に留めておこうと誓った。

そんな思い出が溢れた道を、わたしは息子の手に引かれて帰った。


酔っ払いの常套句になるが、そんなに酔っているとは思わなかった。家に着いてトイレに直行し、便座に座ったら頭がぐらぐらしてきた。そのあとはまあ、大学時代の飲み会を彷彿させることなどが起こり、床にへたりこんだ。パンツ丸見えで寝転ぶわたしを夫が救出してくれたらしい。目が覚めたときには呑んでいた格好のままで布団の上にいた。アルコールはしっかり抜けていた。


翌日には「うちには思春期の息子がいるんだからね」と、子供は母ちゃんのパンツは見たくないんだから気を付けようね、と夫から愛情たっぷりの注意を受け猛省した。今更だが、ちゃんぽんは危ない。お酒は節度をわきまえて楽しもうと、肝に銘じた酷暑続く八月の終わり。嗚呼、わたしの夏の思い出。



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