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summer day dream (長編小説)


プロローグ

会場のスポットライトが私を見つめる。
私はこの瞬間のためにピアノを続けていたのかもしれない。
楽しいと言う感情はいつからかどこかに捨ててしまったみたいだ。
でももうお別れをする時間。
私の賞味期限は終わったように感じたから。
17年間親よりも一緒に過ごしたピアノはこれから先よほどのことがない限り触らないと決めた。
世間はざわつくだろうし、ママも先生も怒るのかな。
これからの人生敷かれたルートの上を一歩ずつ無感情で歩くものだと思っていた。

幼少期の頃の楽しいという感情だけで進めていられたら今も心が躍りながら弾けていたのかもしれない。
君が私にくれた言葉全てを信じることができていたのならば、君がずっと隣で私のことを見てくれていたら何か変わっていた気もする。でもそれも全部過去だから。
そっとピアノに微笑みを向けて挨拶する。
私もピアノもお疲れ様、またね私の相棒、それから私の敵。
これが最後の演奏になるからね。

史上最年少でピアノコンクールの大賞を取った私は今日ピアノを、音楽を辞める。

Ep.1

コンクール当日まで辞めることは誰にも言えなかった。
いや言わなかった。
ピアノを始めてからルーティーンはいつも一緒だ。
朝、一杯の水を一気飲みをして大きな伸びをする。
まだ早朝と呼ばれる時間に静かに起き上がり、春風、蝉の声、秋の香り、冬のすっきりとした空気を一つゆっくりと吸うと向かう先は防音壁に囲まれたピアノ室。

天窓がついていて光が綺麗に入ってくる。
一曲弾き終わると私は天窓を見上げて世界に挨拶する。

“あぁ、今日も生きてしまったよ”

今日はやけに晴れていて、ピアノを辞める日にしては少し勿体無い気もしたが、そんなことで私の意思が揺らぐはずはなかった。はたまた、君が私に向けた最後のメッセージがなんだか叶う気がして少しだけ嬉しかった。

一曲弾き終わると少ない朝食をとって会場にむかう。
私の関係者席はいつも2席だ。
ママと君。もう10年近く君に会っていないが、決まって私が取る席は一番前のママの席と一番後ろの角席。
君がいなくなってしまってから、その席は一度も埋まることはなかったことが少しだけ心残り。
会場に入ってピアノに向かう。
ミの音を弾いて今日もよろしくとピアノに言葉を交わす。
服を着替えてお気に入りのヒールを履くともうすぐコンクールが始まるようだった。
出番の前に上手側から、ママと埋まることのない君の席を見て少し落胆する。
ここまででワンセット。

控え室に戻ると先生が言う。

「今日も素敵な音を世界に。」

両肩を優しくトントンしながら私の顔を覗き込んでニコッと微笑む。
無駄に大らかな先生だ。
厳しくされたことはあまりなく、ただただピアノを尊敬してくれと懇願されていた。
ごめんね先生。
今日で先生と私はお別れだよ。

ピアノが嫌いなわけではない。
まあ少し飽き飽きしていた部分はあったが、毎日ピアノを弾いている時間だけは何も考えずに済む、その事実が時には救ってくれたりもした。
どうしても消えない邪念もあったけれど。
表向きは世間をどうしても好きになれなかった。
表向きと言っても辞める理由の一つにすぎない。
少なからず私は世間に期待をしすぎていたのかもしれない。私が思っていたよりも世間は良いニュースよりも悪いニュースの方が好きだった。
もちろん私も。
人の不幸は蜜の味は本当だ。
憧れの対象がダメダメな姿を見せると人はいい気分になるらしい。
誰もが食ってかかってその事実を楽しそうに、自分の身を隠しながら好き勝手言うのだ。
その対象に私がなっただけだった。
コンクールで成績を残しても新聞の中の小さな一つの記事と、ダイジェストでまとめられたニュースの中の一つになるだけだ。
その情報に世間は全くの反応を示さない。

