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まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(長くなりそうなので前半)


1949年 教員の両親の元に4人兄弟の末っ子として生まれる。

中学生まではシャイボーイであった義行。

友達はと言えば、軽量級の力士。

自分で作った紙相撲のお相撲さんと便所で戯れる、内気な子どもだったという。

高校進学時には、昔気質の父親から、「家から通える距離の千葉東高に受からなければ、高校進学を諦めてもらう。美容師になればいい」と言い渡された。何かと粗雑に扱われがちな末っ子として生まれたことを、恨めしく思いながら育ったようだった。

一方、40歳にして授かった息子が可愛くて仕方なかった母親は、義行をとにかく褒めて褒めて褒めまくって育てた。


そして、無事に受かった千葉東高校で生まれ変わりを目指した義行は、演劇部に所属。

いわゆる『高校デビュー』だ。

全国演劇コンクールに出場し、他県の演劇仲間と交流を深めるなど、活動的な高校時代を過ごした。

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喜んで女装する、高校時代の父(笑)


明治大学政経学部在学中の1968年、『劇団ルネッサンス』を創立。

座長の義行は、脚本・演出・スタッフ・俳優までをもこなした。

当時、日本の演劇界でも活発な変革が行われる中、劇団ルネッサンスは、前衛的な劇団として名が知られるようになる。

大学卒業後、千葉テレビ放送を経て、1972年NHK教育テレビ番組(理科のお兄さん)・ラジオ教育番組に携わる。

NHK『ゴミ太郎日記』・『浜風の運び屋』シナリオ&出演。


その頃。

とある芝居でキャストが足りず、『ただ座っているお婆さんの役』として一度だけ舞台に立った(正しくは座った)能里さんと1974年に、できちゃった結婚。

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1974年、お相撲さん張りの巨大児・なつみの父親となる。

1979年イタリア賞国際エミー賞受賞の『四季ユートピア』に出演。


続きはまた次回!

#エッセイ #家族 #父の話 #劇団 #劇団ルネッサンス


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