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インクルーシブ教育のセミナーに参加して思う事。

5月8日、もうだいぶ前ですが、東京大学バリアフリー教育開発研究センター主催のオンライン勉強会に参加させていただきました。

インクルーシブ教育について。

自閉症スペクトラムのかずきさんの、成長、教育の課程をお母さんが、主に話されていました。お父さん、お姉さんのご意見も伺えて、とても、貴重な体験が聞けました。

テレビで、報道されたようで、下から、ご覧いただけます。


インクルーシブ教育って、メリット、デメリットがあると思っていました。

障害があると、やはり、特別なサポートがあった方がいいのではないかと思っていました。

思い出したのは、私が小学五年生のとき、小児麻痺のまりちゃんが、1年上の六年生でした。

まりちゃんは、コーラス部に入っていました。

私も、入っていました。

音楽室は、3階か、4階で、エレベーターがありません。階段で、先生や、皆で、協力して、移動していました。

まりちゃんは、声も、うーとかしか、出さなかったけれど、楽しそうに、一緒に歌っていました。

周りの私たちは、それを当たり前のように、過ごしていました。私は、学年が違ったので、あまり、近くには、いなかったけれど、今思うと、あれが、インクルーシブの当たり前の形なんだと思いました。


息子は、自閉症スペクトラムですが、知的障害はありませんから、普通科の高校に、入学できたかもしれません。私が、特別支援学校を選びました。

それしか、道はないと思っていましたから。

この勉強会に参加しながら、普通科の高校で生活をしている息子を想像してみました。

たしかに、明らかに、生き生きと、楽しんでいる姿が見えます。


しかし、特別支援学校での生活も、また、彼にとっても、私にとっても、必要な経験だったと思うのです。

さまざまな障害のある仲間と過ごす。

障害者、健常者、そのどちらの社会も、素晴らしい場所で、みな、必死に生きています。

かずき君の笑顔や、クラスメイトの様子、その保護者の方のご意見を知って、インクルーシブ教育は、必要だと思いました。

でも、それを理想的な形にしたのは、中学校の担任の先生で、先生、ひとつで、天国にも、地獄にもなると思います。

『聲の形』という映画の中では、インクルーシブ教育が、うまくいかなった例ではないでしょうか?

担任が、黒板をバンと叩いて威嚇するシーンは、心が痛みました。


大人が、導いていかなければ、子供の中に、差別的な気持ちが芽生えるようで、怖いです。

大人の私たちは、偏見なく、インクルーシブ教育について、考え直さなくてはいけません。





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