しかし私ではない誰かが受賞するとトップニュースに上がるほどだった。
私が不調になるのをあたかも世間が待ち侘びていたかのように。そんな世間だったからこそ、私は人の目も気にせずに自分を強く見せるために大きい口を叩いていた時期もあった。

そんな性格が故のニュースだったかもしれないが、強がっていた頃の自分を私自身も嫌いだった。
記事の題名は大体“金城サラ世代交代か”“またもや絶不調金城サラの時代終わり”そんな内容がほとんどだった。
気にしていないと言ったら嘘になる。
私の次の世代で有名に拍車をかけた人たちはなぜか絶賛されていたのだから。
その記事が初めて出た時予想はしていたが思ったよりも辛かった。
なんだか私の人格全てを否定されているみたいで。
スランプという言葉を使うと、どうせもう終わりなんだと言わんばかりの人の笑顔で溢れかえった。
こんな塵みたいな大衆私から捨ててやりたい。

そういう意味でも辞めたいの理由の一つだった。

本当の辞めたい理由はきっと私にピアノという存在はもう唯一無二でも幸せになれる道具でもないとわかってしまったから。
軽々とできていたことが難しくなり、好きだと言い張れていたピアノをやらされていると本気で思っていた時期もあるくらいだ。
ピアノの前に立つと手が震える、音が聞こえなくなるなんてザラにあった。
ピアノを弾いている時間が不幸で仕方なかったのだ。

明確なもう一つの理由は、私の弾くピアノを誰も好きではないと思ってしまったから。
確かにコンクールに出ればたくさんの拍手を浴びるわけだが、いつからか、その拍手たちが全て偽物のように思えてきてしまった。
形式上の拍手に聞こえてきて、ある時から拍手だけ聞こえなくなってしまった。
それも私に向けて送られる拍手だけ。
しかし聞こえなくなるのを私の体は知っていたかのように体も心も全く怖がっていなかった。
さらに辛かった、悔しかったなどの気持ちもいつしかなくなってしまうもので昨日まで芽生えていた闘争心はおろか、ピアノに対する愛情すら消え去ってしまったのだった。

それから数年スランプと言う言葉に甘えて自分のペースと言い張りゆっくりと小さいコンクールだけに出場していたがピアノを辞めることを決意した後は驚くほどにピアノが上達してしまった。

まるで全盛期のピアノが楽しくてしょうがなかった頃のように。

しかし辞める気持ちに変化は全くなかった。
辞めるために練習する。
引退するためにコンクールに出る。どうせなら有終の美を飾ってやろうと。
そうして今日私のピアニスト人生に幕を閉じるのだ。
ピアノが嫌い、そんな感情を持ち合わせたように私は自分に嘘をつく。

受賞後の会見でつまらなそうな顔をして、あたかも上司に指示されたから来たような記者の前に立つ。
カメラのフラッシュがポツポツと光り続けて頭がくらくらする。
記者会見も終盤になりかけた頃、ようやく待っていた質問が来た。

「これから金城さんはどう成長していくのですか?」

すっと息をのんで小さく深呼吸した私は17年間言いたくても絶対に発することができなかった言葉をついに放った。

「今日をもってピアノを、音楽を辞めます。」

その瞬間、ざわつきと今まで浴びたことがないフラッシュが私の心と身体中を刺す。

あぁ、この感覚すごく懐かしい。
初めて世界大会で優勝した時以来の注目だ。
天才少女と謳われていたあの頃、毎日学校に行っては誉められ、ピアノを弾くと歓声を上げて喜んでくれる人が多かったおかげで天狗になっていた時期もあった。
当時のあのざわつきは思ったよりも早くなくなり、次第にいつも受賞する女の子となるのだけど。
高嶺のような扱いもそんな感情も今では全くなくなってしまったが、多すぎるフラッシュが私の昔の感情を噴き出させる。
いつもと関心も持たずにくる記者たちも今回ばかりは目を丸くしてシャッターを切ってある記者は電話をかけた先の電撃引退という大きすぎる声が聞こえた時、ようやく私は自分が引退をすることを実感する。
こんな塵みたいな大衆と離れられることができるのに私の頬に一粒の大きな涙が流れ落ちた。
何が悲しかったのかわからない。
唯一の友達を失った感覚?それだけではないことだけは確かだが言葉に表せない感情だった。

