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自分史上、最高の私になるために。


初めまして!弦巻 那奈(つるまき なな)です。

初noteを自己紹介、いや、自分史にしよう!と思い立ったのは先週のこと。自分を肯定し、ありのままに生きようと決心したからです。

自分史の目的や書いてどうしたいのか。
・「何がしたいのか分からない」「自分に自信がない」という、
 漠然とした不安を抱えている人がいたら、大丈夫だよって伝えたい
・とりあえず一旦想いをアウトプットしたい
こんな感じです。

なぜなら、私がずっと自信がなかったから。育った家庭環境や、そのことで自分が引き起こした学生時代のあれこれ、学歴コンプレックスなど理由は様々です。それと、自分の意思決定の軸や弱い点、目指すべき方向や好きなことを発信することで、理解しあった上で働いたり"生きる"環境を作りたいからです。

ちなみにTOPの画像は、最高の私になるための階段を上っている、という図です(笑)

現在の私

千葉県の郊外に住み、主人ともうすぐ2歳半の息子と3人暮らしです。今年29歳ですが、おふざけや楽しいことが大好きな人間で、よく喋ります。
好きなのは、澄んだ青空を眺めながらのお散歩(特に5月頃)や、早起きして家事をしながらドラマや映画を観る静かな朝。アウトドアでもインドアでもなく、どちらもそれなりに楽しめます。

小さい頃からファッションも大好き。自分を素敵に魅せる服、その人に合う服を選ぶスピードには自信があります(笑)小学校6年生から20歳までダンスを習っていましたが、バランス力があるくらいで足も遅いし、スポーツは全然得意じゃありません。

※ちなみに熱狂的な海外ドラマフリークです
→グレイズ・アナトミーやSUITSなどの王道なものから
 One Tree Hillというバスケに明け暮れる異母兄弟のドラマに
 Charmed魔女3姉妹なんてファンタジー、刑事系や法廷モノまで何でも。
 が、これで意気投合した人は生きてて1人もいません。かなしい。

①不思議な幼少期と母の愛

自分は普通だと思って生きてきましたが、母曰く、幼少期はとても変わっていました。幼稚園の頃、私どんな子だった?と尋ねると

「夜は外を見て、”早く宇宙に帰りたい”と言ってた」
「お習字はお手本を見ずに書いたのが、ど真ん中に”心”一文字だった」
「美女と野獣のビデオを見て、歌詞をひらがなで書き起こしてミュージカル(公文には行ってないのでひらがなをまだ学んでいない)」

まだ難しい言葉を書けなかったので、
月、宇宙、星、空、みたいなワードの言葉が降ってくると母にワープロで書き留めてもらう、という日々だったそうです(笑)

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今思うと、母は子育て大変だったと思います。
私がこんなだったから、スピリチュアルなものを勉強したり、開運なんちゃらの人と仲良くしたり。大人との交流が多かったのを覚えています。

「那奈ちゃんは使命を分かっている」
「インディゴチルドレンだから生きづらいね」

なんて、周りの大人に言われていたのを覚えています。
現代だとHSPという言葉がありますが、それも一部当てはまります。
でも恵まれたことに、私のことを否定する大人はさほどいませんでした。

小学生になっても変わらず。少食がゆえに給食が時間内に食べられなかったある日、担任の先生が「食べられない国の子もいるんだからさ~(; ・`д・´)」と説明してくれても、「私は少しでお腹がいっぱいになるから、食べられない人たちに届ければ良いのに!」と反論していたそう。

俗にいう、手のかかる子でした。

②原体験と生まれた価値観→起きた出来事

ふと、自分のマイナスな行動や気にするポイントを振り返ると、やはり小中の学校、家庭での原体験が影響していると今感じます。

・仲の良い友人こそ会話中に「分からない、知らない」と言えない
・周りはすぐ忘れるような、小さなミスを割と長い時間気にしている
→→勉強できない上に挫折したから自分は人より劣っていると思う+バカにされるのが怖い
・誰かがコソコソしていると「自分のこと?」と気にしてしまう
・常に一歩引いて周り(物事/人)を見てしまう→初動が遅い
→→いじめの経験、周りの人の心情を読み取ってしまう元々の性格から人を嫌な気持ちにさせるのが怖い+勘がよく当たる経験

