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優越感に浸る愚かさ

先日友達と話していて思った事があった。
昨日の記事の友達だ。

彼女の息子さんは、今大学生だが、高校まで、近所の同級生のママ友に、
辟易していたらしい。
というのも、そのママ友さんは、高校、大学と学歴にすごくこだわっていて、都度都度自慢してくるらしい。
「●●ちゃんは、一番いい高校行ったのに、大学は、A大学やねんて」と言った時。まさに私の友達は、A大学の出身で、その事を知っているにもかかわらず。2人で、救いようがないなーと笑いころげた。
友達も、「そうよな。でも、その時は、傷ついたわ」と言う。

誰でも、優越感に浸りたい。私もそうだ。自信がないから、とりあえずの賞賛、外からの評価に一時的にも満足したくなる。学校名、資格の有無など、人格とは、関係ないと知っているにも関わらず。
自分に満足していないからだろう。でも自分に満足なんて、一生できないだろう。満足する事で、成長を止めてしまうことにもなりかねない。

昨日読んだ本『幸せな劣等感 アドラー心理学〈実践編〉』には、不完全である自分を受け入れる事だと書かれている。他人と比べるのは、自己理想を見失う危険性があると書かれている。「自分はまだまだだけど、そこそこよくやっている」と認めること、これを「不完全である勇気」と呼んでいる。そうそう、それが出来たら、自由になれて、先に進める気がする。

自分がまずする、そうする事は、人の不完全も受け入れる事ができるようになるだろう。成長しかないと思うと、未来は明るい。


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