ママが顔を真っ赤にして、私の元に近づいてくる。
怒られるのかな、まぁいっか。
どうせ私の人生なんだから。
辞めることを正当化しながら、ママに腕を引っ張られながら記者会見を後にした。
後ろではマネージャーが記者たちに向けて改めて場を設けることを忙しく伝えていた。

「どうしてそんな思ってもないこと言うの」

怒っているのに寂しそうで涙が出ているママを見て少し胸が締め付けられる。

「ずっと決めてたの、今日引退しようって。」

出てくる言葉が全部震えていることくらい自分が一番わかっていた。
嫌いではないのだから。
いくら未練がないとはいえ、17年を共にしたピアノだ。
情がないわけがない。
私の人生でしょと言うと何も言わずに崩れ落ちるママがいた。当たり前だ。
青春をこれまでの人生を音楽に、ピアノに捧げてきたんだから。ママも私も。

初めてピアノを触った日から取り憑かれたようにピアノチェアに座っては音を奏で、ピアノを弾いていないときでも机をずっと弾いていたのだから。
小さい頃一曲完璧に弾けると大きな拍手をくれたママのあの頃の笑顔のおかげで幼少期楽しくピアノを弾いていた。
片親に育てられながら、十分にピアノを弾かせてくれていたママがこんなに涙を流しているのをみてさっきの私の涙はママに向けての涙だったのだと知る。
意固地なのはママに似ていて、相談せずにピアノを辞めることを言うべきだったのに言わなかったことの悔やみが今になって出てくるが謝ることなんてできない。

「もうこんなに息苦しいドレス着たくないの。毎日腕が痛くなるまで練習しても報われない時だってある。ピアノのことだけを考えるんじゃなくて、好きなことを考えたい。ただ仮面をかぶって生きていたくない。」

スラスラと早口になって言い訳をする私の口を止めることはもう誰にもできない。
決意を固めた私の目をママはずっと見てくれなかった。
3歳から始めた私の全てだったピアノを手放すことはもう簡単じゃない領域にいたのかもしれない。

「じゃあ出ていきなさい。ピアノも音楽も残らないあんたに世間は味方してくれないわよ。」

ママも結局世間の目の一つだったのだ。
今私にこの言葉はナイフのように鋭く、冷たい鉄のような言葉だった。

「それでもいい」

小さく呟いた私を見て大きなため息をつきながら控室を出ていくママの後ろ姿はとても小さかった。
ごめんとその一言すらもう出てこなくなっていた。

ずっと言いたかった言葉なのに何故か発すると悲しくなる。足のサイズが変わらなくなってから初めて自分で買った大切に履いていたコンクール用のヒールを脱いで床に寝転んで大きくトロフィーを掲げ、私の言葉は静かすぎる控室に馴染んでしまった。

「お疲れ様。金城サラ」

よく頑張ったと胸に抱いたトロフィーの存在は初めて取った時よりも随分と小さく感じた。何個自分で勝ち取ったトロフィーがあるのか、50を超えたあたりで数えるのは辞めたが何度見ても自分の名前が刻まれたトロフィーを見るのは悪い気はしない。
でもトロフィーを見て喜ぶのは私ではなくていい。
もうピアノという存在から離れたくて仕方がなかった。
そう言い聞かせて私はピアニストとしての最後を終えた。

今日私は音楽をやめた。


to be continued...


ナナ

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