などなどです。これらの原体験を少しだけ書きます。

私は当時(子供時代)、自分が普通じゃないという感覚は持っていませんでした。だけども自分を何かに当てはめる、という集団生活には意味を見出せなかったし、大人と過ごしすぎたのか自分のことをなんだか良く知っている気がして、周りを俯瞰的に見る生き方がベースになりました。

それが災いしたのか、小2の時にいじめに遭います。
今思うと大したことない、後ろから背中を押されたり叩かれたり、陰口を言われたりする類のものでした。

なぜいじめてくるのか理由も知っていましたが、元々人の気持ちに敏感なので、当時は耐えられませんでした。
母に相談し、担任の先生に話してくれたりと必死に動いてくれました。

すると先生は、
「自分はそんなの見たことない」「なんででしょうね~?」と他人事。まともに取り合ってくれなかったのです。仲の良い友達はいましたが、その時に
「あ、もうここで頑張る意味ってないかも。」と糸が切れ、次第に不登校になりました。(行ったり行かなかったりの繰り返し)

その頃起きたことは他にも。
・経済的問題(転職を繰り返す父)
・その他諸々で父が出て行き家庭崩壊

母と私たち妹は父を追いかけるように引っ越しを繰り返し、友達と引き離された私は悲しみから引きこもり、小6~中2前半までの大事な時期を自宅で過ごしました。
(それでも引っ越し先では、20歳のお姉さんや同い年の子と近所で遊んだりしていたので、正確には引きこもりではないですが)

小5か6くらいの頃に海外ドラマや洋画にハマり、とにかく色んな作品を見まくって英語が大好きになりました。
いつしか、留学したいな~と思い始め家で勉強を頑張ろうと思ったけれど挫折。一人でやる気を入れるのは至難の業でした。

自分が頑張らないからいけないのに、独りぼっちなことや人と違うこと、この家庭環境が悪いんだと父や母を心の中で責めていたあの時。

― こんな自分が大嫌い、何か変えなくちゃ。
家にいてできないなら、やっぱり学ぶ環境に身を置かなくちゃ。とある日突然「やっぱり学校に行く」と、親を説得し元々住んでいた土地に戻り友達の多い中学校に通い始めました。

またそこで意地悪な女子に出会いましたが、「自分のアイデンティティ」を大切にする洋画(笑)に感化され、もうそんなものは気になりません。無事に卒業。

学力は低いままなので、私立の高校に進学。
とても良い担任の先生や友人に恵まれて、一日も休むことなく中の上くらいの成績で卒業しました。校長先生が皆に「物事に感想を持ちましょう」と言っていたのが心に残っています。

何も考えずにした選択シリーズ

その頃の人生、大した理由もなく、なんとなくで決めてしまったものをご紹介します(笑)

①アルバイト(4年とちょっと在籍)
→高校1年生の冬、友達が他店舗でやってて楽しそうだからという理由で回転寿司のホールスタッフのバイトを始めました。
ここでの仕事や恋愛が、後に自分の考え方を形成することに(今回は省略)

②専門学校

→大学に憧れていたのですが、遅れを取り戻すための猛勉強が出来なかった。ここを乗り越えた人はTwitter界隈にもたくさんいますが、自分に打ち勝った人は後に成功してますよね。私は残念ながら、留学したいから外国人の先生としか触れ合えない環境ってスキルアップしそー!という安易な考えから外国語の専門学校に。

ここでも自信のなさや、小2の原体験が尾を引き、もうすぐ大人だというのに友達と仲違いした経験も。

③最初の就職先(3年半在籍)
→あれだけ留学と言ってきたくせに、アパレルの販売員になりました(笑)
パワハラ店長との出会いが私を成長志向に変化させ、結果的に人材業界に足を踏み入れる経験もここでしました(今回は省略)

④番外編 習い事のダンス(8年間)
→不登校では部活ができないので、打ち込めるものを探していてたまたま出会いました。洋楽好きだし楽しそー!というだけで結局8年間続けていました。ここで出会った仲間とは今でも交流があります。

