復興はどこまですすんだのか

10年前にmixiで書いた日記

「原発事故と原爆と被爆者と差別」

東日本大震災が起きて1ヵ月以上がたちました。福岡に住んでいるので当然何の被害もないです。

揺れもなし。計画停電もなし。お店で買えないものもありません。

TVで見た被災地の光景は衝撃的で、2005年に福岡で起こった震度6の地震の恐怖を久しぶりに思い出しました。

でも、その程度です。

今でも避難生活を強いられている方々の悲しみや苦労なんて、私には理解できるはずもありません。

だけど。

今回の震災の中で起こっていることで、どうしても他人ごとだとは思えないことがあります。

ある疑問が私の中に出てきました。

この疑問は、毎年夏になると必ず出てくるもので、季節外れのこの時期に思い出すことは稀です。

だけどこの時期に思い出したのには、ちゃんと理由があって。

理由は、福島第1原発の事故が起こってしまったから。


夏になるといつも思うこと。

世界で唯一の被爆国。

広島と長崎2ケ所で原爆が投下されました。だけど、長崎の原爆の日って広島ほどニュースとしても取り上げられません。

それは何故だろう?

広島の方が先だからか?他にも理由があるのか?

毎年8月になると、このことを疑問に思っていました。けれど、疑問には思うものの、私はこれまであえてその疑問の答えを探そうとはしませんでした。

なんで毎年原爆のニュースのことを気にするのか。気にするクセにあえてきちんと知ろうとしないのか。

それは私が長崎出身だから。

そして私の父は被爆者で、私自身は被爆2世だから。


毎日毎日ニュースで取り上げられる放射能数値や人体や水や農産物への影響。

こういうのを見ていると、どうしてもモヤモヤした気持ちが少しずつ増えて行って、どんどん不安にもなっていく。

そしてその不安が現実となったのを最初に目にしたのはツイッターでした。

福島の方達の「放射能も怖いけど、それ以上に差別が怖い」というつぶやき。

そして、

「東電職員の子供を村八分にしよう」

そんな内容のつぶやきを見てしまった。

そんなつぶやきを非難している人は沢山いたけれど、そんなつぶやきを沢山の人がリツイートしていたのも事実。

福島から避難してきた子供が「放射能がうつる~」と他の子供達に言われながら逃げられた。というニュース。

いつになっても改善されない原発の状況を見ていると、もしかしたらこのことによる何らかの差別がそのうち起こってしまうんじゃないかと不安だった。

そして現実になった。

私はやっぱり差別が起こってしまうという事実がとても悲しかったし、同じくらい怖かった。


原発事故と原爆は全く関係はないし、比べることそのものが間違っている気もする。だけど、被爆2世の私はただの考えすぎだと分かっていても、どうしても色々考えてしまう。

だって東電で働いている人達の子供を村八分にするって理由が私には理解できない。子供は関係ないですよね?

福岡では被災された方達に県営住宅を提供していて、以前避難されて来た方がインタビューされているのをTVで見ました。東電職員の奥様と子供さんでした。

「福岡に来て、天国と地獄ってこういうことをいうんだと思った」って涙を流しながら言っていたその女性とお子さんを差別するって皆さん出来ますか?

私には出来ません。


だけど、いつどんな理由で差別をするかなんて、差別する人の価値観であって、そのスイッチはいつどんな風に入ってしまうかは分からない。

いつか被爆者やその家族にそのスイッチを入れてしまう人が出てくるんじゃないかと、私はどうしても不安になるし、怖くもなる。

ぶっちゃけコレ書くのにも勇気がいる。

ビクビクしながら書いている。


父は今でも元気で健康。被爆者といっても、当時父は産まれたばっかり。

長崎市内に住んではいたけれど、中心部からはかなり遠いし、原爆が投下された時も、爆風も感じなかったらしい。家とか何も被害もなかったらしい。
(亡くなったおばあちゃんから子供の頃少し聞いただけなので、記憶はあやふやです。)

父は原爆症に悩まされることもなく、大きな火傷の痕とかあるわけでもない。だけどもしそうじゃなかったら、きっと色んなことが違っていたのかもしれないと思ったりする。

私から見たら、父は差別を受けたりしてなかったように見える。

本当のところは知らないし聞けない。聞いてはいけないことのような気もするし、自分が知りたくないだけなのかもしれない。

でもやはり何か障害があったり、火傷の痕があったりすると差別は受けることも少なくなかったのは事実。


これまで私自身、被爆2世だということで大きな差別を受けたことはない。っていうか人には絶対言わない。

子供の頃、一度だけ言ったことがある。

なぜそんなことを言ったのかは覚えてない。言った相手は学校の先生だった。

「お父さんは被爆者」か「被爆者手帳を持ってる」そんなことを言ったんだけど、それを聞いた先生の表情が一瞬変わったことに私は気付いてしまった。

言葉では言い表せないあの目。視線。

あの視線は私に向けられたものなのか。父に向けられたものなのか。

それとも両方なのか。

実際のところは分からないけど、あの目を私は未だに思い出せる。きっと忘れることはないと思う。
あの時から私は絶対に被爆2世だということを人に言わなくなった。もうあんな冷たい視線を誰かに向けられるのは悲しすぎる。

今となっては被爆者に対しての差別なんてないに等しいのかもしれない。
(自分が言わないから分からない)

だけど、だとしたらなぜ被爆2世と言われないといけないのか。その言葉が存在する意味が分からない。

差別受けたりすることもないけど、それでも「被爆2世」って言葉が、たまに自分が背負ってるものというか、そんな風に感じることだってある。

うまく言えないけど。

そして私が将来産んだ子供は「被爆3世」と言われるんだなって思う。ちょっと申し訳ない気持ちになる。産んだこともないし産む予定もないので分かんないけど。そして産んでから考えればいいことなんだろうけど、その事実を子供に伝えるべきなのか?とかまで最近考え出した。完全に考えすぎなだけなので、考えるのやめたけど。

別に原発が必要かとか、反対だとかそういうことをいうつもりはありません。

福島第1原発の事故は起こしてはいけない事故だったとは思います。

そしてその事故によって被害に合った方に対しては絶対にきちんと責任を取るべきことだと思います。

だけど責任を取ることと、差別を受けることは全く違うと思う。


今でも基準値を遥かに超える放射能が漏れ続けている現場で必死に復旧作業を行っている職員の方達。

命をかけて、被爆の恐怖に耐えながら仕事をしているんだと思います。

それなのにまだ差別という恐怖を与える必要ありますか?

私だったら絶対そんな所行けない。自分の大切な人にも行ってほしくない。

なのに東電職員の家族、子供ってだけで差別受けるなんて絶対あってはいけない。

子供同士で起こったことも、悪気もなかったかもしれない。深く考えてない部分もあるんだと思う。だけど起こってはいけないことだったと思う。

もちろん東電の職員やその家族だけでなく、福島に住んでいる方達が、差別を受けるなんて、もっとあってはいけないことだと思う。

差別が怖いと福島の方が思ってしまう今の社会が残念です。


復興も大切です。

1日でも早く福島第1原発で起きてることを止めることも大切です。

でも、そこから起きるかもしれない差別というものも、起こらないようにすることも大切だと思っています。


『いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ること。また、盛んにすること。再興』

これが復興の意味です。

震災前、差別はありましたか?

見た目だけ元の状態に戻って、明るい未来が待っているんでしょうか?

#東日本大震災 #東日本大震災から10年 #それぞれの10年 #福島原発事故 #復興 #被爆2世

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