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君たちは、“宇多田ヒカル”を知っているか-HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024 @Kアリーナ横浜(8/31)参戦レポート-

「HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024」@Kアリーナ横浜に参戦した。きっと、宇多田ヒカルのコンサートレポートなんて、有名音楽ライターによるハイクオリティなものが色々と公開されるのだから、わざわざ、ただのオタク気質一般人が、レポートを公開しなくても・・・とも思うが、
ライブ翌日の高揚感と多幸感を、きっちり言語化しておきたい!100年後も読み返して、コンサートを脳内咀嚼したいじゃないか!という気持ちの方が勝ったので、私のためにレポートをしたためることにする。
ちなみに、私がコンサートレポートを書くのは、2020年末の「This is 嵐」以来らしい。

コンサートの要素分解

これまで、めんどうなオタクとして、数年にわたって嵐のライブに参戦し、制作裏話に隅々まで目を通し、あれこれと考察をする中で、コンサートについて考えていることがある。
それは、当たり前といえば、当たり前のことだが、コンサートは、①そのアーティストらしさと②そのコンサートらしさ、が複合的に組み合わさって、そのコンサートを構成しているということだ。すなわち、コンサートは、アーティストらしさと、そのコンサートらしさの大きな2軸、そして2つの軸は、それぞれ様々な要素で成り立っている、という風に私は捉えている。

アーティストらしさには、アーティスト自身のパーソナリティや、作詞や作曲のジャンル・特徴、歌唱スタイル、ダンス、C&Rのやり方、MCの内容等が含まれると思っている。対して、コンサートらしさには、そのコンサートのセットリストや、演出、バンドの有無・構成、それらを組み合わせて表現されるそのコンサート特有のメッセージ等が含まれると思っている。

加えて、コンサートらしさには、当然のことながら、そのアーティストらしさが大きな影響を与えていて、アーティストらしさと、コンサートらしさは、完全には切り離すことができない2軸だと考えている。

「SCIENCE FICTION」で感じた“宇多田ヒカル”

コンサートは、アーティストらしさ軸と、コンサートらしさ軸の2軸、そこからさらに色々な要素に分解できるなどと、ごちゃごちゃ書いてみたが、
今回の宇多田ヒカルの「SCIENCE FICTION」ツアーは、宇多田ヒカルの25年間をファンと共に振り返り、お祝いするツアーであり、宇多田ヒカルのこれまでの活動を体現したもの。つまり、「SCIENCE  FICTION」ツアーは、そのコンサートらしさと、アーティストらしさがイコールに近いものの、最たる例と言ってもいいのかもしれない。

今回のセットリスト(※)は、ヒット曲を中心に、デビューから現在までの楽曲たちをほとんど順番に歌ってゆくシンプルなもので、このセットリストが、“宇多田ヒカルがどんなアーティストなのか”を、より濃厚に説明する役割を果たしていたように感じた。
デビューから人間活動前までの楽曲を、「宇多田ヒカル第1期」とするのであれば、第1期の楽曲たちは、強気で、ドライで、でもどこかにさびしさをまとった不完全さをポップに落とし込んでいるところに魅力があると思う。
対して、人間活動完了後から現在までの楽曲たちを「宇多田ヒカル第2期以降」とすると、第2期以降の楽曲たちは、作曲の方法そのものが変わったことも要因には含まれると思うが、さびしさや人間の不完全さも受入れ包含した、芯のある強さを感じさせるポップな楽曲が魅力だと思う。
今回のシンプルなセットリストを通して、宇多田ヒカルの過去から現在にわたっての変化を改めて感じた。そして、変化そのものが彼女の魅力的なパーソナリティをつくっているのだろうとも感じた。

一方で、シンプルなセットリストを通して、宇多田ヒカルの普遍的な部分にも触れられたように思う。
音楽のジャンルやトレンドには詳しくないが、宇多田ヒカルの楽曲は、いつのどの曲も、洋楽のような心地の良いグルーヴ感や、かっこよさ、新しさがある。実際に、私は、今回のコンサートで、心地よいリズムに自然に身体を揺らしたくなり「これがグルーヴィーということか!」と、初めてグルーヴの概念を体感することができた。

そして、そんな前衛的でかっこよさのある楽曲が、ポップミュージックとして多くの人に受け入れられているのは、宇多田ヒカルの紡ぐ歌詞が、“この曲は私たちの曲なんだよ”と訴えかけてくれるからなのだということにも、今回のコンサートで、改めて気付いた。
例えば、デビュー曲「Automatic」の歌詞は、「7回目のベルで〜」という描写からはじまっていて、曲を流せば、聴き手はたちまち楽曲の主人公になれる。「BAD  MODE」の歌詞には「ネトフリ」や「ウーバーイーツ」という固有名詞が意識的に使われていて、聴き手自身の生活の曲として聴くことができる(しかも「Netflix」じゃなくて「ネトフリ」なのが生活の解像度高い・・・!)。
こんなのは例にすぎなくて、宇多田ヒカルの歌詞を読み込めば読み込むだけ、私たちの生活を絶妙に表現するための仕掛けや描写があって、私たちは、宇多田ヒカルの曲を身近に感じることができるのだ。
今回のコンサートでも、それぞれの曲で、「あの時この曲をこんな気持ちで聴いた」という映像が想起されて、自分が認識していた以上に、これまで宇多田ヒカルの曲により添ってもらっていたのだと感じた。

「SCIENCE FICTION」に参戦して

2008年の「HEART STATION」以降、新しいCDが出る度に必ず聴いてきた宇多田ヒカルのコンサートに初めて立ち会うことができた。
「SCENCE FICTION」を通して、これまで宇田ヒカルのどんなところに惹かれて、宇多田ヒカルの音楽を選び、享受してきたのかが、より輪郭をおびたように思う。そして、コンサートに初めて参戦して、宇多田ヒカルのパフォーマンスのクオリティや、かっこよさに圧倒され、パーソナリティーの複雑さや魅力に気付いた。宇多田ヒカルは、掘れば掘るほど、きっと魅力的すぎて「オタクです」とは、私は一生言えないだろうけど、コンサートに立ち会えたことで、これまでよりも「ファンです」と自信を持って言いたくなった。

これからも、私の生活に、宇多田ヒカルの楽曲があるのだと思うと心強い。
これからも宇多田ヒカルの楽曲と共に人生を歩んでゆきたい。



※「SCIENCE FICTION」TOUR セットリストは↓



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