『働く』という楽しさを知る

家庭環境のパートで、父を悪者にしましたが・・・
昔っからバリバリ働く熱血サラリーマンで、休日も取引先と電話。
そんな父は忙しそうでしたが、何だか誇らしげで楽しそうに見えました。
そういう背中を見て育ったのが、今の『働く』の価値観に繋がりました。

高校時代に始めたアルバイトで転機が訪れます。
オープンしたての店舗だったこともあり、初めて2ヶ月程で接客のリーダーに。これまでの経緯を辿ると、リーダー経験なんてないのが分かると思います。なのに本部の人は任せてくれた。嬉しさで胸がいっぱいでした。

接客指導、全フロアスタッフのシフトやオペレーション管理、理不尽なクレーム対応。寿司屋のバイトなのに月給15万ほど稼いだり、このとき初めて、働くことの楽しさを知ります。「状況把握」「スピード」など学びの多い4年間でした。

初就職先の大手アパレルでは、キラキラしたルミネとかで働けるかな~と期待していたら、配属先は百貨店のしかもアラフィフ向けのミセスBRでした。
でも本部はしっかり見ていました。コンサル接客は私に合っている。

世代の違う方にどうやって購買いただくか、ライフスタイルに共感できない自分がどうやって売上を伸ばすか。レジに立っているだけではなく攻めの応対をするために「相手の目線に立つこと」を意識し、程なくしてサブ店長になりました。

20代前半のペーペーなのに50代の方の指導をしたり。
アパレル時代の教訓はとても良いものなのでまた記事にしますが、当時の店長が20歳そこらの私に教えてくれたのは「自分の物差しを持て」ということでした。

なぜか任せてもらった「ある程度」のポジションを経験し気づいたこと。
それは、ビビりすぎて考えまくり俯瞰的に物事を見る性格だからこそ、これまで育成や上と下を介するパイプ役のポジションを人より早く経験させてもらうことができたのかもしれない。

自分のマイナスだった「一歩引いて物事/人を見る」という部分がプラスに変わった瞬間を、【働く】で経験できたのが何より大きかった。

なぜ人材業界に入ったのか

今の会社に入った理由や、最初はtoBで採用支援をしていたことなどはナビサイトや弊社noteの紹介に記載してあるので今回は省略します。
まず、アパレルを辞めたのは経済的事情が大きいとだけ言っておきます。
後にMLMにハマったりと、当時はお金が重要でした。

話を戻すと・・・

「人」の軸で経営に資することで、自身の存在価値を発揮したい。

大きく言えば対社会ですが、対会社、対経営者、対個人・・・
誰かに何かしらの"気付き"を生み出すのが、自分の使命だと思っているからです。

利益及び事業の安定性・強いチーム(人)・働きがいのある会社、全てにおいて「人材」は重要なものの1つ、とアパレルや前職種で身を持って体感してきました。

自分が介在することで新しい視点をもたらしたり、その後の行動変革に繋がることで、周りの環境が良くなっていけばなぁと漠然と思っています。

育休中に感じた想いと社内人事への転身


産休に入ってから復帰まで、約1年6ヶ月でした。
この期間は私にとって、最高の「考える時間」だったと思います。

社会から隔てられた感覚、仕事に復帰したい気持ちとこのまま子育てしたいような気持ち、自分の時間を取り戻したい気持ち、様々でした。

復帰半年前、このまま以前と同じポジションで復帰するか悩んでいました。そこでまずは、私のありたい姿を明確にしました。(最後のパートに記載)
その上で勤め先を外からじっくり観察してみたところ、理想の姿を実現することはできなさそうです。

「どうしよう、このまま復帰する?整ったところに転職する?」
その頃Twitterを再開したのですが、ちょうど採用PRが盛んで「ここで働きたい!」と思うような会社がたくさんありました。でも、転職しようにも私はいつも「ある程度」のポジションしか経験したことがない。

社内でリピート受注の年間MVPを頂いたこともありますが、思考力を止めて仕事に没頭していましたから、自分がなぜ成功したかを語れません。0→1のスキルもないし、市場価値を高めることが最優先だと思いました。

