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香港と私: 2019年7月7日のデモに遭遇した私のそれから

2019年7月5日から7月8日の4日間、私は香港にいた。今にして思えば、逃亡犯条例への抗議が激化し、7月2日にデモ隊の立法会突入が発生した直後のとんでもない時期である。

何故そんな時期に!?と聞かれても何も詳しいことを知らなかったからとしか言いようがない。

捕まると中国に送られちゃう法律が制定されそうで、反対のデモが起きている。私の知っていたことはそれくらいだ。

7月1日が返還記念日で、香港が政治的に盛り上がっちゃう時期だとか、もちろん知る由もない。


香港は初めてだった。
王家衛の映画が結構好きで、なんとなく憧れの都市。

今でこそレスリー・チャンのオタクガチ勢見習いの私だが、当時はファンでもなかったし、ご飯美味しそうだから行くか!くらいのノリで旅行を決めた。

旅先のことを少しも勉強しないで行くのはつまらないと思うタイプなので、行きの飛行機で岩波新書『香港 中国と向き合う自由都市』を読んだ。

機内で急に知識レベルが爆上げされた。(香港の基本のすべてが分かる名著。超おすすめである。)

民主はないけど、自由なところ。雨傘運動しながら、自前で自習室や関羽廟を作っちゃう市民。バイタリティがすごい。

なんだかすごくおもしろそう。政治的にアツい時の旅行でむしろラッキーだ、なんて感じて、正直ちょっとわくわくしていた。

はじめての香港

7月5日金曜日、友人Kちゃんと私は、香港に到着した。
天気の良い日だった。青空と、もくもくとした雲が出迎えてくれた。

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香港。
アジアとヨーロッパのまんなか。飲茶してパブでビール。豪華絢爛なブランドショップと、貧しさの見え隠れする市街地。高層ビルの向こうに霞む深緑色の山。『欲望の翼』のオープニングロールみたいな緑。

明け方、ホテルの窓を開けると、山の斜面から霧が立ち昇るのが見えた。最高なところに来てしまったな…と思った。

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香港。私はこの混ぜこぜな都市の虜になった。

『恋する惑星』に出てくるあのエスカレーターに乗って無駄に頂上付近まで行き、階段をひたすら歩いて降りる。それだけで楽しかった。

高層ビルのシルエットで鋭角に切り取られた空。一段下りるごとに近づく市街地の街並み。海と干物のにおい。きらきら光るビクトリアハーバーの波。

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昔ながらのワゴン式飲茶もした、めちゃめちゃ美味しかった。フェリーにも乗って、ピークにも行って、キャットストリートでお買い物して、エッグタルト食べて、黄大仙で占いもした。

ネオンに疲れたら自然いっぱいの九龍公園でアイスを食べて一息つく。大満喫である。もうずっと居たいね!なんて言っていた。

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7月7日、九龍半島23万人デモ
〜私は月餅が買いたかっただけなのに〜

旅行3日目、7月7日の日曜日。
どうやら九龍半島側で大規模なデモ行進が計画されているらしかった。

前日チムサーチョイのホテルに戻ると、明日夕刻はなるべく出歩かないようにと部屋に注意文まで置かれていた。

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なるほど、デモ隊は15時にソールズベリー公園を出発し、西九龍駅に向かって歩くという。

7日、私とKちゃんはそれぞれ個人行動すると決めていた。夕方まで別々に観光して、晩ご飯で落ち合おうか、と。

だから多少の不安はあった。でもまぁ、言っても合法なデモだし、沢山の人が歩くくらいなら別に怖くない。

7月7日の朝、予定通り個人行動日にすると決めた私たちは、ホテルを別方向に出発した。

私が向かったのは香港歴史博物館。デモ開始地点となる公園からそう遠くない。
念のため昼過ぎまでには香港島に移動するつもりでいたが、結局博物館を出る頃には、13時を少し過ぎていた。

それでもまだデモ開始まで2時間近くある。余裕だ。
ひとまず行きたかった近くの月餅屋さんで買い物して、尖沙咀駅から地下鉄で香港島に移動しよう。

博物館を出て、大きな道路を跨がる歩道橋を駅の方へと渡った。階段を降りて、すぐ前に交差点が見えた。
あった、あの角を右に曲がる。そしたら右側に月餅屋さんがーー

「◎△♯:-%×○◇$!!!!」

それはまだ聞き慣れない広東語の、早口で捲し立てるような声だった。言葉のわからない人間が聞いても明らかな、怒声。

交差点の角、明らかに現地人と思われる人だかりがあった。半歩下がったところを観光客らしき西洋人が取り囲んでいる。
一体なんだろう??私も背伸びして覗き込む。

「◎△♯:-%×○◇$!!!!」
「◎△♯:-%×○◇$!!!!」

水色のシャツを着た警察官と、全身黒い服装の若い女性が、互いに何かを叫び合っていた。周囲を取り囲む市民も野次を飛ばす。

すると女性の甲高い声が更に何かを叫ぶ。野次の声が更に大きくなる。背後から警察車両のサイレンが近づいてくる。やばい、これはガチのやつだ。

迂回しよう。そうだ、そうしよう。

来た方へと振り返った私の横を、ドデカいサイレンを鳴らした警察車両が通り過ぎる。まさか、そんな、だって、まだ13時過ぎじゃん。

引き返して左に曲がった。ダメだった。

左、右、左、どの道を迂回しても、あちらこちららに警察、消防、ウィンウィンうなるサイレン。やばい、マジでやばい。怖すぎて完全にビビった私がKちゃんに送ったLINEがこれだ。

