見出し画像

こんな私の自己紹介

はじめまして、やま子と申します。

興味を持っていただいてどうもありがとうございます。すごくすごく、嬉しいです。

いつもはアメブロを書いていますが、noteの方が伝えやすいことがあるような気がして書き始めました。

まずは、とにかく、プロフィールですよね。

index 
・アウトライン
・これまでの人生
・私の人生観

*この自己紹介は随時、書き直します。

【私のアウトライン】
・1963年生まれ(58歳)
・A型、魚座、天王星人マイナス
・専業主婦(アルバイト中)
・東京在住
・モットー: お声がかかるうちが華。
    原点を振り返ろう。
    虹を見たかったら少しの雨は我慢しなくちゃ。
    思い込みは捨てて、とにかくやってみる。
・HSP度 109〜124点をさまよう繊細度「強」

【これまでのこと】
10代:1974〜1983年
70年代、「異邦人」とか「魅せられて」とかベルばら、あさま山荘事件の頃、東京の田舎が嫌で都心の女子高へ。
高校ではお嬢様に囲まれて夢ばかり見て将来の展望はゼロでした(笑)
親の説得で短大に行きましたけど、友人は仕事欄に「家事手伝い」と書く花嫁大学。その後専門学校に行きデザイナーを目指す。

20代:1984〜1993年
80年代、スペースシャトルに始まってチェルノブイリ、ベルリンの壁崩壊という劇的な時期。
日本のバブル真っ盛りにデザイナーとして社会人になる。
会社が六本木という悪影響で毎晩飲み歩くグレた大人になり、当時の自分は相当な感じ悪さだったと思う黒い時代(笑)
が、恋をきっかけに改心して転職。そして夫と出会い、結婚。

30代:1994〜2003年
小泉首相の日本、ディズニー・シーが開園、そしてバブル崩壊、コギャル、ティラミスの時代。
当時は珍しい帰国子女のボスに、第二の母と思えるほど影響をうけ、彼女の徹底した教えで人間性まで変わるような変化をして、自分では運命の年と思っています。
しかしナゼか英語が喋れないのに海外相手の部門につき、日本と世界の違いや人の愛に触れ、生き方を学ぶ。
が、仕事漬けの毎日で、結婚生活は夫の理解で成り立っていたと気づいていなかった、ある意味"お幸せな人"の時代(笑)

40代:2004〜2013年
同時多発テロ、北朝鮮拉致問題など世界が揺れる中で、公私共に海外に行くこと多数。海外文化に興味を持つが、仕事では接客業に目覚める。
お客様から学び、人のありがたみを知り、自分で言うのもなんですが、人に可愛がられた時期。
が、それを仕事を捨てて、夫の海外駐在に帯同し人生初の”専業主婦”となる。そして仕事人間から妻の一本道へ(笑)
海外では文化、宗教の違いに圧倒されながら体当たりの英語。
愛犬を異国で見送り、日本の震災を異国で知る。その後、帰国。

50代:2014〜現在
海外から帰国して全く違う仕事に再就職。一から知識を学ぶことになり悪戦苦闘するも、またもや人の愛情に助けられる。
しかし第二の母と思っていた人を亡くし、片腕が無いような喪失感。
そして更年期障害になりながら、次の海外赴任地の中国へ。
中国では新たな世界観に出会いながら、これからの生き方を考える。
が、春節での日本一時帰国中にコロナの非常事態宣言となり、日本から中国に戻れなくなる。
中国の夫と離れ離れのまま、日本非居住者としてひとり日本に取り残された。
現在は無事に夫も帰国、私は定年間近の就活に悪戦苦闘しつつ、アルバイトの日々をおくる。
そしてリタイア生活の予行練習中。

【私の人生観】
人は人に生かされていて、孤独であってもひとりでは生きていないと思います。
もし、これからに悩む人がいるならば、人に支えられていることを忘れてはいけない。誰かが居て、自分が居て、世界がある。
今の自分を空から見下ろして、周りを見つめるように自分の立つ場所を考えて欲しい。
ナゼなら、世界は日本だけではなくて、文化も違い、戦争や貧しさ、不自由という理不尽な環境が溢れた"知らない世界"だからです。
そんな世界で、自分を諦めずに、見失わないように。
人生は長いようで短い。
テロや戦争、震災、コロナウイルス
色んなことに翻弄されて明日は呆気なく変わっていきます。

10代からもうすぐ60歳。昨日のことのように思うのに遠い昔の話になって、恋や仕事に傷ついた事も時間に癒されて小さくなっていきました。
深い傷跡も過ぎたこと。その傷を見つめてしまって大事な明日を忘れないようにしていたい。
今を生きることに全力を尽くす、そして天命を待つ。
そうして生きていれば、人生まんざらでもないかも。

こんな夢想家のやま子と申します。

どうぞこれからも宜しくお願いします。

#自己紹介

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?