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生 sei

前回のヒーリングを経て次の

『性なる~seinaru~』そして聖なる

以前の私なら忌避していたであろうタイトル。申し込むときはすんなりだったのに何か受けとりづらい。。
受け取ろうとしても集中できない感じがして「もしかしてお得意の受け取り拒否を発動しているのでは?」と疑念を抱くほど。

少し悩みましたが、前回は受けとると決めたときからヒーリングが始まっている感覚があり、施術日にストンと受けとった後も幸福感がジワジワ続いていました。今回も穏やかな波のようなものはずっと感じていたので「このヒーリングは時間をかけてジワジワと受け取るのかも」と、ただただぼんやり浮かんでくる考えや想いを歪めず、誤魔化さず、受けとることを意識して過ごしていました。

☆☆

そうこうしているうちに7月7日🎋

7年前のこの日は、何度も事故に遭いそうになりながら辿り着いた天河さんで、見えるもの、見えないもの、たくさんの存在に護られていることを感じた日。

御神事のときにいただいた御守。

それ以降、7月7日は生死の境を意識する出来事が多く、

(この出来事もそこから続いています)

特定の日にこうもはっきりと繰り返すのは、私自身が『数秘7』『 kin77 』で『7』という数字に縁があるから意識に残りやすいということ以外に、何か意味があるのかもと思うようになっていました。

『7』という数字について調べてみると、感じていたことは大体当たっていて、特に“0以外で生と死の両方の属性を持っている数字”という解説は私の特性ド真ん中でした。

そこでふと思い出したのは看護師になって初めの8年の配属。
1〜4年目 ICU & 救急
4〜7年目 産婦人科(周産期〜新生児)&内科
8年目 ホスピス(終末期)

希望したのはホスピスだけで他は病院側の差配でしたが、言葉どおり「ゆりかごから棺桶まで」
間(あいだ)がなく、一見すると極から極への移動感がすごいですが、ホスピスは「生の終わりとしての死」を悲観的に待つばかりではなく、寧ろ「限られた時間をいかに生きるか」という視点で団結しており、熱量が多く意外にも“動”の要素が強い職場でした。

看取りの瞬間のきらきらした生命の輝きやふわりと感じるマリアさま?の氣配はとても美しく、やりがいは感じてましたが、そこに至らしめるプロセスは妥協や誤魔化しや効かない時間との勝負。毎日が生々しい生命のやりとりの連続で、マンパワーが不足しているなか、当時の私はただただガムシャラに自分の生命を削っていました。氣力・体力が充実したあの頃は、そういう働き方、生き方しか知りませんでした。

故に?この後エジプト旅行中に「辞めます」と電話一本で消え、イスラエルの民の如く流浪したのですが、それはまた別のお話。笑

ちょっと逸れかけましたが、今私が生きているのはこのときの選択があったからなのです。 


逆説的&今更ですが、私はずっと

死という地点から生を模索していたのかも…

ふとそう思ったのです。

そうしたら、今年の7月7日も久しぶりに体調が危うかったのですが、そこを抜けたときの感じ方が今までと少し違っていました。

浮かんだ言葉は『自立』

現実は自立とは程遠い状況なのですが、そろそろそういうタイミングだなぁと。

以前の私はとても傲慢で恐がりなお子ちゃま。差し出される救いの手すら振り払うことも度々でした。でも、この数年何度も死にかけて転び尽くして、ようやくその差し出される手の有り難みが分かるようになり、今は以前より少しだけ謙虚に生きていける氣がしているのです。

護られていることはもう十分に確認できたしね(*^^*)

環境を変えることは少し前から意識に上っていましたが、以前のような逃げや諦めや妥協ではなく、地に足をつけて向き合えている氣がします。

どこでどうやって生きていくのかはまだ分かりませんが、やっとここまで来れました。
もうちょい…かな?

一見ヒーリングとは関係なさそうなことばかり書きましたが、私が感じた『性なる〜seinaru〜』のイメージは生命の根源的なエネルギー(創造力)でした。

そういえば、ばあちゃん(インドのグルジ)にも言われました。「生みだしなさい」って。

受けとっているのはずーっと一貫して同じメッセージ…ですね ^_^;

2023.7.11