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(日本時間で表示されているが、実際はマイナス1時間)

この期に及んで月餅の心配をしている。ただのアホである。
無理もない。こんな大規模なデモを、生まれてこの方見たことが無かった。

なんとか1番近い入口から駅にたどり着いた。既に半泣きだった。

香港島方面の路線を目指し改札をくぐる私は、明らかに浮いていた。反対のホームに到着した電車からは全身黒い装束の人たちがどんどん吐き出される。まるでベルトコンベアの上を1人だけ逆走しているみたいだ。

中環行きの電車の扉が閉まる。車両が動き出す間も、ホームには人があふれる。彼らから目が離せないまま、私は九龍半島を後にした。


その後のことは、正直よく覚えていない。3日目はこの時の記憶があまりに鮮烈で、他の記憶がおぼろなのだ。

そうだ、中環で合流した私たちは、ピークに行ったんだった。あたかも既に行ったみたいに先程記述したが、私たちがピークに行ったのはこの日だった。

ピークトラムが工事中だったから、バスでピークまで往復した。山道を行く運転に、私はかなり酔ったんだった。それでなくてもこの日は、ずっと心臓がドキドキしっぱなしだった。

激しい雨が降ったり止んだりを繰り返す日だった。曇っていた。ピークから九龍半島を眺めて、ネイザンロードはいま大勢の人で溢れているのかと想像した。

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お土産を買ったり街をぶらぶらして、香港島で夜まで過ごした。デモが解散したというニュースを見て、私たちは尖沙咀のホテルへ戻った。

夜のモンコック、サイレンの音。赤い光の流れる道。

私が香港の夜に聞いた最後の音は、警察車両のサイレンの音だったと思う。

ホテルに着いた私たちは、明日の出立に備えてパッキングを済ませた。
お風呂に入って、あとは眠るだけという時、外からまた、あのサイレンの音が聞こえてきた。

部屋のテレビを点ける。LIVEと書かれた映像が流れる。旺角。夜の路上で、盾を構えて武装した警察と傘を広げた若者が睨み合っていた。

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(画面左が昼のデモの映像。右のワイプがモンコックのライブ映像。)

私たちのホテルはネイザンロードから1本入った尖沙咀のど真ん中にあった。窓から西の方を見ると、赤と青に点滅する光が北に向かうのが見えた。あぁ、あれはきっと警察車両だ。

明日、ネイザンロードからバスに乗って空港に向かわないと。それまでにデモはおさまるかな。飛行機に乗れるかな。

心の中が心配で溢れた。不安だったけれど、嫌な気持ちではなかった。むしろ帰れなくなってもいいと思った。

初めてだった。あんなに沢山の人が何かの為に集まるのを見たのは。今もすぐ一本向こうの道で、私と同じ年頃の人が、何かの為にたたかっている。私はあした日本に帰るけれど、今日見たことは忘れないだろうと思った。

昼からドキドキしっぱなしの心臓で、眠りについた。遠くからサイレンが聞こえた気がした。香港の最後の夜。


翌日、早朝のネイザンロードは何事もなかったかのような静けさだった。

7月8日。私たちは予定通り、昼前の飛行機で日本へ旅立った。

そして私はそれ以来、香港に行けていない。


香港のことが好きかもしれない

私たちは日本に帰った後も、香港のことが気になり続けた。
ニュースをチェックしたり、本を読んだり、香港映画と聞けば見に行ってみたり。私は完全にちょっと恋していた。

10月の終わりくらいか、なんとなく、広東語を勉強してみようかなとテキストを買った。12月の頭くらいか、私は何故かこのタイミングで、レスリー・チャンに恋をした。

それからずっと、香港のことを見てきたと思う。

ずっと、香港の人が自由を守るために活動しているのを見ていた。だけど私はいつも考えが偏りがちだから、なるべく心を傾けすぎないように努めた。
何かを嫌うために香港のことを見ているわけではないから、攻撃的にならないよう努めた。私は現地に住んでいるわけではないから、自分の望みは口に出さないよう努めた。暴力や分断が起きているのを見ると、ただ心が痛かった。

あの7月からずっと、香港を見てきた。もちろん私に見えているのは香港のごく一部の人でしかない。

本音を言うと私の頭には、香港には自由な都市のままであって欲しい!という願いがある。
だからきっと、そのバイアスがかかった目で、物事を見ている。どんなに冷静にと努めても、国家安全法が施行されたと聞いた日、すこし涙が出た。


あれから1年。私はまだ『我哋真係撚鍾意香港』とは言えない。だって、まだ恋したかもしれないだけだ。
理想の中で香港が膨らむのは嫌だから、早く、また何度も何度も、遊びに行きたいと願う。

でも、それはずっと先になるかもしれない。ずっとずっと先になってもいい。

元気だろうか。
初めての香港メトロに戸惑う私たちを笑顔で案内してくれた、あの駅のお姉さん。
特大サイズのマーライコウをハサミで豪快にカットしてくれた、あのおじさん。
広東語がわからない私に、携帯の画面を見せて必死に説明してくれたお兄さん。
デモの日も顔色一つ変えずにいた、ナイスミドルなバスの運転手さん。

そしてあの日、あの角で叫んでいたお姉さんと、警察のおじさん。

また遊びに行ったら、どこかで会えるだろうか。その時みんな、笑顔で笑って過ごせているだろうか。

そうあることを願っている。また遊びに行く日の香港が、香港の人たちの望む姿に、戻っていることだけを願っている。

そして今度こそ、私が香港を本気で好きかどうか確かめたい。

きっとその時には、今以上に香港を、恋しく思っているだろうから。

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