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『One Day 23年のラブストーリー』

「ワン・デイ 23年のラブストーリー」(2011年)の映画を観たことがあるひとは多いと思う。いま、ネットフリックスに2024年バージョンの同作品が出たのをご存知でしょうか。ちなみに私はこれが「ワン・デイ 23年のラブストーリー」だと知らずに観ていました。(オリジナル作品を観たのはかなり前なので名前も忘れていました。。。)
この作品、正直傑作かもしれない。食事中に何気なくつけてみましたが、観入ってしまい、合計14エピソードを3日で見終わっていました。
見終わった後は、(今も)喪失感にかられています。久しぶり映画でこの感覚になりました。

Can we live like back in 1980s once again?
もう一度1980年代に戻れたら。

「エミリー!」
階段を駆け上がる足の音とともに、誰かが私の名前を叫んだ。
私は嬉しい気持ちを隠せず振り返る。息を切らしたデクスターは、
「君に連絡する手段が何もないことに気づいたんだ」と言う。
急いでカバンの中からペンを探し出し彼に渡す。
デクスターは紙の切れ端に電話番号を書きながら、「電話して。それか僕が電話する。」と言った。
帰り道、彼のことを考える。夜通し話したこと、キス、彼の手の感触、彼の肌の感触、そして彼の匂い...

こんな出会い、もう経験できないかもしれない。
1998年、エディンバラ。
エマとデクスターは大学の卒業パーティーで出会う。
この日から二人は、お互いにとって「親友」「愛する人」「人生をともにする人」となった。

1998年なんてたったの36年前か。私の両親が20歳くらいのとき。
でもそう思うと、36年前には携帯もなかった(映画中では1994年ぐらいに携帯が出てくる)、もちろんSNSもない。
家電しかないので、電話番号を聞くしか連絡手段はない。
あの時、デクスターがエマを追いかけて電話番号を聞かなかったら、二人はもう一生会わなかったかもしれない。
二人は卒業パーティーの夜に触れ合った、笑い合った夜を何度も思い出す。
エマはデックスを想って詩を書く。
二人は手紙を送り合う。

たった36年前に私の両親がしていたことが、私の20代の時代では全く違ったものになった。デートアプリで右、左とスワイプする。相手のインスタグラムを探って知ったつもりになる。そしてジャッジする。
いつでも、どこにいても、地球の反対にいても、すぐに連絡できる。
その瞬間、その日、その一夜 の思い出は、メッセージ、写真、SNS に蓄積されていく。
この映画を観て、そんなことを考えていました。
便利になった今、失われているものも多いと感じる。人と本気でぶつかること、本気で相手を想って苦しんで。
2011年バージョンを見たときは、「恋」について単純な感想しか出てこなかった思うけど、2024年現代に生きる今、そんなことをたくさん考えています。

“It’s one of the cosmic mysteries — how someone can go from being a total stranger to being the most important person in your life.”
「宇宙の謎の一つ。 — どうやってまったくの赤の他人があなたの人生で最も重要な人になるのだろうか。」
物語は、常にこのメッセージに基づいて繰り広げられる。
「ある1日を思い出してみてください。その1日が存在しなかったら、人生はどのように違っていたでしょうか。」
エマが友達の結婚式で言ったスピーチです。
恋愛 だけに限らず、人生全てにおいて、その瞬間を大事に生きなきゃな、と考えさせられました。

なにせよ、二人の表現力が素晴らしい。
そして、ノスタルジックさを全面に押し出すのではなく、
80、90年代を静かに引き立てるように散りばめられた風景、服装、時計、物、音楽がすごくいい味を出しています。
私、Call Me By Your Name が大好きなのですが、同作品が好きな人には絶対に見てほしい作品です。

#映画にまつわる思い出


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