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微笑みの国タイでの旅行記

スワナンプーム空港にゆで卵を持った女性が笑顔で現れた。
実に半年ぶりの再会だった。
私の名前を呼ぶなりゆで卵を突き出し笑い転げているヌイはあの頃より15kg太ったそうだ。ヌイが思い切りベンチの隣に腰掛けた振動で危うく地べたに尻餅をつきそうになる。

彼女は私がカナダに滞在していた際に2ヶ月間住まわせていただいたハウスオーナー。実の娘さんと私が同年齢ということもありとても可愛がってくれた。そんな彼女の一時帰国に合わせ私もはるばるタイに来たわけである。

彼女が連れてきた義理の妹と共に忙しく騒がしい3人旅が始まった。
そもそも義理の妹が旅に参画することですら再開したのちに聞いた話だ。
一息つくまもなく我々一向はすぐ国内線でハートヤイ空港へ行き、そこからタクシーで2時間ほどの小さな村に向かった。

観光スポットではない小さなその村ではインフラを筆頭に何もかもが未発達な暮らしぶりが伺えた。かんかん照りの中クーラーもない露店が立ち並び、数日前まで生きてたんじゃないかという姿をまるっきり残した動物たちが焼かれて売られている。それらは主に豚だった。小道を歩いて見える民家では幼い子供が泥で団子や建物と思われるオブジェクトを懸命に形作っており、外に無造作に干してある洗濯物は飛び交う虫や砂埃のせいでむしろ灰色に汚れてしまうのでは無いかと要らない心配をするなどした。車は裕福な層の贅沢品なのだろうか。バイクを3人乗りしながら行き交う家族を何組も見かけた。

あまりに自分が住む世界との違いそして慣れない暑さに眩暈がしてきた。その日は32度。すでに長時間の移動で疲弊し切っている私をよそにハエが飛び交う屋外で調理されるお店で2人は楽しそうにタイ料理を楽しんでいた。いつ洗った雑巾で拭いたテーブルなのか、腕をつくことですら躊躇ってしまう非常識な振る舞いに自分を情けなく思う。それでもどうにも食欲が湧かない私は辛うじて発見したセブンイレブンで得た韓国の激辛カップラーメンを部屋で食した。辛くてむせた。更には衛生面への拒絶から生じた蕁麻疹が赤く私の腕に広がっていた。これが初日の出来事である。

翌朝はニワトリの鳴き声で目が覚めた。村での営みを肌で感じる瞬間。彼らも数日後には人間の胃袋の中にいるのだろうか。どこまでも残酷な現実にまた食欲を失う。ローカルフードを食べれない私をヌイたちはおしゃれなカフェに連れて行ってくれた。そこで飲んだマンゴージュースは絶品だ。ヌイは自宅から空を超えて持ってきたマンゴーを店員さんに切らせては大きな口で生ぬるいそれを満足そうに平らげていた。

この日はタイのモルディブと言われるリペ島に向かった。ツアーを申し込んでいたらしく、いくつかの島にフェリーで寄り道しては15分ほどの決められた時間内に観光を済ませてフェリーに戻る、これを繰り返す。私は船酔いが激しく目を瞑っては高波の中ゴゴーっと鳴り響くノイズに耳をすませ、浮かび上がる水の傾斜を高速で走るフェリーに身を任せた。都度フェリーを乗り降りする際に陸に繋げられる板の薄さといったら命を預けるのも堪らない、そんな様子を見かねたスタッフ2人組が真っ黒に日に焼けた腕で何度も私を引っ張ってくれたものだ。見知らぬ人の汗でぎゅっと握られた気持ち悪さを異国での楽しさが上回る。ただ島の森で10匹以上の蚊に刺された私を見てはきっとあなたの血は甘いのねと笑うヌイの笑顔は吸血鬼のようでちょっと気味が悪かった。

ヌイのタイ帰国の最大の目的は親戚めぐりと先祖の墓参り。タイ人の90%が仏教徒。山奥に聳える大きな寺院を巡ってはお祈りをし、日本と同じように線香をあげる、ただそれだけでなく金箔を仏像に貼り付け、黄金の仏塔の周りを祈りを捧げながら3周するのがタイ流の儀式のようだ。そして何より驚いたのはタイでは「死」は究極的な終わりとはみなされておらず、むしろ一つの世界ないし存在様式から、他の世界・様式への移行と考えられている。その考えからなのか遺体がそのまま寺院に残っているのである。ヌイを見守る先祖達が灰のように形取られた遺体としてショーケースの中に安らかに眠っていた。目を逸らしたい気持ちにはならず、とても神々しい姿であった。綺麗事ではあるけれど、どんな不思議な宗教の違いでもできる限りの理解で寄り添っていたいものだ。ヌイになんでも良いから祈れと言われたので急いで世界平和と皆様の健康を願った。

寺院巡りは全てがまばらに位置しており、その間何百キロの距離をヌイの兄が車で運んでくれた。ガタンゴトンと凸凹道を高速で駆け抜け、その凸凹のたびに心臓が浮かぶような気持ちで絶叫してる私を構わず、みな昼寝の時間だと言わんばかりにいびきをかいて寝ていた。途中、国家のような歌を口ずさみ記憶喪失だというヌイの義母はハーモニカを嬉しそうに吹いていた。なんて哀愁が漂うメロディーなのであろうか。そもそもなぜ義母がいるかって?いちいち私に説明が入るわけでもなくどんどん人が増えるのがこの旅だ。最終的に8人ほどでディナーをすることとなる。みな私の顔を見ては韓国人のようだ、中国人のようだと悪気もなく騒ぎ立てる。いかによく知らない人間の言うことが当てにならないという話だ。ローゼルジュースという脂肪燃焼作用があるお花の風味がする飲料にはまり、これで痩せるわねと声高らかに喜ぶ私をみてフライドチキンたくさん食べてるから意味ないよとヌイは言った。確かにその通りである。どうやらフライドチキンが美味しいのは世界共通みたいだ。

今回初めて人に会いに行くと言う目的だけで旅に出た気がする。観光地というところに行けたのは5日間中たった1日だ。ただ今となってはそんなことはどうでも良いことのように思える。会いたい人に会え、旅の別れが近づくと切なくなり1人になると涙が出る、ただそれだけで良い気がした。なんなら逆にみんなに見せなきゃとか私はここに行ったのだと言いたいとか邪念に追われて必死になっていた自分もいたのでは無いかと思うと急にその稚拙さに恥ずかしくもなる。それでも視覚的に心踊る場所に出会うと嬉しいのも本当だ、最後に連れて行ってもらった森の中のレストランの美しさと言ったら言葉にならない。ここはぜひ紹介したいなと思い位置情報などを調べるがタイ語でしか出てこない。優しいヌイが私のためにタイ語から英語に、そして英語から日本語に翻訳してくれた。「森の中のキノコハウスレストラン」。なんだかその直訳が可笑しくて笑ってしまった。

ヌイは閏日に熱帯気候のタイからマイナス気温のカナダに戻ったそうだ。あのユーモアや大胆さ、そしてチャーミングでありお人好しなくらい優しい性格がどうにも羨ましく思う、異国でも母国でもみんなに愛され上手くやっていく秘訣は彼女を見ていればなんとなくわかる。
魅力しかないヌイ、どうかお元気で。

初日に降り立ったローカルな街並み
吐き気に襲われたフェリーの中
私も参画したタイの儀式
凸凹道のロードトリップ


脂肪燃焼ローゼルジュース


森の中のキノコハウスレストラン


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