何より、社内の課題に気付いているのに何も挑戦していない。気付いたのに自信がなくて一歩踏み出せないのも、自分の弱いところでした。
そう気づいた時には、もう腹をくくっていたのか社内分析に動いていました。

なぜ組織拡大に歯止めがかかっているのか、なぜエンゲージメントが低いのか。どの職種の業務負担が多く、どの層が何に対して不満を持っているのか。

代表とご飯の約束をし資料を作成、わざわざ東京から茨城まで来てくれたので、PC持参で沖縄料理を食べながらバーカウンターでプレゼン(笑)
採用から定着まで、全部一貫しているからそれを全て行える人事部を作りたい。時代背景がこうで自社はこうで、もっと会社をよくしていきたいんだ、と懇願しました。

代表の名刺の裏にある「活かす」。
この文字通りに、事業の方向性や私の持ち味を活かすポジションを作ってくれました。色々な事情もあり、今は「育成」をメインとしています。

転職というリセットや出産育児のブランクがあるけど、もう社会人9年目。そろそろ自分のチームを持ちたいと考えています。

人生を振り返って学んだこと


これまでの経験を振り返り、特に大事だと言えることを一つ。

 ▼まずはやってみて、そして続けること
 (動機が何であれ)

noteをここまで読んでくださった方はご覧の通り、これまで私は強い意志を持たず、安易な考えと自分で狭めてしまった少ない選択肢から環境を選択してきました。それでも、バイトも習い事も仕事も長く続けています。

継続するポイントは主に2つです。

目の前のそれをやることで・・・
 ▼自分の価値観を満たせるか
 ▼求めている自分像に近づけるのか(成長できるか)

このあたりを考えることかなぁと思います。
まずは、自分の為になると「信じる」という言葉を耳にしますが、その「信じる」を分解するとこうなります。

信じるためには、”自分の価値観が何なのか”に向き合う必要がありますね。

よく、「最初は質より量」「無駄なことはない」と言われますが、これにも賛成です。次第にやりたいことやありたい姿が明確になってきます。
それは『働く』だけにとどまらず、恋愛や自分の時間の持ち方など『人生』に対する理想もかなぁと思います。

元から”逆算型”の目標設定が得意な方は良いでしょう。
ただ、私のような”積み上げ型”、いわゆる「今目の前にあるものに本気で、丁寧に、自分の大切なことを意識しながら取り組む」といった価値観タイプの人間は一定数存在します。

Z世代を中心に育成担当をしていると、目標や利益を追いかけるという営業職をやりたい!という子の中にも、価値観的には今を生きる積み上げ型の子もいます。周りは強い目標を持て!と言うかもしれませんが、焦らず目の前のことに一生懸命取り組んでいれば遅かれ早かれ成果は出ます。

どんなタイプだろうと、自信の有無は関係なしにまずはやってみること。
自分軸をしっかり持って、本気で毎日意識して、
人のためを想って行動していればいつか必ず自分に返ってきます。

これから実現したい世界

最後に・・・
成し遂げたいこと、ではなく
育休中にたどり着いた私の「ありたい姿」のお話です。

それは、
”心と時間に余白を持ち、いつも最高の自分で人生を過ごす”
ということです。

文字通り、家庭があり育児をしているからといって働き方や場所に制限なくやりたい仕事をしたいと思っています。
「ママだから」という言葉は嫌いです。それは言い訳。
(本当に本当に、物理的に難しくなることはもちろんありますよ)

私はワークアズライフな人間です。仕事中の気づきが「生きること」を豊かにし、プライベートで考える時間を持ったり好きなことをしたり、育児をして気づいたことが仕事に役立ちます。
だからどちらの時間も最高のコンディション、自分のことを好きな状態で最高のパフォーマンスを出したい。

それを叶えるため、今は目の前のできることに必死で取り組んでいます。
同じ想いの人がいたら一緒に成し遂げたいし、逆に知恵を貸してくださる方がいらっしゃるなら、素敵なご縁がありますように・・・!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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