「愛されている」そう思える子を育てるには
子供を産んでから、ぐっと身近になった
「愛情」という言葉
「愛情」っていったいなに?
どんな情?・・・
先日参加した子育てセミナーのテーマが「愛情を感じられる子に育つには?」というテーマだったので、
考えてみた。
母として、子供に愛情を感じながら育ってほしい。
子供たちが生まれてから6年間、そんな願いを小脇に抱えながら、
接してきたつもりだ。
「私は子供を愛している」だから大丈夫だ。
「愛している」その気持ちさえ持ち続けていればきっと
大きく間違うことはない。大丈夫だ。
私にとって、「愛」とは
そんな
「子育ての指針になってくれる感情」
だけど、仕事に復帰したり、
二人目の子供が生まれたり、
色んなライフイベントを経て
どんどん自分に余裕がなくなって
たくさん涙を流すこともあった。
だいたいは、自分の至らなさに悔しい気持ちになったり、
子供の未来を想って厳しく言いすぎてしまった時だったりするんだけど、
こんなことで涙を流している自分がちっぽけに感じて、
誰にも見られたくなくて
なんだか情けなくもあった。
「愛情」という言葉をインターネットの検索ボックスに入れてみると、一番最初にこう出てきた。※Oxford Languagesの定義
【愛情】あいじょう
相手にそそぐ愛の気持。
(出典 https://languages.oup.com/google-dictionary-ja/)
では 愛とは何か
【愛】とは
そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。
(出典 https://languages.oup.com/google-dictionary-ja/)
その下に
・かわいがり、いつくしむ心
・大事なものとして慕う心
と出てくる。
私たちは【愛】と聞くと、
まずはこの下にあった説明文のような気持ち(かわいがる・いつくしむ・大事なものとして慕うが出てくる)をイメージするのではないか。
だけど、その前段階の定義についてはもやっとしたまま
自分の中にある、よくわからないが温かい感情を愛だと思っている。
不確かで良く分からないその感情を愛だと思い
時に、世の中で「愛」と呼ばれるものに当てはめ
自分の愛に過不足がないか測ったりしているのだ。
子育ては正解が無数にあって、毎日選択を迫られる。
一度こうだと決めたことも、子供の成長に合わせて
考えを改めさせられたり、選択を見直す必要も多々ある。
いつも身と心、どちらかが忙しなく動いていて
どちらも完全OFFになることは数年間ない。
間違いなく偉大な仕事のうちのひとつだ。
子育て中の私たちは、時に涙を流す。
その涙に胸を張ろう。
その涙には愛情をはじめ、期待や 落胆や 後悔や 責任、、、
さまざまな気持ちが少しずつ混じっている。
でも間違いなく、
とてもあたたかいはずだ。
きっとこれが愛だ
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