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留学準備【番外編】両親の説得

こんにちは。台湾に留学中のナナです。
前回は、わたしが台湾への語学留学を決めたことについてお話しました。
しかし、語学留学をするということは、すなわち中国への留学を諦めるということ。

派遣留学というかたちでは、「学校の正式なプログラム」「奨学金受給の有資格者」ということで渋々ながら承知してくれた両親ですが、
果たして中国への派遣留学の資格を放棄し、台湾に語学留学することに(私費留学)承諾してくれるでしょうか。

今回は、わたしと両親がこれまでどう関わってきたか、留学するにあたってどのように説得したかなどについて書きたいと思います。
最後まで読んでくれたら嬉しいです。

「挑戦するのは自由」―両親は、わたしの殻をやぶってくれた

別に両親が非常に頑固とか、物わかりの悪い人というわけではありません。
むしろ、その逆といっていいでしょう。

わたしは両親と仲が良く、自分の進路や人生(?)に関する相談をすることもしょっちゅうです。
そのたびに両親は一緒に真剣になって考えてくれ、両親と一緒に出した結論は、いつもこれがベストな選択であると私に思わせてくれました。

今でこそわたしは(自分でいうのもなんですが)あっけらかんとした性格で、自分がちょっとでも興味をもったことに対してはなんでも全力で首を突っ込み(?)、両親に言わせればかなり「貪欲」なのですが、小さいころはそうではありませんでした。

人前に出て発表する・なにかのリーダーや責任者になる…などなど、なにか少しでも人に「目立つ」と思われることをするのが苦手で、人の後ろに隠れているようなタイプでした。

思い返せば、わたしを変えてくれた大きなきっかけは小学5年生のときに区で主催されていた「海外派遣制度」でした。
各小学校から一人だけ、区で指定される派遣先(わたしのときは、ヨーロッパのオーストリアでした)に1週間ほど滞在し、現地の人と交流したり日本の文化を紹介したりする、というプログラムです。

なんとなく海外に興味を持っていたけれど、当然クラスでも積極的で目立つ子たちがたくさん応募してくるだろう。わたしの入れる隙間なんか絶対にない。
そう思って、躊躇していました。
そんなわたしに、両親は
「選ばれなくたっていい。やってみようという気持ちが大事なんだよ。挑戦するだけなら自由なんだから」
と、いささか強引に(笑)背中を押してくれました。

やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい。

この経験以来ずっと、わたしが大切にしているモットーです。

自分がどうして行きたいのか、現地でどんなことをしたいのか一生懸命考え、校長先生との面接や、選抜のための作文でも自分の気持ちを不慣れながら精一杯伝えました。

何十人もの応募者がいましたが、それまで内気で消極的だったわたしの可能性を買ってくれたこともあるのでしょうか。
なんとわたしが選ばれ、区の代表の一人として、海外に派遣してもらえることになったのでした。

それからは、簡単なドイツ語の練習(今ではまったく覚えていませんが笑)、同じく派遣に行く別の小学校の子たちとの交流、日本文化を現地の子どもたちに伝えるための準備などで大忙しでした。

派遣先での経験がたいへん貴重なものになったことはもちろん、その後のわたしにも大きな変化がありました。

積極性をもって挑戦することが楽しくなったのです。
新しい経験をするたび、そこで新たな人や価値観と出会い、また、新しい自分にも出会えるように感じました。

それからは、小学校の代表委員の委員長、中学校の生徒会、合唱の伴奏者、高校や大学では劇の脚本執筆…などなど、両親にすら呆れられるほどいろいろなことに取り組んできました。

もちろんすべてが楽しかったわけではありません。
文句をたれたりやめたくなったりすることもしょっちゅうでしたが、やはり「やって後悔した」なんてことはひとつもありませんでした。

長々と書いてしまいましたが、なにが言いたいかというと、両親はわたしがとじこもっていた内気・消極性の殻にひびをいれてくれるきっかけをつくってくれた人なのです。

「留学計画書」で両親を説得

わたしに可能性を広げてほしい。わたしのやりたいことをできる限り応援したい。
そう思ってくれている両親がいることは、とても幸運なことです。

でも、だからこそ
「なぜそこまでして留学に行きたいか」
「自分がなにをしたいのか」
「今後はどのようなプランを立てているのか」
きちんと説明する義務がありました。

そこで、以下のように計画書を作り、両親に見てもらうことにしました。
留学の申込期限が迫っていたこともあり、かなり粗雑なものになってしまっているのですが、すこし紹介したいと思います。(大学名などの情報は白塗りで消してあります)

①留学したい理由、なぜ敢えて「台南」なのか

2枚目にもまたがっているので少し見づらいですが、わたしが敢えて留学先に「台南」を選んだのは、おもに

  • 日本人が少ない環境で集中して中国語を学びたかったから

  • 奨学金が得られないため、少しでも留学費用を抑えたかった

この2つの理由からでした。

②費用の見積もり

留学に必要だと考えられる費用について、おおまかに見立ててまとめたものです。
しかしいまから考えると、保険費用やワクチン代、必需品の買い出しにかかった費用がかさんだこと、円安がさらに進んだ影響などから、見積もり通りとはいきませんでした。

逆に航空券は見立てたよりずっと安く抑えられ、宿泊費は学校の寮に入れなかったので予算オーバー…といった具合でしたが、具体的な留学費用などについては別記事で書く予定です。

なににせよ、何にどれくらいかかるのか、大体の金額を提示しないことには両親との交渉もうまくいかないと思いました。

③今後の計画について

最後に、今後自分がどのようなスケジュールで留学し、就活を始めるかなどについて予定を立てました。

わたし自身先々の見通しを持ちながら留学したいと思っていたことはもちろん、わたしがいかに留学と就活を両立させるかということが、両親の一番の懸念事項だったためです。

いざ、留学準備へ

時間に追われていたこともあり、計画書そのものはかなりやっつけで作ってしまったため、両親に認めてもらえるかどうか、かなり不安でした。

しかし、おそるおそる差し出した計画書に目を通した父は、ひとこと

「よく調べたね」

と言ってくれたのです。
そのあと口頭でもプレゼンテーションし、両親の質問にいくつか答えたあと、9か月間の台湾への留学を正式に(?)認めてもらうことができました。

小学生のときの海外派遣では、チャンスを前にためらっている内気なわたしに対し、両親が背中を押してくれました。

大学生になったいま、わたしはわたし自身の意志で、目のまえのチャンスをつかみにいきたいと強く思ったのです。

そして今度も両親は、変わらずわたしを応援してくれます。

でも、小学生のときのように、手取り足取り世話してくれるわけではありません。

海外での生活経験や留学に関する知識などなく、コロナの影響で大学でも語学留学を経験した人がほとんどいない(そもそも縦のつながりがない)状況でしたが、1から調べ直し、なんとか8月末の渡航までに間に合わせなければなりません。

目の前に積み重なる学校の課題や部活のことを考えると気が遠くなりそうではありましたが、やっと目の前に道が開けたのです。

夢に見た留学。

わたしはやっと、その大きな目標に向けて、一歩踏み出しました。


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