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アーサーに偶然会った。

焦がれて初めて会ったのは数年前。

びっくりした。

歩いてるんだもの5号線。

覚えててくれた。

アーサーの居るところが教会。

どんな職業だって、どんなセクシャリティだって、

どんな過去だって、どんな今だって、

関係ない。

点と点が交差する、運命に
感謝する。

明日7/14は父の命日だ。
この日を小樽で過ごすであろうことは
思いもしなかった。

もう30年以上前の7/14朝に
私は泣けなかった。

確かに泣いては居ただろう。
着ていたピンク色のパジャマの柄が
どんどんぼやけていくのを見ていた。

私が知るより先に
母は泣き崩れていた。

私の心は
守ってもらえなかった。

そうして7歳の心は
跡形もなく
消えていった。

私が悪い…
私が子供だから…
私が男の子じゃないから…

理由はいっぱいあった。

私が生まれなければ…

私が身代わりになって変わりに死んで、
パパをママに返してあげることも出来ない
私は無力だった。

それが一番辛かった。

だから泣けなかった。
泣いちゃいけなかった。
泣く資格は無いと自分で決めたから。

前の日

父は職場か何かの飲み会に行くと言うので、
明日はお祭りに行きたいと電話をしたという

どうやってどこに電話したのかは
覚えていない

(昔は家の電話横に
電話帳というのが置いてあって
それらしき所に子供でも電話出来た

その時すでに自分の店をたたみ、
小樽から西区西野に引っ越していた。)

父は勤め先の社用車に乗って通勤し
その車で飲み会に行き飲酒をした

その頃は冬になるとタイヤにチェーンを履き
道路は削れ、夏には轍が無数に出来ていた

大雨が降った夜

飲み会の二次会で女の人に絡まれ
その人を家まで送る口実で
店を出て

お祭りに行けるよう
家に帰るつもりだった

そして帰路

交差点の轍にはまり
擦り減ったタイヤは空回りをし
歩道橋の柱に突っ込んだ

同乗していた女性をかばうように
父は即死だった

その女性の命は取り留めた

あまりにも悲惨な現場を
母には見せられないと育ての祖父は
「俺は戦争に行った人間だから」と言って
父の身元確認に行った。他人だけど、
警察も事情を聞き、受け入れてくれたのだろう。

ほとんど仕事ですれ違いの日々
父とは交換日記をしていて
小学校に入る前に
私はひらがなを自分で覚えた

父に教わったのは、お星さまの
一筆書きの方法、それだけ。

みんなきっと
もっと何かを
お父さんに
教わったり
怒られたり
心配されたり
なんかするんだろうな
なにしてもらえるのか
知らないんだけど…

昨日居た人は消えて

何処に行くんだろう

明日はママが消えるのかな

明後日はおばあちゃんが消えるのかな

その次は弟かな、弟は赤ちゃんなのに

そうやってこの日から
次は誰が死ぬのかばかりを
気にして生きていた

角を曲がったおじさん
自転車のお姉さん
学校の先生
学童の先生
お友達のお母さん
お店の人
駅員さん
緑のおじさん

みんな

次は誰が死ぬのかな

誰かな

私かな

弟かな

ママかな

今日は死ななかった
今日はテレビの人が死んだ
本で読んだ、死んだ
時代劇の人が死んだ
殺人事件で死んだ

嘘かな
ほんとかな

明日は誰かな…

そうやって中学生になって
高校生になって
成人して
ずっと誰が死ぬか毎日考えて
仕事して
結婚して
こどもが生まれても
今日死ぬかも
明日死ぬかも
赤ちゃん死ぬかも
私が死ぬかも
そうやって毎秒毎秒
死と一緒に居た

普通の生活を送っているように
見えただろう
私以外の人間には

ずっと死と一緒に
大きくなって
大人になって
ずっと一緒に居た

父は死そのものだった

死を感じ
生きることは
刹那だ

今日を生きる
懸命に

明日が無いどころか
一線を超えれば
1秒後も無い

そうやって死に抱かれて
育った
私自身が私を育てた
死なないように

ずっと守って来た

死んだものの人生はそこで終わるが
残されたものの人生は続く

それが死だ

残されたものに死がある
死んだものには何も無い
次に生があるだろう

思春期には父を恨んでみたりもしたが
一向に返事もない
おはようやただいまに返事はない

気楽なものだ
そっちはいいね

父にはなを手向けたくて
供え花を作るようになったのは
父の享年31歳を
私が越えた時だった

死に花を手向ける心
死に手を合わせて祈る姿

その時人は最も
人に成るのかもしれない

いまはそんなことを思っている。


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